日曜日は障害児妹の入所している施設のバザーがあった。
父は出店の手伝いで妹と一緒に居られない。
健常児妹や祖父母と一緒にみんなで出掛けた。

デジカメで撮った写真を缶バッジに加工して貰った。
3姉妹が揃って写っている写真だ。
みんな笑顔でよく撮れていて、出来上がったバッジを障害児妹のカバンに付けてあげた。

出店をひと通り楽しみ、しばしのお別れ。
障害児妹は帰り支度を整えて父と帰宅するため、私たちは一足お先に帰ることにした。

ん、何かそわそわしてるなぁ。
すぐに座りたがる妹が座らないなんておかしい。
どうしたんだろう?

あ、もしや?!
慌てて一緒にトイレへ駆け込む。

予感は的中!
パンツいっぱいにウンチが盛られていた。
こりゃあ座れないよ。

最近はこんなことが時々あるのだ。

仕方がないからお風呂場でおしりを洗い綺麗なパンツに取り替えて、汚れ物を洗った。

ちょっと前からおしり周りがかぶれていて『痛いから嫌だ』と言って

ちゃんと拭かずに悪循環を繰り返していたのだ。

一緒にお風呂に入って『痛くても頑張って洗わないと悪化する』と教えた。
いくらなんでも施設の職員さんには頼みにくいし、ここは本人に頑張ってもらいたいところ。

障害児の親が陥りやすい誤解。

それはきょうだい児が、当然自分たち親と同じように障害児を守るものだと思うことだ。

幸いウチの父はそうではなさそうだが、そういう家庭は間違いなく存在する。

家族だから、当たり前。

それもそうだが、将来がしんどいのは目に見えている。
自分の親と子どもに加え兄弟・姉妹まで面倒をみることがどれだけ大変なことか
子育て経験がある親なら容易に想像がつくだろう。

でも冷静にそこに注目出来ている親はどれだけいるだろうか?

心の優しい子だから大丈夫?
そう思ってくれるのは嬉しいが、意地悪く言えば親バカもはなはだしい。

現実は甘くないことに真っ向から向き合って対策しないといけないんじゃないかな。

選択権はあくまでもきょうだい児にあるわけで親が決めることではない。

子どもは親の意のままに操られる人形でも
親の期待を裏切らないスーパーマンでもないのだから。

子どもをあてにするのではなく出来ることを自分たちでしっかりやって
必要なときに協力を求めるスタンスの方が
親子関係がうまくいくと思うのだが如何だろうか。

まあ、私自身は親となった経験がないのでね。
的外れなら申し訳ありません。
ネットで見かけた悲しい話。

両親ともに亡くなり、障害児ときょうだい児が残ったケース。
内容をザックリ書くとこんな感じだ。

施設に預けていても定期的に帰宅するため、その度に憂鬱が襲う。
障害児にかかる出費が総額いくらになるのか考えると、両親の遺産で足りるのか・・・?

どうにかしていなくなって欲しい。自分の手を汚さず、事故で。
そうでないと2人っきりのときいつか殺してしまいそうだ。

…といったことが書かれていた。

そんな不安におびえて暮らしているきょうだい児はたくさんいると思う。

ダウン症妹の幸せを尊重することは、イバラの道なのかもなと感じた。
最近、何がいちばんの親孝行なのかとよく考える。

普通に結婚して子どもを産んで孫の顔を見せるのが親孝行なのか、
ダウン症妹がひとりぼっちで死んでゆくことの無いよう傍に居続けるのか、
はたまたその両方なのか、それ以外なのか。

わからない。
正解は無いのかもしれない。

父に直接聞いても、おそらく自分の人生だから好きにしろと言われてしまい、
本音を聞くことが出来ないだろう。
もしかしたらダウン症妹の面倒をみて欲しいと思う反面、
私の人生に制限があってもマズいとせめぎ合っているのかも知れない。

実際、私自身、ダウン症妹に縛られすぎることを恐れて就職時に実家を出たのだ。

でもダウン症妹が自立できないことも、また事実。
完全放置する冷徹さと勇気は私にはないし、本意ではない。
ダウン症妹が好きだから、彼女の幸せも私や他の家族の幸せと同じように尊重したい。

家族みんなが幸せに暮らすにはどうしたらいいんだろう。
明確な答えの出ない問いに堂々巡りする日々。
何はともあれ、ひとつだけ言えること。

よ~く考えよ~♪お金は大事だよ~♪

困難を乗り越えるにはある程度のお金が必要な現実。

だから私は『自分は高卒だけど子どもは是非大学へ行かせたい』という親の希望と、
『一刻も早く自立して親の負担を減らしたい』という私の希望の妥協点として
大学には現役合格しなければ行かないと決めた。
学部は遺伝子についても少しは学べそうな生物系を選んだ。

運良く合格し、次の目標は就職と経済的な自立となる。

就職活動中は色々な業界をみて回った。30社以上は受けた。
最終的にはゼネコンに勤める父を見てきたので景気のよさそうな業界に照準を絞った。

人が生きる限り何があっても食と病気は無くならないと考え、食品会社と製薬会社の営業職に絞って活動。
営業職を選んだのは人として成長出来ることと収入がよいことが理由だ。

最終的に内定を貰った中でいちばん成長率の高い製薬会社を選んだ。
その後も働き続け現在に至る。