その年の暮れ。僕は『脱会届』を手に地元の会衆を訪れた。
懐かしそうに握手を求める若い兄弟。…あの時の小学生こんな大人になったんだ!
警戒心からか視線すら向けようとしない今や立派な御老人の兄弟。
当時『奉仕の僕』で僕の兄貴分的兄弟だった彼は今や主宰?の長老だった。
玄関前で僕の姿を見つけるや、颯爽と歩み寄り渾身の握手とともに耳元で「なにしにきた?」とニヤリと囁いた。
僕の人生で最後の『集会』の朝だった。
新しい何人かのメンバーが入り、そして何人かが去り。その日曜日の風景は十年前と変わらない気がした。
僕は全身黒ずくめのスーツ姿。つまり喪服姿で参加した。それは解りやすいメタファーのつもりで。
エホバの証人としての自分は今日をもって終わり。つまり今日は象徴的な『葬式』というわけだ。
(昔はモード系の黒いスーツ着てただけで白い目で見られたから…若干そのアンチテーゼもあったりして。)
懐かしい集会は賛美の歌とともに始まった。気を利かせた姉妹が賛美の歌の本を持ってきてくれたが、
今更エホバ神など賛美する気にはさらさらなれないので本は最後まで開かず終いだった。
だけど礼儀はキチンとしてたよ。起立と言われればちゃんと立ったし、座れの合図でちゃんと座ったし。
なんかみんな若干びびってたみたいだけど、べつに集会を妨害しにきたわけじゃない。
自分なりの落とし前をつけに来ただけ。
生まれながらにエホバの証人として育てられたとはいえ、ハタチを過ぎて献身を決意したのは自分自身だったから。
たとえそれがアンフェアなバックボーンから抜け出せない未熟で偏った判断だったとしても。
一度は正式な信者になった自分には、正式に脱会するという落とし前必要だった。
家族のためにも、妻のためにも、子供のためにも、自分のためにも必要な儀式だった。
その儀式無しにこれ以上前に進むことはできない気がしたんだ。





「過失傷害」
「過失致死」
『過失』…ワザとじゃなくても罪は罪なんだぜ。
母親であれば、血のつながった家族であれば例外か?
『お母さんだって騙されていたの…』
それで許されると思う?
歪められたのは子供達の人生。
取り返しのつかないことをした親。
その実を刈り取るのは子供達。
アンフェアじゃない?
子供は親を愛している。
『自分の気持ちに1%でも親を恨む気持ちがないか?』と問われたとき。
『無い』と答えるなら自分は嘘つきだ。
「それでもお母さんを許してあげて欲しい」お義母さんの言葉だった。
僕には解らなかった。
『親を許さない』そう言い切る人生があってもぼくは非難しない。

『結婚とは当人同士のものではなく、家と家との結婚なんだよ』…昔話に聞こえるかもしれないけど。
間違いではないよね。『お義父さん=おとうさん』だし『お義母さん=おかあさん』だし。
父ちゃん母ちゃんが増えるわけだ。家族が大きくなる。

交際から結婚にいたる過程で、僕は彼女の両親に『エホバの証人』の件を直接自分の口で伝えたことがなかった。
もちろん彼女は僕の過去を知っていたし、今は活動をやめていてもう証人の世界に戻る気がないこともわかっていた。ただなんとなく二人の間でその話題はタブーのような、僕も敢えて話題にすることなく(無意識的に逃げていた)日々が過ぎていた。僕の家族の公然の秘密は彼女を介して、彼女の家に伝えられた。
「結婚は当人同士のものだし、本人が宗教の世界に戻るつもりが無いなら親御さんがどうであろうと構わない。」今から思えば何と寛容なありがたいことばだろうと思うが。
恥ずかしい話だが、その当時の僕にしてみれば『当たり前やろう、親のことなど関係ないわい』ぐらいに思っていた。
だから、あの時。それまで自分をぼんやり覆っていた霧が急に晴れて、
樹海の中を右も左も分からないまま彷徨っていたのに、急に視点が俯瞰に変わり、自分がいた森全体を見渡せるような感覚になったとき。
僕は自分を恥じた。きちんと自分と自分の家族の宗教のいきさつを家族に話していないことを恥じた。
だからお義母さんに自分の過去を打ち明けた。
大事な家族に嘘をついたままでいるのは卑怯だと思ったから。
それは血の繋がっていない他人が家族になる過程だった。
『家族』って時間をかけて徐々に『家族』になっていくものなのかもしれない。