撮影日   2019.10.11

撮影場所 四国鉄道文化館館内

 

前回の続きです。

今回は大変希少なディーゼル機関車、DF50 1号機です。

 

(一枚目)

・堂々としたスタイルが魅力的なDF50形です。

 

DF50形は無煙化促進の為、1957年から1963年迄製造されたディーゼル機関車です。

この形式の特徴として、後の主力となった液体式では無く電気式を採用した点が

挙げられます。黎明期の国内の大型ディーゼル機関車においては1953年の

DD50形の他、1950年代に試作された複数の機関車で見られました。

まだ全て国産部品で製造は出来ず、エンジンはスイスのスルザー(ズルツアー)社

及び西ドイツのマン社と提携して製造され、それぞれ0及び500番台となりました。

 

しかし純国産技術によって製造された幹線用大型液体式ディーゼル機関車DD51形が

1962年に登場すると本形式の製造は打ち切られ、1985年に営業運転を終えました。

その後の電気式ディーゼル機関車は1970年の釧路臨港鉄道(→太平洋石炭販売)

DE601のみが国内で製造されましたが、世界的には主流の方式で有り民営化後は

JR貨物・九州ではDF200形を製造しています。

 

この1号機は1983年の廃車後も解体されず1983年に準鉄道記念物に認定されました。

1987年に車籍復活され多度津工場で保管され続けますが、2007年に当館に搬入

されています。現在も車籍を残し静態保存されています。

(二枚目)

・箱型で大柄のスタイルで、前面には貫通扉が設置されています。

 

国鉄の制式ディーゼル機関車で箱型は少なく、DD50と本形式、DD53とDD54だけでした。

DD50は6両だけの製造で試作的要素が多く早くに引退、DD54はまとまった数が作られ

ましたが不具合が多く早期に引退、DD53は3両だけの製造でしたが除雪用として21世紀

迄残りましたが局地的な存在に終わりました。DF50は138両作られましたが、DD51等

凸型機に追われた生涯でした。

(三枚目)

DF50形は現在3両保存されています。

尚7号機までは量産先行車の為前面窓サイズや屋根の丸み等が量産車と違いました。

因みに製造数が0番台より多かった500番台の保存機は有りません。

(四枚目)

所属区名札は「知」=高知、「高」=高松でしょうか。

裾部には(昭和)57-11 多度津工と「S」=ATSーSの記載が有ります。

(五枚目)

・展示車両の横に通路が有り、高いアイポイントで車両見学が出来ます。

側面ルーバーは鎧戸タイプで物々しいです。

屋根には採光用の窓が並びます。

(六枚目)

記念すべきトップナンバーです。

銘板には「昭和31年 第877号 新三菱重工 三菱電機」と有ります。

 

本車両は車体は新三菱重工(戦後一時期三菱重工が分割されておりその内の1社)、

足回りはスルザーと提携した三菱電機です。他にも車体は汽車会社製と日本車輛が

担当していました。

500番台は足回りは川崎重工及び日立製作所、車体は川崎・東芝・日立製です。

(七枚目)

・台車です。

「オイルダンパ」や「ブレーキシリンダー」と各部にテプラで書かれています。

 

DF50形の軸配置はB-B-Bとなっています。

これは両端用のDT102です。

(八枚目)

・同じくDT102台車です。

コイルバネ式となっています。

(九枚目)

・中間台車のDT103です。

DT102と枕バネの形が違っているのが分かります。

 

オイルダンパーやブレーキシリンダー等には「57-11 TD」と記載が有ります。

(昭和)57年11月 多度津工場の略称でしょうか。

(十枚目)

運転台です。

広々としていますが、貫通路は開き戸なので走行中の隙間風が結構酷かった

のではないでしょうか?

 

床が木製という事に何よりも驚きました。

(十一枚目)

・機関士側です。

緑系の内装と青い座席が国鉄チックです。

(十二枚目)

・助士側です。

隣には0系の姿が。現役時代、並ぶ事はほぼ無かった筈です。

(十三枚目)

四国鉄道文化館は北館と南館に分かれており、最初に訪問したのは北館でした。

予讃線の線路を渡り南館に行きます。

 

何やらカッコいいものが・・・。

(十四枚目)

・南館にはフリーゲージトレインが外部展示されています。

 

因みにここは予讃線と線路が繋がっており、この様に線路が引き込まれているのが

分かります。

 

次回に続きます。

 

参考HP 四国鉄道文化館(公式HP)

     

     ウイキペディア 国鉄DF50形ディーゼル機関車