1/15の土曜日にオミクロン感染が判明した患者さんが、

10日たったので、いつものお薬をもらいに

今朝 来院された。

10日の年季があけるのを待っての来院。

 

もともと、35.6の平熱が当日36.7度にあがって倦怠感があったのだが、

その後は? と聞いたら

「倦怠感のみ数日。他はなにもなく、家にいました」

同行した同居の夫さんに顕性発症することなく、無事10日間が過ぎた。

 

この患者さんからの質問が、予想どうり。

「ワクチン3回目の接種券が届いたらどうしましょう?」

 

お返事は、

「届いたとき考えましょ。でも3ヶ月くらいは感染免疫抗体があるはずだから・・。」

「そのころになると、オミクロン騒動はおさまり、平穏な社会になってるか?

次のΠ(パイ)がどっかから現れるか?」

「そのとき考えましょ。オミクロンのおかげで3ヶ月観察猶予ができて良かったね」

 

と。

まじめな性格の女性なので、

「猶予ができて良かったね」

の発言には、笑う余裕はなかった。

 

だいたい、この種のジョークが通用しないひとはワクチンにこだわる。

今週からまた、

ワクチン質問が増えた。

「接種券きたらどうするのがいい?」

 

回答

1.ご希望ならうちましょう。当院はファイザーです。

2.オミクロンの症状経過は軽いので、オミクロン騒ぎが収まる2-3週後の社会をみて決めましょう。

3.あなたは副反応がけっこぅ強かったので、3回目はやめておきましょう。

 

のどれかになる。

 

ワクチンへの考え方に国民性を感じることが多い。

だれだったか、ワクチン反対派のドクターが「大本営発表」という表現を使っていた。

 

ニッポンが戦争へと突入していった国民性は、言うまでもなく

集団心理、村八分恐怖、みんなと同じである安心感。

「みんながやってるから」

で総火の玉となり得た。

 

ここに、戦後の特有の植え付けられた民主主義が根付いて、いまの、政府・分科会・知事、マスコミ常連の先生方の発言が「大本営王道」となった。

 

この「王道」を覆させるだけの証拠や論破能力は私には無い。

 

しかしながら、

今回失言した尾身先生の「本音正論」に一票を投じたい。

 

オミクロン、3回目ワクチン。

これから2-3週間。

悩ましい選択になるであろう。

 

個人的には副反応の方が コワイ。

子供達には本能的にうちたくない。

71歳の女性。

当院かかりつけ。

娘さんは昨年第5波ですでに罹患済み。

 

今朝、電話で聞いた今回のご本人の症状。

「3日前からカラダがすこし怠い。熱は平熱より一度高くて36.7度。右鼻が少しつまる」

のみ!

従来の目の充血や咽頭痛や味覚障害、づつうなど聞いても一切なし。

 

(オミクロンだと症状ではわかんないから・・・・・)

と思いつつ、

夫と二人で来てもらい当院の特別待合室へ。

 

抗原検査にて、 妻 即 陽性。

昨年6月に二回のファイザーワクチンを当院で受けた人だ。

 

検査前のビニール透明カーテン二枚ごしでの視診・問診では

けろっとしてる。軽い倦怠感とはなづまり。

(鼻風邪以下じゃん、コレ)

と思った。

 

これまでの株なら、視診でなんとなく陽性・陰性が分かったが、

今回のはまったく予測できない。

 

報道されている通り、

感染性は強いが病原性は弱い。

その実例である。

 

もしも、オミクロンでコレが平均的症状ならば、3回目ワクチンなんかうつよりも、

早めにオミクロンに罹患してブースタ-免疫もらっちゃった方がオトク、とさえ思えてくる。

 

ワクチンによる副反応は、TV報道されるよりも明らかに臨床的には頻度多く経験される。

コレまで経験の無かった皮膚炎や口腔内炎症、口角炎、不整脈の訴え(モデルナ)や血小板減少などなど。マカ不思議な訴え症状は、「副反応」と断定できないだけで、きわめて怪しい?

と聞かれたら、「脈絡的にそうとしか考えられない。」と答える。

 

この女性のオミクロン症状で免疫もらえるなら、今後3回目ワクチンをうつリスクと比較してどうじゃろう??

と考え込んでしまう。

 

これから1ヶ月間が正念場。

アメリカやイギリスのように、放置して何万人何十万人と無料の自然オミクロンワクチンにて抗体を持たせる、

そんな勇気ある社会的集団免疫療法が、この政府とこのマスコミに操作されたニッポンのポピュリズムに容認されるようになるのであろうか??

 

と考えさせる。

そんな一例。

 

今朝の午前中の診療を終えて、

速報的にUPしておきます。

 

長い間医者してると、記憶にのこる患者さんが蓄積されて増えてくる。

 

MMさん(享年74歳男性)も、これからもずっと憶えている患者さんのひとり。

印象が残る理由の一番は笑顔。

そして、ひとりで楽しんで笑顔で生き抜いた姿。

 

1/10 の成人の日。午前11時に亡くなった時も「笑顔」だった。

単身独居で重篤な疾患を背負ってもなお、

笑顔で人生の物語を終えたMMさんに敬意をおぼえつつ、

このブログを遺しておく。

人は亡くなっても全てが消滅するわけではない。

人々に記憶を遺していく。

 

はじまりは、2017年の12月に戸塚区のケースワーカーと面倒見最高の男性ケアマネAさんに連れられての初診だった。

 

病名)

悪性リンパ腫ステージ4にて大腸右半分と右側のタマタマ切除。

その後化学療法を3回施行中に上野に出かけて、階段転落。

外傷性くも膜下出血のため都内大学病院入院。

以後、自分での排尿が無く尿路バルンカテーテルの生活に。

横浜の大学病院に戻ったものの、元々の難聴・筆談、寿町での単身独居、尿カテーテル留置、

にて担当医は4回目の化学療法を断念。

「看取りをお願いします」

と紹介依頼された。

 

生まれは四国。

姉4人、兄ひとり、末っ子。

33歳時に兄と合わず家を出て横浜へ。

結婚歴1回で離別。子ども無し。

 

ほんとにひとりぼっち。

 

みとりを視野にチーム結成。

簡易宿泊所の帳場さんは女性。

看取りには慣れてない人。

まずはこの人の教育から始めた。

 

数ヶ月で亡くなるのかな?

と思っていたら、元気元気。

バルンカテをぶら下げて戸塚や上野まで出かけるようになった。

 

どうも上野には友人が居るらしく、

「今半のすき焼き」を食べて、映画鑑賞(ポルノ三本立て 爆笑)を楽しみにして出かけていた。

 

そんなこんなで、

本人は「死ぬ気がしない」

「死ぬんならここ(簡易宿泊所)だと不安だなあ~」。

との発言。

 

病名上は一応「悪性リンパ腫の末期」なので、ホスピスへの入所資格はあるので、

(逆にホスピスは癌で無い疾患では入れない。)

かつての勤務病院である国際親善病院に体験入院をしてもらった。

退院後は、

「先生、ここでいい」

と覚悟をきめて簡易宿泊所で訪問診療を継続。

 

四国を飛び出し、女房と別離、上野に遊びに行くことを楽しむ自由人には、ホスピスの集団生活やスタッフへの気遣いや外出散歩に縛りがあることが苦痛であった。

 

難聴・筆談に関して、耳鼻科に相談したら、「みみあかです」。

耳垢取り除いてもらったら片側の聴力回復。

まったく聞こえないままのポルノ映画、3本もよく見ていたモンダと感心した。

 

そんな、彼の一番の特技が 笑顔とご挨拶。

訪問してドアを開けると、笑顔で「あ、せんせー」と、診察が終わると、

「ありがとうございました!」と関西なまりと笑顔。

看護師やヘルパーに一番人気だった。

 

看取り宣言して4年。

熱中症入院2回、肺炎2回、そして骨髄異形成症による貧血のための輸血4回。

次第次第に体力が低下。

白血球は1400まで低下。

発熱が多くなり、

ヘルパーさんのお粥も年末から食べられなくなり、

1/7最期の訪問時に

「ウンチがしたい」

と希望。 ポータブルトイレに座らせたら予想どうり、意識消失。

ささえて声かけ、意識回復して排便たっぷり。

1/8から 訪問時のヘルパーさんから逐一状況報告を受け、

ヘルパーさん達を激励しつつ、救急車を呼ばない勇気をもってもらって、

そして、1/10の成人の日に逝った。

 

ヘルパーさんと私、

「死に顔でもまだ笑顔だね」

と、二人で笑顔。

 

昔からよく思うが、

「アナタが笑うと世界も笑う」

笑顔は平和大使である。

 

MMさんの笑顔はずっと語り継がれていく。

 

おつかれさまでした。

笑顔をありがとうございました。

 

ご冥福をお祈りします。