生き延びるために、ハラッサーな両親の、キモい両親の、ご機嫌を取ったり、そうとわからせないようにストックホルムシンドロームになったりしつつ、心を守ってギリギリそれでもなんとか良い人間でいようと、涙も怒りもコンクリ詰にして胸の奥にしまいこみ、必死で頑張って生きてきたよね。
それって必死だから、余裕ないから、色々無理があるってことで、社会不適合者なのかなとか自分を責めたりしてきたね。
そんな私たちには発達性トラウマがあります。だから、ハラッサーには過剰反応します。
そんなヤバい深刻な辛い苦しいトラウマがない人は、ハラッサーにも余裕だよね。それ見て、私って寛容さが足りないんだとか、自分を責めてませんでしたか?
人間としての一番大切な、愛を育むための、基礎。
人間の赤ちゃんは1年間はしっかりとお母さんに密着するために、大きな頭で体が未熟なまま、お母さんの子宮から外に出てきます。
みんな抱っこされおんぶされ、ケアされ、泣いたら抱きしめられ、泣くだけで、何を訴えてるのかわかってもらって、そうして、人間が人間として「他者を認識し大切に思い愛する」能力が、愛着の形成が、なされます。本来は!
この基礎がなかったけど、なかったのに、すんごい頑張って、愛されなければ自分から愛すればいい、ケアされるのは無理なら人をケアしたい。せめてそうして自分の心を守り人を守り。それすら、これは自分の慰めのためであって、自己満足なんじゃないかとか、人として自分は本当にダメだななんでだろうとか、もう苦しく寂しく過食症になりアル中になりながらも、自分を責めてきませんでしたか。
私はそうしてきちゃいました。
赤ちゃんやり直したくたって、無理だもんね。
そうするしか、できなかったもんね。
トラウマのない人から見たら、必死で辛さを抱えて生きてる人で、見てとって、優しさを注いでくれる人もたくさんいるけど、それはそれで、泣き出しそうになるのを防御するとか甘えてはいけないとか、期待に応えられないで嫌われたらどうしようと怖いからとか、愛される資格ないんだからとか、もうあらゆる心の壁が愛を受け取ることを阻む。その自分をまた責めてしまってきませんでしたか。優しい人に対してなんて失礼なんだ自分はなんなんだ、やっぱりどこか最初から私はおかしいんだ、とか。ますます自分を劣等感や苦しさの塊にしていってさ。
私はそうしてきちゃいました。
でも神様は見ています。こんないじらしい必死な命の営みを。
ちゃんと全部わかって見守って、くれていました。
だよね?
許そうね、頑張って生きてきた、最適解を生きてきた、いいこな私だもん。ね!!
みんな、いいこだもん。
