遂にザ・ウッドの楽曲がYou Tubeに
アップされていました。
標題の楽曲はザ・ウッドのファーストアルバム
once forever の5曲目 A面の最後に収録されて
います。
作詞:津田義彦
作曲:鈴木明男
編曲:ザ・ウッド
です。
私は昔から once forever に収録されている楽曲
の中でもこの曲がとても好きなのです。
スローな8ビートで、綺麗なメロディで、
上綱克彦さんが編曲された彼らの独特の
コーラスワークが冴えていると思います。
間奏の石井清登さんがオーバーダビングで
録音しているハモリのギターソロも印象的で、
エンディングの明男チャンのサックスも良い
感じだと思います。
これほどのクオリティの楽曲を制作していたにも
関わらず、ヒットに恵まれずに解散してしまった
のは非常に残念だと今になっても思います。
彼らが元々は 柳ジョージ&レイニーウッド で
あった事が、当時ヒットに恵まれなかった要因で
ある事は間違いないと思います。
プロデュースって本当に難しいものなのだなあ、
と改めて感じてしまいます。
ザ・ウッドのメンバー全員で執筆したエッセイ
So Far Away の中で明男チャンが当時の
柳ジョージ&レイニーウッド解散についての顛末を
書いている中で、
”営業上の問題”
と言う言葉が2度出て来ています。
一つは
”俺たち”音楽バカ”には分からない営業上の問題や
様々な利害関係が絡み合って柳ジョージとレイニーウッドの
溝を深めて行った”
と言う内容で、もう一つは
”俺たちの音楽に対する情熱が、だんだんと
営業上の問題にすり替わって行った”
と言う内容です。
この営業上の問題、と言う中の一つには、
私のようなファンの存在があるのだと思います。
彼らはファーストアルバムから、ジョーちゃんが
作詞作曲をした楽曲と、メンバー以外のアーティストが
作詞作曲をしたもの、上綱さん、石井さんが作曲した
もの、更に6枚目のアルバムからはサックスの
明男チャンも作曲に加わっていました。
最も石井さんはセカンドアルバムから作曲者として
参加するようになっていて、ファーストアルバムは上綱さん
は2曲だけ作曲で、その他は大野克夫さん、岸部修三さん、
井上堯之さんと言う顔ぶれが作曲をした楽曲が
収録されていて、その他の5曲はジョーちゃんの作詞作曲
でした。
セカンドアルバムからは、メンバー以外のアーティストの
作曲はなく、ジョーちゃん、上綱さん、石井さんが
作曲を担当するようになって行ったのでした。
ジョーちゃんが執筆したエッセイ 敗者復活戦 の中で、
サードアルバムの YOKOHAMA あたりから、
メンバーが作曲する楽曲でかなり良いものが
出て来た、とのコメントが書かれています。
私は正直な所、柳ジョージ&レイニーウッドのファンに
なったきっかけが、上綱克彦さんが作曲をした
サードアルバムに収録されていた、ファーストアルバム
からリメイクされた、日本語版の ヘイ・ダーリン
を聴いた事でした。
その後、彼らの4枚目のアルバムである
レイニーウッドアベニュー の1曲目、
石井清登さんが作曲をした 眠りのない街 を聴いて
ノックダウンさせられて、それ以後彼らのファンに
なって行ったのでした。
その頃から彼らの楽曲は、ジョーちゃんが作ったものより、
上綱さん、石井さんが作曲したものの方が大きく感動
するし、良いなあと思って聴いていたのでした。
勿論、彼らのファンになって以後はジョーちゃんが作った
楽曲もそれなりに良いなとは思っていましたが、
やはり上綱さん、石井さんが作曲をした楽曲の方が、
何倍も感動したのでした。
そう言う意見がだんだんとジョーちゃん自身の耳にも
入るようになり、また事務所やレコード会社の人達も
それを意識するようになって行ったのだろう、
と思います。
ジョーちゃんも自分がレイニーウッドのメンバーが
作曲をした楽曲で良いものが出て来た、
と言うのは良いのですが、それを周囲から言われるのは
嫌だったのではないのかなあと感じています。
例えて言えば、自分で自分の事を”俺もジジイになったよ”
と言うのは気にならなくても、他人から
”あんたジジイになったね”と言われると凄く嫌な感情を
持つのに似ているのではないのかなあ、と言う事です。
柳ジョージ&レイニーウッドの結成は、
ジョーちゃんが京都のライブハウスでドラムの四ツ田さんと
初めて出会って、その後四ツ田さんが上久保純さんの
誘いで広島へ行って、レイニーウッドの前身である
メイフラワーにドラマーとして参加し、その流れで
ジョーちゃんが広島へギタークリニックの仕事で訪問した
際に、四ツ田さんのツテでメイフラワーとセッションを
した事がきっかけなのです。
要はその時点でジョーちゃんは既に、
ボーカリストとしてもギターリストとしてもクリエーター
としてもある意味出来上がっていた状態で、
芸能界での経験も積んでいた訳ですが、
レイニーウッドのメンバーはその当時はセミプロであり、
まだまだ発展途上の状態であった訳で、
柳ジョージ&レイニーウッドを結成して活動を続ける
うちにレイニーウッドがどんどん才能とセンスを磨いて
行った、要は伸びしろが大きかったと言う事だと
思います。
でもジョーちゃんは出来上がっていた状態だから、
レイニーウッドのメンバーほどの伸びしろは無い訳で、
その両者が一緒に活動を続けて行くと、
だんだんひずみが生じる事は仕方が無いのだ
と思います。
だから当時明男ちゃんがエッセイで書いていた
”営業上の問題”と言うのは、レイニーウッドが成長し
過ぎてしまう事で、ジョーちゃんの地位を確保する事が
難しくなって来てしまった、
要はジョーちゃんをスターとして売り続ける事が、
レイニーウッドの成長によってやりにくくなって
しまった事が、彼らが無理やり解散させられてしまった
原因なのだろうなあと今になって思います。
だからプロとして売れ続ける、と言う事がいかに困難で
難しいのかが今の年齢になってよく分かります。
実際彼らが解散した1981年の春頃には、
レイニーウッド単独のアルバムが企画され、オケ録りまで
終わっていたのですが、その後オクラになってしまい、
発売中止になってしまったのでした。
当時のプロデューサーが、
レイニーウッドはレイニーウッドで単独で
売って行こうとしたのだけれど、
上手くプロデュースをし切れなかったと言う事なのでしょう。
しかし今になって ザ・ウッド の楽曲が遂にYou Tubeに
アップされたと言う事は、凄い事だと思います。![]()