……………
ついさっきまで、息を詰めて父親らしき男の後をつけていた。そのようにして、この見知らぬ町の野球場に運ばれてきた。しかし男の姿がいったん見失われてしまうと、それに合わせるように、一連の行為の重要性が、彼の中で突然不明確になった。意味そのものが分解し、もうもとに戻らなくなってしまった。かつては外野フライをうまく捕球することが、生死を分けるほどの重大な懸案であったのに、やがてそうではなくなってしまったのと同じように。
僕はいったいこのことで何を求めていたのだろう?歩を運びながら善也は自分に問いかけた。僕は自分が今ここにあることの繫がりのようなものを確かめようとしていたのだろうか?自分が新しい筋書きの中に組み込まれて、より整った新しい役割を与えられることを望んでいたのだろうか?
違うな、と善也は思う。
そういうんじゃない。僕が追い回していたのはたぶん、僕自身が抱えている暗闇の尻尾のようなものだったんだ。僕はたまたまそれを目にして、追跡して、すがりつき、そして最後にはより深い暗闇の中に放ったのだ。僕がそれを目にすることはもう二度とあるまい。
善也の魂は今では、静かに晴れ渡ったひとつの時間とひとつの場所にたたずんでいた。その男が自分の実の父親であろうが、神様であろうが、あるいはたまたまどこかで右の耳たぶをなくしただけの無縁の他人であろうが、それはもうどうでもいいことだった。そこには既にひとつの顕現があり、秘蹟があったのだ。誉むべきかな。
………………
善也は眼鏡を外してケースにいれた。踊るのも悪くないな、と善也は思った。悪くない。目を閉じ、白い月の光を肌に感じながら、善也は一人で踊り始めた。深く息を吸い、息を吐いた。気分に合ったうまい音楽を思いつけなかったので、草のそよぎと雲の流れに合わせて踊った。途中で誰かに見られている気配があった。誰かの視野の中にある自分を、善也はありありと実感することができた。彼の身体が、肌が、骨がそれを感じとった。しかしそんなことはどうでもいい。それが誰であれ、見たければ見ればいい。神の子どもたちはみな踊るのだ。
彼は地面を踏み、優雅に腕をまわした。ひとつの動きが別の動きを呼び、更に次の動きへと自律的につながっていった。体がいくつもの図形を描いた。そこにはパターンがあり、ヴァリエーションがあり、即興性があった。リズムの裏側にリズムがあり、リズムの間に見えないリズムがあった。彼は要所要所でそれらの複雑な絡み合いを見渡すことができた。様々な動物がだまし絵のように森の中にひそんでいた。中には見たこともないような恐ろしげな獣も混じっていた。彼はやがてその森を通り抜けていくことになるだろう。でも恐怖はなかった。だってそれは僕自身の中にある森なのだ。僕自身をかたちづくっている森なのだ。僕自身が抱えている獣なのだ。
……………
義也は黙って田端さんの手をとり、長いあいだ握っていた。胸の中にある想いを相手の手に伝えようとした。僕らの心は石ではないのです。石はいつか崩れ落ちるかもしれない。でも心は崩れません。僕らはそのかたちなきものを、善きものであれ、悪しきものであれ、どこまでも伝えあうことができるのです。神の子どもたちはみな踊るのです。その翌日、田端さんは息をひきとった。
………………
『神の子供たちはみな踊る』村上春樹
今回抜粋した作品は平成12年、阪神大震災をうけて発表された短編集からです。
1Q84の原型のようです。
重いテーマながらも未来への光の兆しが描かれている。
『神の子供たち』はどう感じましたか?
僕は読んだ時確かに心が震えた。大好きな村上春樹作品のひとつです。
ついさっきまで、息を詰めて父親らしき男の後をつけていた。そのようにして、この見知らぬ町の野球場に運ばれてきた。しかし男の姿がいったん見失われてしまうと、それに合わせるように、一連の行為の重要性が、彼の中で突然不明確になった。意味そのものが分解し、もうもとに戻らなくなってしまった。かつては外野フライをうまく捕球することが、生死を分けるほどの重大な懸案であったのに、やがてそうではなくなってしまったのと同じように。
僕はいったいこのことで何を求めていたのだろう?歩を運びながら善也は自分に問いかけた。僕は自分が今ここにあることの繫がりのようなものを確かめようとしていたのだろうか?自分が新しい筋書きの中に組み込まれて、より整った新しい役割を与えられることを望んでいたのだろうか?
違うな、と善也は思う。
そういうんじゃない。僕が追い回していたのはたぶん、僕自身が抱えている暗闇の尻尾のようなものだったんだ。僕はたまたまそれを目にして、追跡して、すがりつき、そして最後にはより深い暗闇の中に放ったのだ。僕がそれを目にすることはもう二度とあるまい。
善也の魂は今では、静かに晴れ渡ったひとつの時間とひとつの場所にたたずんでいた。その男が自分の実の父親であろうが、神様であろうが、あるいはたまたまどこかで右の耳たぶをなくしただけの無縁の他人であろうが、それはもうどうでもいいことだった。そこには既にひとつの顕現があり、秘蹟があったのだ。誉むべきかな。
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善也は眼鏡を外してケースにいれた。踊るのも悪くないな、と善也は思った。悪くない。目を閉じ、白い月の光を肌に感じながら、善也は一人で踊り始めた。深く息を吸い、息を吐いた。気分に合ったうまい音楽を思いつけなかったので、草のそよぎと雲の流れに合わせて踊った。途中で誰かに見られている気配があった。誰かの視野の中にある自分を、善也はありありと実感することができた。彼の身体が、肌が、骨がそれを感じとった。しかしそんなことはどうでもいい。それが誰であれ、見たければ見ればいい。神の子どもたちはみな踊るのだ。
彼は地面を踏み、優雅に腕をまわした。ひとつの動きが別の動きを呼び、更に次の動きへと自律的につながっていった。体がいくつもの図形を描いた。そこにはパターンがあり、ヴァリエーションがあり、即興性があった。リズムの裏側にリズムがあり、リズムの間に見えないリズムがあった。彼は要所要所でそれらの複雑な絡み合いを見渡すことができた。様々な動物がだまし絵のように森の中にひそんでいた。中には見たこともないような恐ろしげな獣も混じっていた。彼はやがてその森を通り抜けていくことになるだろう。でも恐怖はなかった。だってそれは僕自身の中にある森なのだ。僕自身をかたちづくっている森なのだ。僕自身が抱えている獣なのだ。
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義也は黙って田端さんの手をとり、長いあいだ握っていた。胸の中にある想いを相手の手に伝えようとした。僕らの心は石ではないのです。石はいつか崩れ落ちるかもしれない。でも心は崩れません。僕らはそのかたちなきものを、善きものであれ、悪しきものであれ、どこまでも伝えあうことができるのです。神の子どもたちはみな踊るのです。その翌日、田端さんは息をひきとった。
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『神の子供たちはみな踊る』村上春樹
今回抜粋した作品は平成12年、阪神大震災をうけて発表された短編集からです。
1Q84の原型のようです。
重いテーマながらも未来への光の兆しが描かれている。
『神の子供たち』はどう感じましたか?
僕は読んだ時確かに心が震えた。大好きな村上春樹作品のひとつです。