昨日80歳で亡くなった患者さん。

要介護5。

歩けない座れない状態。

Bed上寝たきり。

会話は可能。

自分で食べられる。

令和2年に、病院退院後からの訪問診療をケアマネさんに頼まれて

コトブキの簡易宿泊所で診ていた。

 

行くたびに、悪態。

「いいから何でもないから 元気だから 来ないでくれ」

「医者いらないんだから 薬も出さないでくれ」

眉間に皺寄せて怒る。

5回に1回ぐらい機嫌よく、「ありがとう」とか言う。

 

この5年間で二回入院。

1回は熱中症による脱水。

彼の部屋は西向き。

部屋は介護用に広く改装(かつて2部屋だった壁をぶち抜いて一部屋に。介護ベッドなどが入っても十分なスペース)されている。

このため、窓の数が多く夏の日差しは厳しく入る。

エアコンは一機あるが、患者自身で温度調整管理ができない。

このため 熱中症になりやすい。

昨今は介護ヘルパ-さんたちの熱中症への意識も高まって未然に防ぐことができている。

 

もう一回の入院は意識障害+腸閉塞+誤嚥による肺炎。

タバコによる肺気腫に喘息持ち。

入院先では、本人の意志確認不能、家族不在のため

医療者のカンファレンスによるコンセンサスを経て

経鼻的イレウス管、中心静脈栄養、気管内挿管による人工呼吸

にて救命され、

帰宅後 元気になり 悪態。

 

それでも以後は禁煙がまもられ 退院後3年。

内服拒否のまま

月一回の訪問診療を悪態ついて受け

週一回の訪問看護を半分拒否しながら受け、

ご飯とオシモの世話をしてくれる介護は

快く受け

昨日まで生きた。

来月81歳になる寸前だった。

 

先月訪問時の状況や訪問看護からの報告では

急変する病態ではなかった。

昨日朝のヘルパー訪問時は

喘鳴(呼吸状態で異常)が軽くあったそうだが、

本人は 「苦しくない」

とのことで、夕方訪問まで人の目が入らなかった。

夕方のヘルパー訪問時心肺停止。

 

気が動転したヘルパーは

あわてて救急車を呼んだ。

呼ばれた救急隊員は司令部へ連絡。

司令部勤務中の救命指導医から

「搬送不要 警察連絡」

の指示が出た

ところで、山中に報告電話が来た。

在宅看取りではなく、病院搬送後死でもなく、

孤独独居死でもなく。

 

本人は

「もういいよ!」

「何にもしないでくれよ」

と怒っているに違いない。

 

医療は望む人には感謝されるので心地良い職業だが、

望まない人には大きなおせっかい・介入である。

コトブキにいる人達は、

「その日元気でくらせるなら それでいい。」

で達観している。

言い換えれば

「今日は元気なんだから ほっといてくれ!」

と眉間に皺よせて 怒ることになる。

 

こういう人は実は多い。

しつこくすると拳が飛んできたり

ペットボトルを投げつけられたりする。

 

なかなか大変なお仕事ではある。

 

アチラではあんまり怒らないで

シアワセに過ごしてください。

 

合掌

このブログに訪問して下さる方は 介護や看護にかかわる人達も多い。

ポーラのクリニックで行っている 在宅医療や看取りは 医療保険や介護保険

生活保護などの公的支援法を合法的つかいこなすことによって成り立っている。

平成28年に「赤ひげ大賞」をもらったとき、

「ちゃんと報酬もらってるから、アカヒゲとはいえないね」

と。

 

NPOやボランティアではなく、

「やることキチンとやって報酬をいただく」

のが可能であると確信したのはクリニックオープンの三年前。

2001年頃のこと。

当時 発布されたばかりの介護保険法をよーく調べて、

「コトブキ簡易宿泊所で看取りができる!」

と思った。

 

簡易宿泊所は患者の住所になり得る。

訪問診療や看護、看取り往診は患者の住所でなければ

報酬の算定はされない。

 

これに抵触するのが、

近年 陰ながら流行っている 

お泊まり型デイサービス。

 

住居があり、住民票がその住所にある高齢者が

日中のデイサービスを利用した場合、

その利用料は介護保険によってまかなわれる。

ところが、帰宅しても夜間に面倒をみてくれる家族が居ない場合、

帰宅せずそのまま宿泊すれば、お泊まり型 に変わる。

 

このお泊まりは介護保険適用外で全額自己負担となる。

その料金は自費。いわゆる“言い値”。

保険外のため事業所によって設定料金にばらつきがある。

 

相場としては一泊3,000円~5,000円程度らしいが、中には一泊利用で数百円程度で済む事業所も。

安くして顧客を囲い込む目的。

 

お泊まりデイサービスを利用すると、

宿泊前と宿泊後、計2日分の介護報酬を得ることができる。

つまり、お泊まりデイサービスを受け入れることにより、デイサービスでの収益も出るため、多少安くてもサービスとして十分に成り立つのである。

 

メリットは、

 

介護家族の心身の負担を減らすことができる

利用者の社会交流が増えて、認知症の悪化防止につながる

予約が取りやすい

通いなれた場所での宿泊なので安心できる

 

デメリットは

プライバシーの確保が難しい(パーテーションの仕切りベッド)

介護保険が適用されない

原則短期間での利用

 

など。

 

病院死を減らそうとした施策の結果、

死に場所施設の不足が産まれ、

死に場所探しの難民高齢者が増えている。

 

そこを狙って

お泊まりデイは

核家族化、貧困化のニッポンでは

ビジネスとして成長産業となって来ている。

 

コトブキの生保の患者さん達は,

生活保護で護られ、簡易宿泊所という住所で

保証されているので、おとまりデイは必要がない。

年金による生活困窮者よりも恵まれている。

 

スズメの涙のようなかぎられた年金のため、

更に生きることが厳しい人達が、

お泊まりデイに集まってきている。

 

ポーラのクリニックの近所にも

おとまりデイの宿泊施設があり、

そこへは往診訪問診療 不可なので、

ADLの低下した患者さんが

車いすに乗せられて受診される。

 

おとまりデイで亡くなると

職員に救急車を呼ば救命救命搬送適応がないことを確認されると 警察が呼ばれる。

この流れには一切違法性はない。

 

違法でなければ

それでいいのか?

 

と考えると、

考えはどよ-んとどん詰まってしまう。

 

昭和の20-40年頃に高度経済成長を支えた人達が

年老いて年金生活となり、

かつては死に場所が病院であったものが、病床が少なくなり、

在宅に誘導され、

家族に支援力がなく、月々の年金が足りなければ

死に場所を、消去法として「お泊まりデイサービス」

に求めざるをえない。

 

そういう時代となっている。

 

これからもっともっと年金が減る

今の若い人達が

亡くなりゆくときは

どうなっているんだろう??

今日、朝の訪問看護・外来ミーティング中 

ヘルパーさんからの一報。

「Kさん 亡くなってます」

 

外来診療開始前に、徒歩5分、コトブキ町内の患者宅へ死亡確認目的の臨時往診。

 

2月から始めたいつもの訪問診療のようにドアを開けると、2部屋あり、

手前の部屋にいつもは布団がぶって寝ている患者の夫が座ってカップスープをすすっている。

 

Kさんより15歳年下の夫も

年に2~3回ポーラのクリニックを内科受診するが、

特に内科疾患はなく、重度の精神疾患で精神科に通院中。

数年前までは、甲高い大きな声で会話していたが、

最近はとみに静か。

恐らく相当な量の向精神薬を盛られているに違いない。

 

夫に

「亡くなっちゃったんだよKさん」

と伝えたが、カップスープをもったまま、

返事はなかった。

感情そのものが鈍麻化している。

 

Kさんがポーラのクリニックに初診したのは、

62歳の時。

 

生まれは東京。

昭和45年生まれの娘あり。

国府津にて生保受給。

近くの病院に糖尿病で通院。

 

その後わけありで横浜へ。

路上生活者となり、今の夫と知り合い。

ペアで路上生活。

当時私達が運営していたNPO「さなぎ達」では

こういった路上生活者への支援活動をしていた。

 

どういうルートで、どこで誰に申請すれば、

生活保護につながって生きて行けるのか?

 

のノウハウを知らない夫婦は

路上生活者しか生きる術をしらなかった。

 

糖尿病だった彼女は、

とりあえず入院。

入院先のカルテの名字はS。

退院してポーラのクリニックへ受診の時はKに変わっていた。

 

以後夫婦でコトブキの簡易宿泊所に住み

約20年。

ポーラのクリニックに通院を続けた。

知的障がいはあったが、精神障がいの15歳年下の夫と

20年間夫婦であり続けた。

 

Kさんは昨年秋心筋梗塞で入院。

重症心不全で退院時に担当医から転院を勧められたが、

「ウチに帰りたい」

の希望を皆で成就させた。

 

訪問診療/訪問看護で

なんとか回復を目指したが、

褥瘡ができ、精神不隠が悪化し、

食事が入らなくなり、

衰弱して今朝亡くなった。

 

知的障がい者として、

困難な年々日々の人生が

終わった。

 

おつかれさんでした。

としか言いようがない。

 

合掌合掌合掌