今日私が現在ドラマーとして所属するバンド

スリーレブン のリーダーであるあーちゃんから

グループラインに、

新しいボーカリストが見つかり、

4月21日のスタジオリハーサルで初顔合わせの

予定となりました、

とコメントがありました。

 

どんなボーカリストなのか、

期待と不安で一杯です。

 

と言うのは、今までボーカルをやってくれていた

まっすん は歌唱力のみならず、ステージング、

MC、音楽の嗜好、センスのどれも良い感じで、

この1年活動を共にしてライブも2回実施して来た

中で、彼の良さをどんどん感じていた矢先の

人事異動が原因の脱退だった為、

次のボーカリストがまっすんに匹敵する人なのか

どうか、非常に気になるところです。

 

また、昨年ベーシストを募集した際にも、

9月にスタジオリハーサルに参加してくれた人は

我々のバンドを気に入って貰えず、

ベースプレイは良い感じだったのですが、

それが理由で加入を断られ、

10月にスタジオリハーサルに参加予定だった人は、

リハーサル当日にドタキャンされてそれっきりに

なってしまった、と言う事例もあるので、

4月21日にその人に会ってからどうなるか、

また10月のベーシストのように当日突然ドタキャン

される可能性もあり、予断を許せません。

 

ここ最近このブログで書いている通り、

私一家にとって今年は魔の暦の年になってしまって

いるから、4月21日がどういう事になるか、

あまり良い予想が出来ないのが実際の所です。

 

想えば昨年2月26日に初めて私がスリーレブンの

メンバーとスタジオリハーサルを実施して、

その時にメンバーの皆さんを良い雰囲気に感じて、

バンドへの加入を決めたのですが、

その後6月にベーシストのケンさんが急に

グループラインで脱退を表明して、

8月に予定していたライブは中止になるのかな?

って思っていたらリーダーのあーちゃんから

代わりの人が見つかりましたとメッセージがあって、

何とか8月のライブはベースがサポートメンバーと

言う形ではありましたが成功に終わりました。

 

しかし冷静に考えるとバンド加入当初の私は、

メンバーから納得出来ないコメントや嫌な事を

言われたりしたらすぐに脱退しよう、

と言う想いで活動をしていたのでした。

 

だから6月にケンさんから脱退表明があった時も

びっくりはしましたが、結構冷めた気持ちで、

まあ仕方がないか、くらいにしか考えていません

でした。

 

このブログで何度も書いて来た通り、

2019年1月4日に、それまでブランクを挟みながら

16年間も活動を共にして来て私が信頼していた

バンドのメンバーの一人から私のドラミングに対して

訳の分からない批判コメントをされて、

無茶苦茶不愉快な想いをして腹が立ってその

バンドを脱退したので、もしまた新たに加入した

バンドでそのような事があったら即刻脱退しよう、

と言う意識でスリーレブンに加入したのでした。

 

しかし活動を初めてみると色んな面で良いメンバーで

私のドラミングの評価も高く、気持良く活動を

する事が出来て、またスタジオリハーサルと2回の

ライブを実施した事でどんどんバンドへの愛着が湧いて

今に至っているのです。

 

だから今回のキーボードのやっちゃんとボーカルの

まっすんの脱退は本当に残念なのですが、

それでも今はスリーレブンでドラマーとして活動を

続けて行こうと言う気持ちになっています。

 

4月21日にスタジオリハーサルに

参加予定のボーカリストは、上手くスリーレブンで

活動を続けてくれれば良いのですが、

さて、一体どうなる事やら。真顔

私が現在ドラマーとして所属するバンド

スリーレブン で先日突然キーボードの

やっちゃんが脱退し、その直後にリーダーの

あーちゃんのお嬢さんのちーちゃんが新たな

キーボーディストとして加入してくれた話を

書いたのですが、一難去ってまた一難、

今度はボーカルのまっすんが脱退と言う事態に

なってしまいました。

 

まっすんの場合は人事異動によって業務の

内容が変わり、土日出勤が基本になってしまう事が

理由なので、どうしようもありません。

 

まっすん本人もその部署への移動にならないように

祈ってくれていたのですがそこはしがない宮仕えの

哀しさ、その祈りは届かなかったのでした。

 

そしてこの事も私一家にとって、今年の暦が

魔の暦である為と思わざるを得ないのです。

 

先日もこのブログで書いた通り、

昨年12月10日深夜に同居している高齢の母が

自宅で転倒して骨折した時点でこの忌々しい

魔の暦の始まりとなってしまったのだと思います。

 

それと2月のやっちゃんのスリーレブンからの脱退、

この2つで何とか災厄が終わって欲しかったの

ですが、魔の暦は容赦なく3つ目の災厄を

私に(と言うか今回もスリーレブンのメンバー全員に)

もたらしてしまったのでした。

 

今から思えば5年前の2019年も私一家にとって

魔の暦であり、その年は母の入院のみならず、

冷静に考えてみるとこのブログで何度も書いて来た、

1月4日の私のバンドの脱退劇があった事も

思い出してしまいました。

 

この時は私の意思でバンドを脱退はしましたが、

その原因はメンバーからの訳の分からない

私のドラミングに対する批判であった事を思うと、

それも私にとっての災厄である事は間違い

ありません。

 

それまでブランクの期間を含めて16年も

活動を共にして来て私が信頼していたバンドの

メンバーからの訳の分からない批判は、

災厄以外の何物でもありません。

 

まだ年が明けて3月の時点でこれだけ悪い事が

続いてしまうと本当に憂鬱になってしまいます。

 

因みにスリーレブンのリーダーのあーちゃんは、

既に新たなボーカリストを募集して複数の候補者から

応募があり、選定に入っている所で、

彼女の行動力には脱帽です。

 

何とか新たな良いボーカリストに加入してもらって、

既に予定している8月のライブを成功させたいと

思います。

 

しかし今改めて想うのは、

昨年の2月26日に私が初めてスリーレブンで

スタジオリハーサルを実施してから今回の

まっすんの脱退表明まで、

ライブを2回も実施する事が出来て、

随分と楽しい充実した日々を過ごさせてもらった事に

気が付きます。

 

同居している高齢の母が昨年の夏から透析を受ける

事になり、通院の付き添いやら入院後の面会やら、

退院してからの色々な出来事がありながらも、

スリーレブンで楽しくドラムを叩く事が出来た事に、

感謝の気持ちしかありません。

 

今年もこれから私自身がどのような展開になるか、

もしかしたら私自身がバンド活動を出来なくなる環境に

なる事も全く可能性が無い訳ではなく、

本当にどうなって行くかは全く分かりませんが、

この1年スリーレブンでドラマーとして活動をさせて

もらった事は本当に幸福であったと想い、

メンバーのみんなには本当に有難う!の気持ちで

一杯です。

 

今年は私一家にとって魔の暦を過ごさなくては

なりませんが、私の信条である

”出来る時に出来る事を目一杯やる”

の精神を忘れずに、ドラムの腕を更に磨いて

精進を進めて行きたいと思います。

 

魔の暦に屈する事無く真顔

前回のブログに書いた通り、

私一家にとって、今年は魔の暦になっているので

これから何が起こるか分かりませんが、

私が現在ドラマーとして所属するバンド スリーレブン

で10日にスタジオリハーサルを実施の際、

何と早くも新しいキーボーディストが登場してくれた

のでした。ニコニコ

 

その人はリーダーのあーちゃんのお嬢さんの

ちーちゃんなのですニコニコ

 

今回やっちゃんの急なバンド脱退で、

落ち込んでいたあーちゃんの姿を見て、

”私がスリーレブンのキーボーディストをやる!”

とちーちゃんが申し出てくれたのでした。

 

10日は4曲、練習曲を予定していましたが、

どの楽曲もスタジオリハーサルまでの短い日程

ながら、しっかり練習して来てくれていて、

メンバー一同喜んだのでした。ニコニコ

 

地獄から天国になりました。ニコニコ

 

しかし油断はできません。

 

何せ今年は私一家にとって、

魔の暦の年だから先が思いやられます。ゲッソリ

10000年カレンダーと言うサイトで、

西暦何年と何年が同じ暦である事を知る事が

出来るのですが、私にとって正に今年は魔の

暦なのです。

 

曜日と月日が合致する年と言う解釈で見ると、

今年が閏年なので完全に合致する年は少なく、

1968年、1996年、そして今年2024年なのですが、

3月1日以降の曜日と月日が合致するのが上記に

加えて、

1974年、1985年、1991年、2002年、2013年、2019年

になります。

 

ここに書いた年はいずれも私及び私の家族にとって

良くない事が起こってしまった年なのです。

 

1968年は私がまだ3歳だったのでほとんど記憶が無く、

良い年だったのか悪い年だったのかも分からない

のですが、その次の1974年に私自身が死にかけた

事があったのでした。

 

小学校3年の6月のある日から発熱し、

母に連れられてかかりつけ医で診てもらった所、

寝冷えによる風邪との診断で、それに対応した薬を

出してもらったのですが、熱が一向に下がらず、

果ては食欲がなくなりまともに食べ物が食べられなく

なってしまい、私が穿いていたズボンがゆるゆるに

なってしまうくらいやせ衰えてしまったのでした。

 

見かねた母がかかりつけ医ではなく、

当時板宿にあった相信病院で私に治療を受けさせて、

点滴をする事になり5日間程入院する事になりました。

 

その甲斐あって快方に向かって元の生活に

戻ることが出来たのですが、あのままかかりつけ医だけに

診てもらってい続けたら、それっきりこの世を去っていた

かもしれません。

 

またこの年の4月に母方の祖父が胃癌で逝去しました。

 

続く1985年は母の健康に支障があり、それも無事回復は

しましたが、家族一同かなり心配したのでした。

 

そして1991年には兄一家に災厄がありました。

 

1996年は母が手術を受けた後2ヶ月ほど入院し、

退院してホッとしていたところに父が体調を崩して

入院して検査の結果、末期の大腸癌である事が分かり、

手術の甲斐もなく翌年1997年3月に逝去しました。

 

2002年は健康面では特に悪い事は無かったけど、

私が仕事面で苦労を強いられる年になりました。

 

2013年は母の健康面に支障があり、

私自身も春頃に今までに経験した事のない

体調の不良がありました。

 

2019年は母の健康面に支障があり、3週間程度

入院していました。

 

そして今年2024年ですが、

実は2023年12月10日の深夜に母が自宅で転倒し、

左足の付け根と大腿骨を骨折してしまい、

救急搬送されすぐに手術を受けたのですが、

今現在まだ入院中で、リハビリの進捗が芳しくない

状態です。

 

それ以外にも2022年から母に不調が出て、

昨年2023年の夏から透析を受け始めて当初は入院して

いたのですが、9月下旬に退院し、それからは自宅から

通いで透析を受けて順調に回復していて胸を撫で

おろしていた矢先の12月10日の深夜に自宅で転倒し、

骨折してしまったのでした。

 

年齢が今年で91歳と言う事もあり、仕方が無い部分も

大いにあるのですが、通いの透析で母本人も自宅で

過ごせる事にかなり気分的にも快方に向かっていて、

荷車を押しながらではありますが、母単独で近所の

スーパーまで買い物に行けるくらい身体が回復して

いたところ、骨折と言う憂き目に遭ってしまいました。

 

これはやはり2024年の暦が私の一家にとって、

魔の暦である事が原因ではなかろうか?

と思わずにはいられません。

 

この前の私がドラマーとして所属しているバンド、

スリーレブンのキーボーディストであったやっちゃんの

突然の脱退劇にしても、今年の暦が関係していると

想わざるを得ないのです。

 

まだ3月に入ったばかりで先が長いのですが、

今年は魔の暦を過ごさなくてはならないと思うと、

気分が滅入ってしまいます。

 

今日も母の病院へ面会へ行ったら、

看護師さんと医師から母の今後の展望について

あまり良くない話を聞かされてしまいました。

 

これからも私自身の身にも良くない事が起こる

かも知れないし、今年一年、先が思いやられますドクロ

 

 

 

火曜日に仕事の関係で20数年ぶりに

南海電鉄高野線に乗車しました。

天下茶屋から住吉東までの僅かな区間でしたが、

やって来たのは1974年に製造された6200系の

未更新車でした。

 

まず客扉の開閉音が昔のままである事に驚き、

車内に入ると壁面のデコラ板や天井の冷風吹出口、

座席下の蹴込み板など全て製造当初のままと

思われ、客扉内部はデコラ板が劣化している所に、

部分的に塗装が施されていて、

見るからに古いと言う感じでした。

 

6200系のグループ内には更新された車両も

あるようですが、未だに未更新のまま使われている

車両がある事に驚いてしまいました。

 

しかも標題の通り、1974年に製造されてから

50年間も未更新のまま使われている事に、

改めて驚いてしまいました。

 

そして自分自身も年令を重ねてしまっている事に

改めて気付かされてしまうのでした。

 

私がまだ学生の頃、あれは1985年でした。

当時私はよく愛知県の名古屋鉄道に乗りに行っていて、

その頃経年50年だった800系車両に乗車する時は

ハイテンションになっていました。

 

当時の800系は車内が木製ニス塗りで、

天井には冷房装置は愚か、扇風機すら設置されず、

夏季は窓を全開にして外から風を取り入れて

涼を取るしかなく、床、窓枠も木製で、

吊り掛け駆動のモーター、自動空気ブレーキの

古めかしいサウンドで

”いかにも古い車両”

との雰囲気を目一杯醸し出して力走していましたが、

現在経年50年でしかも未更新の南海高野線

6200系はそこまでの古さを感じないのでした。

 

勿論冷房装置もついているし、

モーターもVVVFインバーター制御でこそなく、

直流モーターではありますが当然吊り掛け駆動ではなく、

吊り掛け駆動と比較すると遥かに静かなカルダン駆動で、

台車も空気ばね(エアサス)になっていて、

名鉄800系とは隔世の感を抱いてしまいますが、

経年50年である事に変わりはないのです。

 

そんな経年50年の車両にも時代の違いを感じてしまう

くらい長い月日を生きて来てしまった、

私自身の人生を想うと感慨深いです。真顔