イセザキ警察から外来中に電話が来た。

 

「Kさんが今朝腐乱死体で発見され、ポーラのクリニックに通っていたとのことでお伺いしたい」

 

病名

アルコール依存症 睡眠障害 糖尿病

を告げた。

 

初診は?  20年前です。

最終診は?  昨年11月でした。 年に4回ぐらい通院してました。

 

と答えてそれで終わったが、話せば長~~~~~~い患者さん。

 

37歳にて初診。

当時は心療内科を標榜して、週一回のメンタルドクター(女性)に助けてもらっていたが、

このドクター「せんせい。ゴメン 私には荷が重すぎて、やめます」

と退職してしまった。

それからしばらく 自分でニセ心療内科医をしていた。

その頃、Kちゃん(当時 ちゃん呼びしていた)は受診した。

主訴は 「パニック発作」であったが、よーく話を聞いてみると根深い 奥深い

ドロドロの人生背景がフタを開けたように出て来た。

 

私がことぶきから学んだこと、「人生の生承転結」 と 人間にとって大切な三大重要「居場所・生きがい・自己肯定感」はKさんのような患者さんと知り合うようになって気づいたことである。

 

Kさんは青森生まれ。

父はバイクで田んぼに突っ込んで、足が腐って死んだ。

母は9歳年下の男と再婚し、二歳違いの弟と一緒に横浜へ。

「途中 列車の窓からつり下げられた。死ぬかと・・・」

というから体罰厳しい母であったのだろう。

新しい父はのんべで厳しかった。

しょっちゅう「勉強しろ オマエは頭悪いんだから」とか「どうぜ高校に行かないんだからいいか」とか・・・。

家には休まるところは無かった。唯一安心できるのはともだちだった。

高校は夜学に行ったが続かず、日雇い 派遣 いろいろ転々。

酒はそのころから飲み始めた。毎日 相当な量。

結局行き着いた路上生活をしていて拾われた組織の斡旋で生保につながり、ポーラのクリニックへ。

 

 

自分の性格については こう自己評価している。

おだてられるとすぐ調子に乗っちゃう

都合悪いと直ぐ黙っちゃう。

得意科目は 体育  国語。

不得意は その他 全部。

 

 

などなど

いろんな話を聞く外来を4年くらい続けた。

処方薬は 高血圧  鬱  睡眠 への対策内容。

 

しばらくすると、私の外来日ではない水曜に通うようになった。

ナースに語った理由は「ヤマナカ先生きびしいから・・・」

 

紹介したアルコール依存症専門クリニックにも不定期通院となり、

結局は生保のお金で毎日 飲酒。

居場所も生きがいも 飲酒  でしかなくなっていた。

それでも受け止めてくれた水曜日の外来の先生(最初は男性のN先生次に女性のY先生)

達は彼を否定すること無く、話をきいてもらって糖尿と血圧の薬を続けていた。

飲酒による肝機能の悪化がバレるのが怖くて 採血は逃げ回っていた。

 

皮膚の状態が悪くなると 他の皮膚科に通院していたから、よほどヤマナカを避けたかったのだろう。

 

昨年 11月、気管支肺炎のためやっぱり水曜を受診し、点滴治療を1度受けて以来受診することは無かった。

その際に点滴した看護師に 別れ際に

「ありがとうね」

と告げたそうである。

 

ウチのクリニックの職員みんなならではの都市伝説がある。

 

これまで ありがとう を言ったことがない患者さんが 「ありがとう」を告げると

当院のスタッフは心配になる。

だいたいその後しばらくして亡くなることが多いから。

 

Kさんも都市伝説のひとりになった。

 

生承転結

生:どこに生まれ 誰を母や父に持つか? いわゆる“親ガチャ”

承:その後、誰にどこでとのように育てられるか?

転:思春期 反抗期 をどのように経過したか?

結:人生最後の章を どのように描くか?

 

「それって自己責任だろ!」

生と承でアルコール依存症に至るべくして至ったKさんの転じ方と結び方は

彼のたどった人生背景から考えるに、避けられないものだったように思う。

 

「もうそろそろかな・・・・」

と自分にしか分からない感じられない流れを感じての

「ありがとう」だったのかな・・・

 

都市伝説は偶然では無い気がする。

 

 

ご冥福をお祈りします。

 

 

92歳  南区簡易宿泊所のマドンナが今朝 自室で亡くなっていた。

昨日熱発して今朝亡くなった。

今年に入ってから急に寝ていることが多くなり、食事も介助。 その食事中にも寝落ちすることがあった。 典型的な老衰兆候。

 

4年前に鶴見区の生保担当から、簡易宿泊所の方にSOSの入所依頼があった。

「市営住宅にて87歳。 徘徊がすごくてどこでも行っちゃうが 帰れない。」

これがSOSの理由。

 

入所後の介護度は 要介護4。

バリバリの認知症だが 自分で移動できる(移動しすぎるのであるが・・・)ので

要介護5にはならなかった。

よほど じっとしてるのがキライなのだろう。

入所後もその周辺を 一日中歩き回っていた。

 

南区簡易宿泊所の入り口のトリオのひとり。

看板娘だった。

トリオのもう一人は昨年10月に亡くなった「柳田邦男さんへの反論的」ブログの主人公。

この主人公75歳の鳥に似た顔のオジサンは17歳年上の目鼻立ちの整ったマドンナに恋をしていた。

 

トリオ残りのひとりはあいかわらず、独りになっても

「はい いらっしゃいませ ありがとうございます」

を今でも入り口でくりかえしている。

 

この南区の簡易宿泊所の住人たちは、どの人をピックアップしても小説のモデルになりそうな人達ばかり。

波瀾万丈の人生を経過してきた

その人達が晩年にここに集まり、微妙にバランスのとれた平和な集合生活の毎日を過ごしている。

 

ポーラのクリニックではここにかかわる介護の人達、ケアマネさん達と月に一回のカンファレンスを行って治療方針や介護方針を決めている。

 

認知症の人達、ワケありの人達、貧乏で居場所を失った人達の終の住処がここである。

かかわる我々の常識と一般病院の医療者との常識が大きくズレていることが多く、

そのズレ内容がこのブログの題材になることが多いのが現実。

 

どっちが正しい?

と訊かれたとしたら、

我々の常識の方が、うわべの体裁や社会の決まりにとらわれずにその人本質につきあった常識なので、自信満々に「われわれ!」と答えるに違いない。

 

〇〇さん ご冥福をお祈りします。

死に顔も美人でしたよ。

<<リビング・ウイル(私の希望)>>

 

〇 死が迫っている場合、意識の無い状態が長く続いた場合は、死期を引き

延ばすためだけの医療措置は希望しません

 

〇 ただし私の心や身体の苦痛を和らげるための緩和医療ケアは、麻薬なども

含めて十分に行ってください

 

〇 以上の2点を私の代諾者や医療・ケアにかかわる関係者は繰り返し話合い

私の希望をかなえて下さい

 

〇 危篤状態の時には

□ 家族へ連絡して下さい   

□ 連絡は希望しない

 

〇 病院にて治療行為が終了の際は

□ 今の居室に戻りたい

(→ポーラのクリニックと訪問看護が最期まで担当します)

□ どこかに入院・入所して最期を迎えたい

 

 

 

お名前  

----------------- 

 

(自署不能にて)

代筆                               (ご関係:             )

----------------- 

 

 

年   月   日 作成

 

ポーラのクリニック

院長  山中 修

 

私達が毎日の診療や看護で携わる患者さん達は、寿町などの簡易宿泊所に独居する人達なので尊厳死協会からのリビン

ウイルに加えてポーラのクリニック版を作成しました。

 

今年から入院する場合は入院前に、入院しなくても初めてお会いした時になるべく早めに、あるいは本人を交えての介護の方達との会議の際に、この意志を確認して、病院への紹状状に添付しようと考えました。

お世話になった入院先の担当者たちもこの書面で方針を決定してくれるので連携が円滑に進むと思います。

 

家族には知らせないで欲しい、とか、知らせられた家族のほうが「知らせなくて良かったのに・・・」とか、「ずっと探してたんです。知らせてくれてありがとう。」とか。

「骨になったら引き取ります」とか「そちらで処分して下さい」とか。

ほんとにいろんなパターンがあります。

 

 

また、患者さん本人も、「先生達に看取られたい」から「コトブキなんかで絶対死にたくない」とか、「死に逝くときは不安なので誰でもいいから橫にいて欲しい」とか、

いろんな考え方が人によって異なります。

 

いずれにしても、本人の希望に沿って決めて行くことが人間の最期には大切なことだと思います。

 

「二度とない人生の終焉を自分の好きにさせて欲しい」

人生会議やエンディングノートになるとなかなかハードルが高いので、ポーラのクリニックではこの形にしました。