が発生する恐れがあるとして、

横浜市内の小学校や中学校が休校になったらしい。

 

今、外来で診察しながら

「どんなんかな~?」

と窓の外をみてみた。

 

しょぼしょぼと秋雨が降っている。

線状降水帯とはほど遠い。

 

学校を休みになった子供たちは、大よろこびでゲームなどをしているに違いない。

 

これから先は

昭和生まれの ジジイの独り言として・・・。

 

この決定への違和感。

 

本来、教育というものは

将来社会に出たときの自分の判断力決定力を培っていくための重要なプロセスだと思う。

集団生活や部活などを含めて、経験し判断し自己実現を目指して生きる方法を身につけるチャンス。

 

天気予報能力の精度は

昭和と比べて格段に進歩している。

下駄をぶん投げて表は晴れ 裏は雨  横向きは曇り なんてことを言っていたのが懐かしいが・・。

今は1週間先の天気や最高気温までよく当たる。

 

その情報を下に、役所が「危険回避通知をしなかったから 子供が死んだ」と言われて、

記者会見で謝らなければならないことを回避するために「休校」という判断を下したのだろう。

 

子供の頃、水たまりを歩くのが好きだった。

雨の日の楽しみの一つであった。

 

6歳の頃、今で言う線状降水帯であろう。

夕方の大夕立ちの時、黄色の雨合羽と黄色の長靴を履いて、

父親を駅に迎えにいくのに洪水の舗装道路の横端をチャップチャップと歩いていたら、

突然にズボッと胸まで水につかった。

側溝に落ちたのだ。

とおりががりの親切なオジサンが両手を引っ張りあげて出してくれた。

「助かった・・」

と思った。

 

こういう危険を未然に回避するための休校決定であろう。

が、休んだ子供が外に出ない という保証はない。

 

地震や火事や台風や集中豪雨など、今の時代次々と天変地異が起こる。

「今日は線状降水帯の可能性があるので、前もって学校は休校にします」

と、

「安全のために大人が決める」

ならそれは教育ではなく「管理」であり、

将来 管理されないと決められない社会人となる。

 

気象情報を収集する。

自分の自宅周辺の浸水しやすいところを知る。

交通機関の運行状況を知る。

判断決定し行動に移す。

 

ぐらいのことは中学生になったら出来るのではなかろうか?

その思考判断決定プロセスが予見できない地震や火事の際の対応能力育成教育になるんじゃないの?

 

これから長い人生。

人生は思考判断決定→ 分岐点でその都度、「右に?」 「左に?」の選択 の総和で創られていく。

自己管理のチャンスを奪う”教育”?

 

しとしとと降り続ける雨をみながら、

患者さんは少ないので、

違和感をブログってみた。

 

 

 

 

 

 

 

原発性胆汁うっ滞性肝硬変からの肝臓がん  高度食道裂孔ヘルニア  胆石  両側膝関節置換術後  大動脈弁置換術後 肺性心による右心不全・三尖弁閉鎖不全症    右肺尖部陳旧性肺結核にて在宅酸素療法  膵管嚢胞症  肺高血圧(肺性心) 帯状疱疹後後遺症神経痛

 

こんなに多彩な病名を持ちながら91歳まで明るく生き抜いたKちゃん(私らはこの女性を1St NAMEでこう呼んでいた)が、最期を迎えるために今年の春から入居していた○○館(全国展開の看取りの看護付き居住施設)にて、先週息をひきとったと息子さんから電話報告をもらった。

 

Kちゃんには子供さん二人。一姫二太郎。

男の子は軽い精神障害のため結婚することなくKちゃんと二人で生活していた。

 

Kちゃんの初診は2018年。

階下の南天堂鍼灸院からの紹介だった。

長い間帯状疱疹後の神経痛に苦しんで、口コミ噂での南天堂受診。

南天堂の先生からの「ポーラのクリニックに相談してみたら?」でおいでになった。

 

センスのいいお洋服でとてもおしゃれ。

装飾品もトシの割に派手ではあるが、よく似合っていた。

趣味はシャンソンを歌うこと。

ぴったりの雰囲気であった。

 

「東京の大学病院の麻酔科ペインクリニックにてもらっていた軟膏がほしい」

とおっしゃったが、壺に入っていて名前も分からない。

お薬手帳に載らないモノらしく、処方してあげられなかった。

このため、大学病院のその先生にお手紙を書いて問い合わせたが、

「秘伝であり教えられない」という今時あり得ない返事が返ってきた。

 

このイジワル医者の軟膏をもらうため、Kちゃんは毎月一回一時間半かけて通院を余儀なくされた。

帯状疱疹神経痛の軟膏ををわざわざ毎月通院してもらいに行っていた。

 

そのうち、体力の低下のために通院が不可能に・・・。

仕方なく、こちらで出来そうな貼り薬を見つけた。

準麻薬みたいな鎮痛薬だった。

それを処方するにはE-ラーニングの勉強をして資格入手が必要なシロモノだった。

 

「しゃーない いずれ他の患者にも必要になるだろう」と考えて受講して処方可能な資格を得た。

 

以後、Kちゃんには肝臓疾患→肝臓がん、 心不全→弁膜症、 労作時息切れ→肺疾患 酸素吸入と、次々に病気がみつかってしまった。

 

しかしながら、Kちゃんは強かった。

ニコニコ笑いながら「しかたないわよね~ ながいいきしたんだから・・」

ですべてを受け入れた。

 

それでもがんばって、

5年前は大動脈弁置換のカテーテル治療を、

3年前は肝臓がんへのカテーテル治療を気丈にうけていずれも奏効していた。

2010年にはすでに両膝の人工関節手術を受けているので

「もはやサイボーグね」と笑っていた。

 

この気丈なKちゃんのせいで私と看護師一人は2年前の6月にひどい目にあった。

外来に来て、「今日は咳と痰が出るのよ」とケロリという。

熱は37℃。 「痰は汚いのよね」というから、近づいて肺に聴診器をあてた。

「大きくいきすって~   吐いて~」とか診察して。

元々結核で肺が壊れて酸素療法をしているので、「肺炎かな?」と思ってレントゲンを撮ることにした。

レントゲン室の密室でセッティングした看護師がその二日後にコロナ。

診察した私は看護師の翌日にコロナを発症した。

 

二人にコロナをうつし終えたKちゃんはその後スイスイと良くなっていった。

 

ところが、その頃から肝臓がんの再度成長がみられた。

体力的に再度のカテーテルは危険・無理と判断し、自然経過にて観察の方針を長女に説明した。

在宅看取りの話も提案したが、長女は家庭をもち、長男は障がい者。

Kちゃんはホスピスを決断希望した。

そして2年後の先週、半年間滞在した○○館施設にて亡くなった。

最期がどのようであったか??

報告書が来ないので分からない。

 

苦痛がないようにしてくれるべき施設なので、苦しまなかったのだろうと信じる。

 

ご冥福をお祈りします。

 

享年73歳。

 

仕事歴は26歳から29歳までトンネル掘り。その後はコンクリートミキサー車のドライバ-として

68歳まで働いた。63歳頃から横浜市内の女性宅に同居。そこには息子もいるので三人暮らし。

ところが、住居契約上 居候禁止であり、またその息子との喧嘩が絶えないため、区役所に相談。

 

結果、本年4月に寿町内のはまかぜ(路上生活者のための一時収容施設)に入所。

入所後は、自身の部屋も覚えられない、トイレが間に合わないなどの認知症症状が目立ったため町内の診療所を受診。 肺がんの脳転移と診断された。

 

はまかぜはもともと一時的入所先であり、その後の居場所に一同困窮してたので、南区の簡易宿泊所へ入所させてもらった。

認定では要介護4が出た。

 

生活保護にもつながって 要介護4。 

居場所の確保もできたが、いかんせん本人の理解力が・・・・。

 

肺がんの脳転移なので、がん末期であるが、

その説明が入っていかない。

元気がない。 顔が暗い。

うつの原因は同棲人宅にいた犬とのわかれ。

ペットロスである。

 

私の頭の中では、肺がん脳転移のSさんでというより、

ペット・ロスのSさんとインプットされた。

 

入所当初は歩けた。6/29に外出先で転倒、救急車で市立脳卒中神経脊椎センターへ。 

担当医は大学病院での転移性脳腫瘍への外科的治療も視野に入れて電話連絡をくれたが、

身の上を説明して退院としてもらった。

退院後は徐々にADL低下。

7月中は 宿泊保内のみ歩行可能

8月食欲低下。立ち上がれなくなった。

8/21に飲食不能。苦痛を訴えはじめたのでフェントステープ(麻薬)開始。

その三日後の

8/23の16:58に呼吸が止まった。

 

死亡確認に行ったら、左側の大きな窓を向いて大きな口を開けて亡くなっていた。

 

私独自の死に顔判断からすると、決してハッピーな最期ではなかったように見えた。

認知症もあるのでなに考えて亡くなっていたのか分からないが、独自の軽々しい勝手な憶測判断では、やはりペット・ロスが効いていると思ってしまった。

 

唯一の救いは、気持ちを推し測った帳場さんが簡易宿泊所の近くを歩いていた野良の子猫を無理矢理捕まえてきて、まだ歩けていた頃の本人に抱っこさせることができたこと。

 

このときの写真を載っけるが、全表情をお見せできないのが残念なくらいの満面の笑みである。

 

ベッドサイドの本人の貴重品袋にはこの写真もあった。

若い頃から無類の動物好きだったことがうかがえる。

 

虹の橋の上で一杯会えますよ。

 

ご冥福をお祈りします。