〇〇さんが昨日日曜朝に急死した。

68歳。

2年間のおつきあい。

3年前 脳梗塞で左半身麻痺。脳血管のバイパス術を受けて、長期リハビリの専門病院へ。

 

退院後、単身独居の元アパートへは戻れず、南区の介護付き簡易宿泊所へ。

入室後すぐに転倒して左腕を骨折。また入院手術。

 

退院後、持病の糖尿病+慢性腎臓病+慢性痒疹のためヘルパーさんに連れられ、

南区からの搬送車通院。

要介護2で開始したが、介護点数不足のため、ケアマネさんと相談して区分変更。

要介護4にランクアップした。

介護申請書には家族構成や社会背景をチェックする項目が無い。

「家族の支援ありき」で 判断されているかも・・・

と思われる判定もしばしば。

その際は、

「単身独居で自分ではアレもできないコレもできない」

と明確に附記すると、〇〇さんの様にいきなり二段階UPも夢では無い。

 

糖尿病の影響で足が壊疽。

昨年片足切断のため、2ヶ月弱入院。

 

この2年間難治性の痒疹で「かゆくてかゆくて」

苦しんだ。

 

大卒らしく理解力良好。

 

認知症はなく長谷川式検査は29/30とほぼ満点。

 

結局、ベッド上の生活となり、訪問診療継続で、

外出することも無く、簡易宿泊所の隣室の認知症の患者にさいなまれ、

痒みとの闘い中。コロナに7/19に感染。

ストレスから急性胃潰瘍と思われる吐血が気道へ。

泡吹いて窒息急逝した。

 

病死であるので、診断書記載。

念のため写真をとっておいた。

あらためてみても、こんな泡がどっから出てくんだ??

とマンガの吹き出しみたいな不思議な泡の量。

 

ケアマネさんが過去歴を教えてくれた。

大卒。大酒家。会社つとめができなくなり、この周辺で掃除の仕事。

その際「知り得た寿町、「だけはいや」と、退院時は南区簡易宿泊所を選んだ。

 

同年代の彼女さんがいたそうで、

足切断後はその彼女さんも訪室しなくなった そうだ。

 

彼女さんが受け取りの生命保険があったとかなかったとか?

定かな情報ではないが、本当なら死亡診断書が必要となる。

 

直接死因 吐血窒息

その原因 急性胃内出血

誘因と考えられる疾患 状態  COVID19感染。

 

婉曲的には コロナの犠牲者である。

 

大変な3年間、その前も大変だったかも・・・

おつかれさまでした。

よく休んでください。

 

合掌

一昨日、戸塚オケの本番は成功裏に無事終わりました。

 

外来終了して大急ぎでかけつけ、本番には余裕を持って臨めました。

 

患者さんを含めて多数の方々にお越しいただきありがとうございました。

 

今回のメインの田園(ベートーベン)は、

やったことがあるみなさんやプロの方々が、

「いやー田園はムツカシイから」

といわれる選曲でした。

 

が、たゆまぬ練習とチームワークと、指揮者の解釈解説実行などが結実して、

皆が「イイ演奏だった」と満足できる結果でした。

 

田園らしく、明るく原色で臨もう。

とのお達しで、私はめったに着ない色のオレンジカラ-。

ビオラの一番前の赤シャツがわたくしです。

お達しがあってから、

「よし!」

とわざわざ銀座にまで出向いて購入した麻の製品。

ユニクロじゃ無いんです。

高かったんです。

このシャツのまま午前外来やって鎌倉芸術館へかけつけたのですが、

患者さん達から不評ではなかった(思っても言えないでしょうが)ので、また着てやろうと思っております。

 

さて、本題のオケと看取り。

共通点の箇条書き。

〇一人では絶対にできない。

〇パートごとのまとまりが必要。チームワーク。

〇ゴール設定が明確でないとダメ。指揮者と主治医の指示力。

〇パートごとの連携と連帯感が必要

〇観察力を研ぎ澄まし、変化に応じて臨機応変な対応能力

〇リーダ-の役割(指揮者・主治医)がとても重要。

〇うまくいったときの達成感が大きい

〇主役が、オケでは団員+聴衆、かたや看取られる患者さん+看取りチームのメンバー、と人間の感性に依存しての結果。

 

どんな職種でも同じことがいえるのではないだろうか?

それに気づかせてくれた演奏会でした。

 

また来年 冬。

次回はチャイコフスキー5番です。

大曲。

楽しみ。

 

 

この鞄の年齢は50歳。

11年前に亡くなった父親が、

50歳の時に三重県鳥羽市で友人の開業医から

診療所を継承したとき以来、30年間、

往診鞄として使っていたもの。

その後私がバトンを引き継いで20年使っている。

 

私がポーラのクリニックを横浜にて開く旨伝えたとき、

息子が帰ってくることをあきらめた父は、

後継者探しをしたが候補者は見当たらず、

自身の「加茂診療所」を閉じる決心をした。

その「加茂診療所」の建物は現存し、改装され、現在は一般家庭になっている。

 

私はこの鞄を継いで20年。

父と同じ50歳で開業したので、

本日の誕生日で古希となる。

 

当院へ16年間かよってくれている

Kさんは 生活保護を受給しているものの、

どうも、昔の仕事の裏金プールがあるらしく、

財源はたんまり。

趣味の釣りに毎月出かけている。

それも、対馬や瀬戸内海、そして鳥羽。

自称81歳らしいが、

この人の歴史は波瀾万丈らしいが、

どこまでホントか? よく分からない。

このひとのストーリーで一本のブログが十分にできあがるが、

どうもまゆつばものも多そうなので、本日は控えておく。

が信じられるのは、Kサンの常用の鳥羽の釣り宿民宿の話。

 

前回の外来で、

「加茂診療所の息子に横浜で受診中」

と宿の人に言ってみてね。

 

と伝えたら、

今日の外来で、

「カモシン(加茂診療所と通称)の先生はこの辺の人ならみんなしっとる」

「かねもうけのへたな親切でめんどくさがりのせんせいやった」

と、

報告してくれた。

 

カモシンは

夜間、離島から呼ばれて船に乗って往診したことも度々。

財布を持たないので、ズボンのポケットに無造作に一万円札を入れる人だった。

往診に行くと、その日は計算できないので医療費をもらわず、逆に座ってた座布団の上に

こぼれ落ちた万札を置いて帰る。

そんな父親に

だんだん風貌もキャラも似てきた。

 

本日古希を迎えるが、

父は80まで往診したので、

それを越えてやろうと

思っている。

朝 出勤したら、

スタッフから、

これかけてとティアラにたすき。

カンファレンス後に写真。

わーわー きゃーきゃ-

にぎやかな 誕生日の朝になりました。

ティアラ100円+ たすき100円

計200円の出費でしょうが、

ありがたさはウン万円以上です。

みなさん ありがとうございます。