~季節の銘~



【薄氷】 うすらい


春さきにパリンっと割れそうなほど薄く張る氷のこと。

蝉の羽にみたてて「蝉氷」ともいう。



七十二候とはご存知でしょうか?

二十四節気の日は意識している人は多いと思うけど、

七十二候はあまり知られていない。


七十二候は二十四節気をさらに3分類に分けたもの。

季節や動植物の変化を短文で表現している。



雨水の初候に土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)とある。

大地に水々さが戻り、潤いを含み始めるころ。



薄く張っている氷はもう間もなく溶け始め、

潤い始める大地が新しい生命をはぐくんでいる時期かもしれませんね。

~季節の銘~



【貝寄風】 (かいよせ)


貝寄と聞くと、夏の潮干狩りを連想する人は少なくないはず。

しかし2月の季語。



貝寄風とは、2月20日前後に吹く風で、

貝殻を浜に吹き寄せる西風のこと。



陰暦2月22日は聖徳太子の命日であるため、その御霊を慰めるため、

大阪四天王寺で「精霊会」という行事が行われていた。


精霊会では聖徳太子に献ずる花を

浜に吹き寄せられた貝殻をもって献花を作り、飾ったようである。


貝殻を打ち寄せるほどの風だから、

春の穏やかな風ではなく、おそらく強い風であろう。

冬の名残りを感じる風ともいえるかもしれない。



貝寄せる風の手じなや若の浦  芭蕉

本日は利休の生涯をざっくりとお伝えします。


性は田中、名は与四郎。

堺の商家に生まれた。


若くして茶道を始め、17歳のときには北向道陳に茶道を師事、

その後武野紹鴎の門下に入る。その時は宗易と名乗っている。

禅は大林和尚、笑嶺和尚に学び、春屋和尚、古渓和尚に参禅した。


それまでの茶道具の主流は、中国の唐物であったのを、

国焼や南蛮・島物を取り入れ、侘び茶の世界を追求する。


その時に自ら考案した焼き物が「樂焼」

(樂家初代の長次郎はもともと屋根の瓦を作る、瓦師。)



豊臣秀吉に茶道役として仕え、政治的にも大きな影響力を持つようになる。


利休の名を使い始めたのは、

秀吉が禁中で茶会をする時に、利休が茶道役を務める際、

利休居士の号を勅許される。



しかし天正19年、秀吉の怒りにふれ、切腹を命じられる。



その時の遺偈。


「人生七十,りきいきとつ。

吾がこの宝剣祖仏共に殺す。

提る我が得具足の一つ太刀,

今此の時ぞ天に抛つ」


人生ここに七十年,えい,えい,えい(忽然と大悟した時に発する声)。

この宝剣で祖師仏陀も我も共に断ち切ってやる。
私は手慣れた武器である一振りの太刀を持って、

今まさに我が身を天になげうつのだ。

天正19年2月28日

2月28日は利休命日。

利休を偲ぶということで、まず茶道の歴史から。



私は茶道を始める前、「茶道」=「利休」と思っていたから、

中国から茶の湯を伝え、日本に広めたのは利休って思ってた。

(私だけ・・・?)




でも利休は茶道の侘び茶を大成したのであって、

日本に茶道を伝えた人ではない。





【おおまかな茶道の流れ】


7世紀頃に中国より茶が伝えられる。

この頃は薬用として飲まれたり、宗教のひとつとして使われたりしていた。



    ↓



12世紀頃に栄西禅師が茶の種と作法を身につけて日本に持ち帰る。

これから、茶を飲む習慣が禅宗を始めとして日本全国に広まる。


    ↓



足利義政を中心とする東山文化。

義政に茶を指導した村田珠光(むらたしゅこう)。(14世紀頃)

珠光はアニメ・「いっきゅうさん」で知られる一休禅師に参禅し

茶と禅の思想を組み合わせた。

それまでの茶は中国からの豪華絢爛の観賞茶会。

その今までの茶道を一転し、簡素な茶を追求しようとする。

これが草庵の茶の始まり。



    ↓



草庵の茶の思想を引き継いだのが武野紹鴎(たけのじょうおう)

紹鴎は珠光に会ったこともないが、心の師として仰ぐ。



    ↓



そして次に出てくるのが田中与四郎(のちの千利休)

紹鴎に茶を師事する。

未完成だった茶の思想、侘び茶の思想を大成する。





おおまか過ぎるくらいざっくりとした流れだけれど。。。

明日は利休の生涯をおおまか過ぎるくらいざっくりと更新します♪♪(°∀°)b

先日、車窓よりチラッと菜の花を見た。

太陽の光を浴びた菜の花は、キラキラとして

いかにも春の兆しを運んでくれているよう☆(*^▽^*)



2月28日は利休の命日。

(利休忌は旧暦に合わせて3月28日に行われる)


利休忌には決まって菜の花が床の間に供えられる。

利休が生涯愛した花が菜の花だとか、

大阪・堺の屋敷にて切腹をしたときに、菜の花が咲き乱れていたとか

諸説あるけれど、利休の掛け軸とともに床に飾り、利休の命日を偲ぶ。


それまでは、茶人は遠慮して菜の花を茶席に生けたり

口にしたりはしない。

3月28日の供養が終わった後、懐石料理の中へ入れる。



先日梅花祭のブログを更新しましたが↓↓

http://ameblo.jp/2pls/entry-11170681797.html

北野天満宮では同日、「菜種御供」がおこなわれる。



「なたね」が「なだめ」に通じることから、

道真公の御心をなだめるということらしい。


菜の花に紅白の梅の花を添えてお供えする。


確かに、菜の花の明るい陽気があふれる花には、

道真公だけでなく、私だってなだめられるわ・・・(●´ω`●)ゞ



明日は、2月28日の利休命日を迎えるまえに

利休について更新します♪♪