撮影日   2021.8.2

撮影場所  広島電鉄江波線 江波電停付近

      (1・2枚目は土橋電停)

      ※敷地外公道から撮影

 

前回の記事で広電宮島口から広電に乗車した記事を書きましたが、

今回はその続きです。

広電西広島駅から土橋電停まで移動し、そこから江波電停へ

向かいました。

 

(一枚目)

・土橋電停で撮影の8号線 江波行き804号です。

8号線は横川駅電停~江波電停を結んでおり、市内中心の紙屋町や

八丁堀などを全く通らない路線です。

 

この804号は、1回目の記事で紹介した800形(2代目・以下略)の

2次車にあたり、1987年製です。

(二枚目)

804の台車です。1回目に紹介したFS88です。

乗車したところ、乗り心地はフワフワとして良好でした。

走行音は小さく、チョッパ制御の音色が聞けました。

内装は前回の700形と同じでしたが床はグレーでした。

(三枚目)

・江波電停に到着後、横川駅行きとして折り返す804号です。

側窓上部の一部がルーバーとなっています。又700形で行われている

クーラー更新は未施工です。

 

800形2次車は803と2両だけで、1次車と製造期間が空いており

前面が3800形初期車風となって行先表示器が前面窓と一体化(但し

分割式)となり、前照灯は丸形ですが横向き配置となりました。

窓枠は銀サッシです。

(四枚目)

江波車庫ですれ違う714号と804号です。

どちらも似た車体を持ちますが制御装置が異なる他、製造年が少し

違う為前面窓周りの造作が異なっています。

 

何度か広電に乗りましたが、江波に来たのは初めてでした。

難解なアニメでは有りません。

(五枚目)

江波には電車の車庫が有り、江波車庫と本社に併設された

千田車庫と共に市内線電車を管理しています(宮島線は荒手

車庫がメイン)。

車両基地の中には700・800形や1900形が見えます。

 

又ここには広電バスの市内線の江波営業課も隣接しています。

右側のバスの中にはエルガCNGノンステも見えます。

(六枚目)

江波車庫内の市内線電車達です。所属は1000形(2代目)以外は

「単車」だけの筈です。

主役の700・800・1900形に加え、350形や更には1両だけとなった

900形913号の姿も奥に見えます。

 

900形は1969年に14両が導入された車両で、元大阪市電2601形です。

2601形は1956年から1961年にかけ大阪車輛工業で114両が製造

された半鋼製ボギー車で、車体長12,480㎜の大阪市電「中型車」です。

本系列は当時最新鋭の「和製PCCカー」3001形と同じく流線型の

前面に張り上げ屋根、バス窓で前中引戸の車体を持ちますが、機器類は

大正時代製造の代表的な木造ボギー車1001形(元1081形)の機器を

流用しています。

よって吊り掛け駆動で直接制御、台車は古典的な板バネ式のブリル77E、

ブレーキは直通空気ブレーキでモーター出力は37.5kw×2基と、3001形

と大きく違った古い物です。車内照明は途中から蛍光灯になりました。

本系列が大阪市電最後の新製車です。

本系列と似た車体を持つ他社の車両としては、阪堺電鉄351・501形

(側窓は1枚窓)、鹿児島市電600形等が存在します。

 

2626~39の14両のみがワンマン化されましたが、他はワンマン化されず

1969年の大阪市電全廃まで活躍しました。

この内、ワンマン車全車が広電に移籍し900形となっています。

他に非ワンマン車32両が鹿児島市電800形となり、現在は引退しましたが

一部の車両は9500形に更新されています。

 

広電ではその前に譲渡された750形(元1601・1651・1801形)と共に

市内線で活躍しました。本系列は広電初のワンマン車となりました。

(一部はツーメン仕様で登場後、再ワンマン化)。

塗色は大阪市電時代のマルーンとベージュのツートンのままで、以後

他社からの移籍車は変更せずに活躍する様になりました。

前面行先表示器は系統幕分割仕様のままですが、集電装置はZパンタと

なりました。

 

火事によって1977年に1両が廃車され、残存車は9両が冷房化されました。

非冷房車4両は2000年までに廃車されています。

比較的車体は新しいですが、冷房車も廃車が進んでおり遂に2020年以降は

この913号が残るのみとなってしまいました。

当車は1957年製の元2638です。

尚、廃車後一部は海外で保存されています。

 

様々改造されましたが、最後の大阪市電新製車として長く活躍して欲しいです。

そしていつかちゃんと写真を撮りたいです。

(大昔に一度だけ白島線で乗車しましたが、車内はグレー塗りで床はゴムタイル?

だった記憶が有ります)。

(七枚目)

比較的新しい「軽快電車」に混ざって休む旧型車達です。

一番手前の353号については後述します。手前から2番目808号は

800形3次車です。

3番目に少し見えるのは913号の前面で、流線型で他の旧型車に

比べシャープなスタイルです。

一番奥は「被爆電車」650形653号です。現在は貸切用となって

おり、塗色は昭和20年代の青系の塗色に復元され古い社紋も

見えます。650形については別に紹介します。

これらの旧型車はラッシュ時メインの様です。

(八枚目)

車庫内には残り1編成となった3000形3003号の姿も見えました。

本来千田車庫所属ですが、現在の運用はラッシュ時の8号線らしく

8号線 横川駅の表示でした。

不動産会社の広告なのが惜しいです。

 

3000形は1979年から8本が登場した形式で、広電初の3車体連接

車です。宮島線直通運用として導入され、ピンク色の直通色で

登場しました。

元は西鉄福岡市内線の2車体連接車1100・1200・1300形を改造して

登場しました。

本系列と同型の元福岡市内線1000形改造の熊本市電5000型の紹介、

及び同じく福岡市内線1000系列と北九州線1000形改造の筑豊電鉄

2000形の紹介は以下の記事です(2019.11.24)(2018.3.27)。

熊本市交通局5000型 外観(1) | 303-101のブログ (ameblo.jp)

筑豊電鉄 2003編成(外見) | 303-101のブログ (ameblo.jp)

 

種車は半鋼製又は全金属車体で、流線型の前面に張り上げ屋根、

バス窓でノーシルノーヘッダーの平滑な車体です。福岡市内線

1000系列は各形式微妙に違っており、1954年汽車會社製

1100形はカルダン駆動で当形式だけ車体が角ばっており、

1200形は1962・63年製で吊り掛け駆動になりましたが車体は

全金属化、1300形は1964年製でモーター出力が向上し、

どちらも日立製作所又は汽車會社製です。

福岡市内線の輸送力向上の切り札として活躍しましたが、

路線縮小により広電に譲渡されました。

 

広電では1100形2本・1200形8本・1300形2本をを組み合わせ

3車体連接車8本としました。移籍時に前照灯を窓上2灯配置化、

側ドアを前ドア以外折戸から引き戸に変更、方向窓大型化、

車掌窓新設、車体裾を直線化、足回りを吊り掛け駆動・62kw

モーター4基に統一、ブレーキを電磁給排弁付き直通空気

ブレーキに変更しました。多彩だった台車も最終的にウイング

バネ式コイルバネ台車KL13又はKS117系になっています。

更に塗色の変更や、1980年以降冷房化も行われました。

 

最初に1300形1305・1306編成が2車体連接のまま小改造で

使用されましたが、すぐに全車改造され3車体連接化されました。

改造後も1100形由来の車両は車体に差違が見られ、中間C車

だけが1100形改造だった3006編成は差異が顕著でした。

この3003編成は元1200形1206編成で、1963年日立製です。

 

宮島線の主役として活躍しましたが、他の直通車より性能が

劣り電制を持たない事も有って1992年に3001編成が廃車され、

1998年に全車市内線運用となりました。

後にクーラーの交換及び補助電源のMG→SIV化も行われました

が、近年廃車が進み2021年以降は3003編成だけとなりました。

尚3005・3006編成はミャンマーで同国唯一の路面電車として

僅かの間だけ使われましたが現在は運行を止めた様です。

 

この3003編成も貴重な西鉄軌道線1000系列の生き残りとして

長く活躍して欲しいです。熊本市電5014編成はラッシュ時用、

筑鉄2003編成もラッシュ時用ですが間もなく引退予定なので、

本車には頑張って欲しいです。

出来れば西鉄時代の塗色に復元(本系は900形以降の移籍ながら

直通車の為か塗色変更された)、若しくはラッピングを剥がして

ピンク色の直通色で宮島線を快走して欲しいです。

(九枚目)

京都市電時代の塗色のまま活躍する1912号です。

二つ目ライトが特徴で、「大文字」の愛称が付きます。

1957年東洋工機製で、京都時代は1928(製造時は928)でした。

1900形については別に紹介します。

(十枚目)

・そして、残り少なくなった自社発注の旧型車350形353号です。

8号線 横川駅の行先でした。

 

350形は1958年に3両がナニワ工機で製造されました。広電では

戦後、市内線用鋼製ボギー車として京都市電800形ベースの800形

(初代・1951年)、前中引戸・バス窓・コイルバネ台車に変更した

500形(2代目・1953年)、全金属車体に変更し一部は間接自動制御

で高性能試作車だった550形(1955年)が登場しており、本系列は

それに次いで当初は850形として登場しました。

 

本系列の特徴として、宮島線直通を主眼として設計された事が

挙げられます(直通許可は高性能試作車551号が最初)。

550形と違ってモーター出力が50kw×2基に向上、間接非自動

進段制御化が行われ最高速度が向上しました。

吊り掛け駆動で直通空気ブレーキです。

この後は更にモーター数を増強、間接自動進段制御で発電制動を

備えた2000形、及びその2車体連接車版2500形(現在は3100形に

改造)に進化していきます。

もっともこれら2形式と比べブレーキ性能の不足などから市内線へ

転用され、1971年に350形へ改番されました。現在も直通可能な様

ですがATS非対応の為入線は出来ません。

 

その後は1975年にワンマン化されました。現在の「ワンマン」

表示の小窓は元々の行先表示器で、中央の物は後年の新設で

現在は大型化・電動化されています。

1984年には冷房化されました。

前面は中央窓のHゴムが黒くなり、広電旧型車特有のひさし?も

取り付けられました。

 

広電の戦後型オリジナル旧型車の内、800形(初代)は早く引退し、

冷房化された500・550形も廃車され2車体連結に改造された

2000形も現役を退いています。

3100形と共に貴重なオリジナル旧型車として頑張って欲しいです。

(十一枚目)

353号の側面です。

550形までと違って側窓は通常の2段窓に戻りました。側扉は鋼製で、

Hゴムが全く使用されていません。

張り上げ屋根ですが雨樋は下側に設置されています。

集電装置は菱形パンタグラフですが、先日352号はシングルアーム

パンタグラフに換装されました。

塗色はクリームと濃い緑の市内線標準色ですが、もう他に650形しか

纏っていません。

 

台車はコイルバネ台車のNS-11です。次の2000形からは希少な

トーションバー台車となっています。

尚間接非自動進段制御の車両は現在本形式のみです。

(十一枚目)

・車庫の撮影をした後、出庫する電車を撮影しました。

この714号は1985年製700形(2代目)3次車です。

6号線 原爆ドーム前・紙屋町経由広島駅行きです。

(十二枚目

・8号線 横川駅行きは同型713号です。

いずれもカルダン駆動+抵抗制御のグループですが、714と違って

クーラーは更新されています。

(十三枚目)

・江波電停からは続いて横川駅電停まで移動しました。

その際乗車したのは最初と同じ8号線で、803号でした。

800形2次車は803と804の2両だけで、1次車や3次車と前面が

異なります。クーラーも未更新です。

 

次回に続きます。

 

参考文献   鉄道ピクトリアル NO.688 2000.7  臨時増刊号

       【特集】路面電車~LRT

       同 No.596 1994.10

 

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