80年代の「不良」は

 

「死ねクソババア!」殴る蹴る。

 

「お前なんか親でも人間でもねえ、

  死ねクソジジイ!」殴る蹴る。

 

これ、当たり前にできていました。

 

 

 

その後、どんどん世界全体が左翼化した現在。

 

 

「命が大事」と「誰でも命あるものだから責められない」と

悪を悪として裁くことを、せず。

 

ヨーロッパでは「貧しい国の移民」のフリした図々しい人たちを、ノーが言えずに、間違った人道で受け入れまくって、自国の経済、教育、治安、文化を滅茶苦茶に破壊させてしまったり

 

アメリカでは、白人が黒人に無意味にへいこらして

「差別してないよ!自分そんな悪い人じゃないから!」と怯えたり

 

日本では、チベット虐殺や反日教育をしてる中国の侵略を

「お隣の国との平和外交」などアホなことを言って侵略を許しまくり、そもそも何十年も前から中国に戦略的に侵入されてきて、政治経済そして国土や水源までも、搾取され、もう亡国の危機で、中国ファーストな売国奴の政治家や、中国の日本占領と日本国家の滅亡のためにだけ動いている「平和主義のいい人ぶりっ子に酔ってるゲリラ暴力団隊」な左翼団体に、メディアまでもが支配されている現状。高市政権も自衛隊も、日本を取り戻そうと全身全霊でこの国を守ろうとしているのに、戦争をしたがってるだのアホなことを言って高市首相を暗殺しようという勢い。もうあり得ないです。

(危機を分かってなかったがピンときたって方は、百田尚樹さんの『カエルの楽園』を読んでみて。サッと読めちゃいます)

 

 

 

「死ね」って言葉を使う

 

こと自体が、タブーな空気。

 

 

が、今だよね。

 

もう、悪でも汚い人でも、何でもかんでも「肯定しないと差別」みたいなアホな感覚に世界中がなってる。

 

 

だから「死ね」がタブー言葉。

あ、ちなみに、クソババアとかも?

私の生物学上の親は、毒親で、いつも口から出る言葉が「フン」で始まるのですよ。

「フン、何よ」「フン、あっそう、私なんかもっとすごいんだから」「フン、そんなもの」

「フン、子供なんて産みたくなかったのにああいやだ!」

「フン、子供なんて小さいうちは言うこと聞かせられて可愛いけど、少し大きくなったら気持ちが悪いだけね」

 

毎日こんなんを聞いていた私は、小学3年あたりでしたでしょうか。

すごい発見と納得を、したんです。

「このババア、何か喋るとき、まずフン(糞)を口と鼻から出してる。なるほど!確かにこいつは“クソババア”だ!言葉って本当にそのままを表してる!!」

 

クソババアというネガティブな言葉で、私の心の傷の深さに直結するものの、私は日本語の真実を表現する言語体系を、感じ取り、妙に感動したのです。

 

 

 

 

でね。

 

だからね。

 

「クソババア」「クソジジイ」も、

 

そして

 

 

 

「死ね」こそ。

 

人の邪気、エゴ感情で

絡んでくる態度。

 

その「穢れ」を「祓う」

適切な言葉なのです。

 

 

 

魂の修行という仏教的な見方でも、

 

「あんたは拒絶されなきゃ

 わかんないから、言ってあげる」 

 ってことです。

 

 

 

自然の中の命という神道の見方でも、

 

「調和を乱し、他人の命を汚す行為は

 害悪なので、斬り捨てる」ことが、

 宇宙調和の法則に正しい行いです。

 

 

 

今の社会って、

 

命にただ、「執着」しています。

 

そして、

人のエゴを、肯定し、甘やかし、助長しています。


 

 

まあ命がないと始まらないので、

命って大事ではあるんだが、

 

そんなのは当たり前であって凝視

 

 

一つの命を授かって、

生まれたきたんだから

どう生きるか、命をどう使うか、

つまり

使命を生きるかが、

人として一番大事なのです。

 

 

 

おそらく戦前までの日本人の精神、

 

生き方の根本には、この当たり前の感覚があり

 

侍だけでなく、どんな身分の日本人でも、

 

感覚として、持っていたはずです。

 

 

 

 

 

 

命の営みのエネルギーの大元が、太陽だから。

お天道様に恥ずかしくないように、生きる。

誰も見ていなくても、お天道様が見ている。

 

 

お天道様の化身が天皇陛下だから

国民の健康と幸せを

毎日願い祈祷してくださる天皇陛下を

ありがたく、嬉しく、敬い、

私の命をよく活かし、より良く生き

次の命によいことを成し、

育み、教え、繋げ、発展していく

一つの自分の人生。

 

宇宙の奇跡的な確率で存在する

この生命が生まれた地球。

 

経度緯度の絶妙な位置にあることで

四季が豊かな日本。

 

その自然の一部としての、

「限りある命」が「己(おのれ)」。

 

この奇跡(有難い存在)の

生命(身体と気)の

一瞬一瞬(今)を

ありがたみを感じ味わい、

丁寧に、大切に、

清く研ぎ澄ませ、

寿命まで、堪能する。

 

これが、元来の

日本人の死生観です。

 
 

 

 

 

『常若(とこわか)』という言葉があります。

 

これは、神道の根本的な思想で

 

常に若々しくみずみずしい生命力を保ち、よみがえり続けることが、命のサイクルで、大切で尊い。

 

このような感覚です。

 

日本には四季があります。

 

四季は、衰退と復活のサイクル。

 

例えば春は、新しさや再生そのものです。

山の雪が解け川や海へ流れ出すと、

冬眠していた生物は目覚め虫は地面に出てきて、

木々も植物もみずみずしく新しい枝葉を伸ばす。

 

その植物を糧に昆虫や動物は成長し、

人間は動植物の命を頂いて子孫を増やす。

 

 

また、日本は湿度が高いので、

清潔と新鮮を保つことが必要な

ことも、おおいに関係しています。

 

お掃除をして清め、新鮮な空気を循環させる、毎日お風呂に入る、下水を治水する。

 

これが人間の営みの基本であることで、神道では浄化が基本です。

 

自然という

八百万の神々のお働きへの畏怖と、

 

その自然の一部である

人間の命の、原理原則に、

敬虔な気持ちで従いましょう。

 

そのような感覚です。

 

新春、新年度、新米、新酒・・・・。

 

新しい始まりや新物を、ありがたく、めでたく、慶ぶ。

 

 

とっても、嬉しいからほんわか

 

お天道様、ありがとう!目がハート

 

 

 

 

 

 

 

ところが、今の時代は、ただ命を長らえること、

見た目を若く保つこと、延命治療や美容整形や

あらゆる若さや生き続けることへの執着で、

 

 

己(おのれ)自身に、つまり神様に、

 

失礼極まりない生き方をしている人ばかり。

 

 

 

 

そうではなく、

 

 

本来の日本人の感覚で

 

自身の身体という自然を敬い、

命をありがたく思い、敬虔にそして誠実に生きていたら

年を取っても身体も気も若く、

元気で健やかで楽しく、

充実した人生を送り、

魂が納得する寿命がきたら、あの世にいく。

 

これが「正しい」「本当の幸せ」「当たり前の姿」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

 

 

毒親、ハラッサー、

人様にもこの世界の何にも感謝や敬意なく、

下品に喚く迷惑なキチガイ、

 

などなどは。

 

 

他人を傷つけ時間や自由を奪い、自分のワガママの「気分」で他人を翻弄し、支配し、気をひくことだけが目的な生物。

 

人間だけの『エゴという醜い生命力』だけに終始している生き物。

 

 

平気で他人様に邪気をぶつけてくる、

被害者ぶって加害してくるような、

せこい、

なんの修行も努力もせんゴミには

 

死ね。

 

と、怒鳴りつけましょう。

あるいは、

冷徹に、そっと心で、言い放ちましょう。

 

 

「死ね」とは。

 

礼儀を生き方をわきまえない人間を

叱ってやる、愛の言葉です。

 

そのような生き方しかしないのなら、お前の命は無駄だし、お前の魂も自ら汚している。

 

人の弱みに漬け込んで、人の命の尊いエネルギーを穢し奪おうなど、言語道断。

 

この私への貶しや非礼は許さない。

 

 

このような意味です。

 

 

 

 

 

 

 

 

もう昭和の老害とか、毒親とか、

 

移民とか中国とか

 

世界を自然を社会を

 

他人の心を、

 

侵略し利用し汚すだけの

 

汚いものなど、許しちゃいけません。

 

 

 

「死ね」が言いづらかったら

 

こう言って。

 

さっさと

GO TO HELLメラメラドンッ