かかりつけ医 看取り医
を始めてから21年が経った。
卒業以後、元々は循環器内科に軸足をおいた総合内科医をめざしていた。
循環器の部長をしていた頃は、
患者の生死を左右する判断、それも待った無し の 即時判断を
責任者として要求された。
その訓練のおかげか、今でも決断は早い。
私の思う「かかりつけ医」の定義は
身体のこと、心のこと、病気のこと
それらの相互関連について
患者が信頼して気軽に相談できて、
その相談に対して
専門的知識や経験から
納得できる
アドバイス
必要に応じて適切に 専門医へと紹介してくれるドクター。
今月号の日本内科学会誌は
このようなタイトル。
でI-Ⅶまで タイトルがついて解説がなされている。
それぞれの専門家が己の名誉をかけての力作の 論文 になっている。
が、残念ながら、専門用語や略語や「アンラーニング」や「コンピテンシ-」などのカタカナ英語や、とにかく両肩にガチガチの力作過ぎる。
若い先生達がこれを読んで、「なるほど!、明日からかかりつけ医に なろう!」
という気になるだろうか???
なんだ?これは と 思うのは
たとえば、表紙の
Vのタイトル:「病と解釈学的医療に基づいた診断・治療戦略 PPSを中心に。」
なんて書かれても・・・・なんのことだか???
タイトルからして「読む気にならん」
と読み飛ばされるに過ぎない。
1980年来45年間医療者として生きてきて、
私は 医療の原点は
「患者さん本人を支援する総合的なプロ」
に尽きると思っている。
具体的には
自身の専門的知識、経験的知識、コミュニケーション能力を通じて
患者さんに わかりやすく説明→理解→納得→結果(たとえ死亡したとしても)の満足を届ける。
それがドクターのプロとしての役割だと思う。
大きな病院で勤務していると、とかく 自分の専門領域 のみからエビデンスを通してのみ
相手を説得しにかかる そういう傾向になりやすい。
説得されない患者は、忙しいので相手にはしない。
納得→満足 の医療は、説得によってではなく
わかりやすい説明→理解 によってもたらされるものである。
これまでも日本内科学会誌は、医療・医師の質の向上をめざして、その時代時代の問題点に着目して、
トピックスを決めて 専門家に原稿を依頼している。
依頼された方は、「学会誌から原稿依頼が来た!」
医者になってこんな名誉なことはまたとない。
末代まで語り継がれるような立派なモノを書き残したい。
そう思って腕にヨリをかけて力作品を書く。
が、力が入れば入るほど、相手には伝わらない内容や今回のようなタイトルになってしまう。
今月号読んでてもったいないな・・・
と思う。
私のように元内科医が、
「かかりつけ医」になって「看取り医」になって 20年以上経過すれば
今月号の内容はやっとこさ読み取れるが、それでも相当ムツカシイ。
人に何かを伝えたいならば(患者に理解をしてもらうには)
相手のレベルや目線に下りて、相手によって説明方法を柔軟に変える。
そういう姿勢を要求される・・・・
今回の学会誌、
患者さんにとって理解できる 説明 ができるドクター
が書いてればもっとわかりやすい内容になったろうに・・
力作過ぎて伝わらない もったいない・・・・






