先週、東京競馬場で行われました牝馬

クラシック第2戦第85回優駿牝馬

(オークス)は2番人気のチェルヴィニアが

直線で大外から鋭く伸びて、内をついて

先頭に立ったステレンボッシュをゴール前

で差し切って優勝。

第85代樫の女王に輝きました。

2着には1番人気のステレンボッシュが入り

3着には3番人気のライトバックが入り

ました。

今週は、東京競馬場で春のクラシックの

クライマックス、競馬の祭典、第91回

東京優駿(日本ダービー)が行われます。

東京優駿は1932年(昭和7年)に

イギリスのダービーステークスを範として

目黒競馬場にて創設されました。

後に創設された皐月賞・菊花賞と共に

三冠競走を構成しています。

そしてダービーに優勝することは、日本の

競馬に関わるすべてのホースマンが

憧れる最高の栄誉あるレースとされて

います。

昭和期では皐月賞は最も速い馬が勝つ、

菊花賞は最も強い馬が勝つ、ダービーは

運のある馬が勝つと言われていました。

日本の競馬における日本ダービーの

存在は特別で、創設期より日本競馬に

おける最大の栄誉ある大競走とされて

います。

その年の競馬を語る時は必ず東京優駿

(日本ダービー)優勝馬が挙げられるように

日本競馬界の象徴であり、ホースマンに

とっての最大の目標であるとことは創設

以来、変わっていません。

 

思い出の馬は殺人ラップ、狂気の

ハイペースで今までの常識を覆した

カブラヤオーです。

カブラヤオーの父はファラモンドで

競走実績も乏しく、血統的には良血では

ありませんでしたが、中央競馬では

エリザベス女王杯を制したカブラヤオーの

妹ミスカブラヤやユーモンド、ケイリュウ

シンゲキの他、公営競馬では南関東の

三冠馬ゴールデンリボー、東京ダービーを

制したトキワタイヨウ、ダイエイモンド、

サンコーモンド等を輩出しました。

カブラヤオーは昭和50年クラシック組で

同期には牝馬ではテスコガビー、牡馬では

天皇賞馬エリモジョージ、ロングホーク、

ロングファスト、イシノマサル、ファイブワン、

ハーバーヤング等がいます。

 

カブラヤオーは旧馬齢3歳の秋の東京で

デビューしましたが、特に血統や見栄えが

良いわけでもなく、調教でも良い走りを

見せていなかったことから16頭中

7番人気という低評価だったものの

この新馬戦で2着と大健闘しました。

続く2戦目を圧勝して初勝利を挙げると

条件特別戦に参戦、しかしここでもまだ

13頭中8番人気という低評価でしたが

6馬身差をつけて圧勝。

この勝利で一気にカブラヤオーの評価は

激変し、これ以降カブラヤオーが引退する

まで常に1番人気に支持されることになり

ました。

年が明けて4歳になったカブラヤオーは

ダートで行われたジュニアカップで

10馬身差をつけて圧勝し、3連勝を飾ると

関東のクラシック候補として東京4歳

ステークスに参戦しました。

このレースには最優秀3歳牝馬に選出され

当時4連勝中の怪物牝馬テスコガビーも

参戦を表明したため、両馬の鞍上であった

菅原騎手が、どちらの馬に乗るかが話題と

なりましたが、菅原騎手の師匠である茂木

調教師のアドバイスにより、菅原騎手は

他厩舎のテスコガビーに騎乗することに

なりました。

レースはテスコガビーが最初にハナを切り

カブラヤオーも譲らず2頭の先行争いに

なりましたが、テスコガビーが共倒れを

避けて2番手に控えたため、向正面で

カブラヤオーが先頭に立ち、逃げる展開

になりました。

直線に入ってカブラヤオーは馬場の中央

から、テスコガビーは外から追い込んで

カブラヤオーに迫りましたがカブラヤオーも

譲らず、坂をあがったところで、内から追い

込んで来たイシノマサルにカブラヤオーが

驚き、大きく外に斜行してしまう場面もあり

ましたが、何とか体勢を立て直し、長い

テスコガビーとの叩き合いのすえ、

カブラヤオーがテスコガビーをクビ差

押さえて優勝、重賞初制覇を果たしました。

しかしこのレース以後、両馬が対戦する

ことは二度と無かったことから、

この東京4歳ステークスは伝説のレース

として今でも語り継がれています。

続いてカブラヤオーはクラシックの登竜門

である弥生賞に出走。

いつものような逃げを展開し、関西から

クラシック候補として参戦してきたロング

ホークを直線で突き放して優勝を飾り、

堂々とクラシックの主役に躍り出ました。

そして迎えたクラシック一冠目の皐月賞、

このレースには打倒カブラヤオーを

目指し、関西からロングホーク、ロング

ファスト、エリモジョージ等が参戦。

1番人気はもちろんカブラヤオーで

2番人気にはロングホークが推されました。

レースはレース前に逃げ宣言をしていた

レイクスプリンターが強引に先手を取りに

行って、カブラヤオーと競り合いを演じ、

前半の1000ⅿを58秒9という短距離

レースのような驚異のハイペースとなり

ました。

3番手にはイシノマサル、その後ろから

ロングファストが続き、ロングホークは

中団からという展開となりました。

このハイペースにより第3コーナーで

早くもレイクスプリンターが脱落し、その後

レイクスプリンターは脚を骨折して競走を

中止、レース後、予後不良と診断され

安楽死処分となってしまいました。

この状況からもいかに常識外れの

殺人ラップだったかが分かります。

第4コーナーでイシノマサル、ロングファスト

ロングホークが仕掛けてカブラヤオーと

並ぶようにして直線へ。

内からイシノマサル、真ん中からロング

ホークとロングファストがカブラヤオーを

包むように追い込んできました。

普通の馬だったなら、このハイペースで

力尽きて馬群に沈むところですが、

カブラヤオーは直線で更に伸びて、

ロングホークとロングファストを突き

放して優勝を飾り、クラシック第一冠目を

獲得しました。

このカブラヤオーの勝利に対し、競馬

関係者は驚きを隠せませんでした。

この後、現在であれば日本ダービーに

直行することになりますが、過酷な皐月賞

だったにも関わらず、カブラヤオーは

当時のダービートライアルNHK杯に

出走しました。

このレースには皐月賞組からイシノマサル

ロングファスト、エリモジョージ等が参戦。

レースは不良馬場の中で行われました。

このレースではカブラヤオーの鼻を奪うと

宣言していたトップジローが宣言通り逃げ

カブラヤオーはダービーを意識したのか

不良馬場を嫌ったのか、4番手におさえ

馬場の少しでも良いところの外々をまわる

展開となりました。

第3コーナーでトップジローが後退し

馬群に消えていくと、やはりカブラヤオーが

第4コーナーでカネマフジを交わして

先頭に立って、直線の勝負へ。

カネマフジが内をついて差し返そうとする中

馬場の中央かカブラヤオーが突き放しに

かかり、外からロングファストが懸命に

追い込んで来たものの、カブラヤオーは

更に加速し、ロングファストに6馬身差を

つけて圧勝しました。

そしてカブラヤオーはクラシック二冠を狙い

第42回東京優駿競走(日本ダービー)に

出走しました。

この年のダービーはフルゲート28頭立てで

行われ、カブラヤオーは当然のことながら

キタノカチドキ以来の単枠指定(シード馬)

となり、1番人気に推されました。

スタートして菅原騎手はカブラヤオーに

出ムチをくれて先頭に立ちますが、今度は

トップジローがしつこくカブラヤオーに絡み

先頭を争う展開となりました。

両馬は競り合いを続け、前半1000mを

皐月賞の殺人ラップを更に上回る

58秒6で通過し、後続馬を10馬身近く

離す展開となりました。

トップジローがレイクスプリンターのように

壊れるのか、カブラヤオーが最後に失速

するのか、この前代未聞の暴走的逃げに

場内は騒然となりました。

先行集団にはイシノマサル、タイフウオー

がいて、その後ろからハクチカツ、そして

ロングホークとロングファストは中団を進み

ハーバーヤング、イシノアラシは

後方からというレース展開となりました。

第4コーナーでハクチカツが2番手に上がり

ロングホークとロングファストも差を詰めて

直線の勝負へ。

カブラヤオーが先頭で馬場の真ん中を

通る中、外からハクチカツ、内からロング

ホークとハーバーヤング、その後ろから

ロングファストが追い込みましたが、

カブラヤオーは、あの驚異のハイペース

だったにも関わらず、失速するどころか

他馬が近づくと、更に伸び脚をみせて

先頭を譲らず、ゴール前では完全に

後続馬を振り切って優勝を飾り、

第42代ダービー馬に輝きました。

後日、ダービーでの菅原騎手の出ムチを

使っての狂気の逃げについて、多くの

賛否両論がありましたが、それでも常識を

覆して逃げ切って勝ったカブラヤオーは

本当に素晴らしかったと思います。

夏を休養したカブラヤオーはシンザン

以来の三冠馬誕生を期待され菊花賞を

目指しましたが、菊花賞が迫る9月下旬に

左脚の爪を深く切りすぎたのが原因で

今でも不治の病と言われる屈腱炎を発症、

菊花賞を断念せざるを得なくなりました。

カブラヤオーの菊花賞断念を受け

菊花賞のレース前、杉本アナが

「夏を越すことの難しさ、三冠の難しさを

嫌というほど思い知らされて迎えました

第36回菊花賞です」と言っていたことが

今でも印象に残っています。

この年、カブラヤオーは、秋シーズンは

不出走だったものの、春の活躍が評価され

年度代表馬と最優秀4歳牡馬に選出され

ました。

 

休養後、年が明けて5歳になった

カブラヤオーは5月のオープン競走で復帰

斤量60キロを背負ったものの、見事に

逃げ切って復帰戦を勝利し、9連勝を飾り

ました。

続いて6月のオープン競走に今度は

斤量61キロを背負って出走しましたが、

スタート直後にゲートに頭をぶつけ、

脳震盪を起こすというアクシデントに

見舞われ、最下位の11着に大敗しました。

その後、夏の札幌に遠征し、短距離Sで

逃げ切り勝ちをおさめ、その後東京に

戻ってオープン競走で斤量62キロを

背負いながらも、スピリットスワプスや

トリデジョウ、フェアスポートをやぶって

快勝し、次なる目標である天皇賞秋を

目指しました。

しかし、天皇賞秋を前に再び屈腱炎を

発症し、二度と復帰することなく無念の

引退となってしまいました。

 

引退後は北海道で種牡馬となりましたが、

当時は内国産種牡馬不遇の時代でもあり、

カブラヤオーは良血ではなく、見栄えも

悪かったことから、当初は苦戦するだろうと

言われていました。

しかし、カブラヤオーはここでもその評価を

見事に覆し産駒からはエリザベス女王杯に

優勝したミヤマポピー、ダービー2着の

グランパスドリーム、京成杯3歳ステークス

を勝ったマイネルキャッスルや公営では

東京王冠賞に勝ったニシキノボーイ等、

多くの活躍馬を輩出しました。

 

記録によりますと

カブラヤオーは1996年に種牡馬を引退し、

引退後は栃木県の那須種馬場にて余生を

送っていましたが、2003年8月9日

老衰のため、31年の波乱の生涯に幕を

下ろしました。

13戦11勝という素晴らしい戦績と共に

カブラヤオーのあの驚異的な逃げは、

記録にも記憶にも残る名馬として今でも

語り継がれています。

 

今週は東京競馬場で春のクラシックの

クライマックス、競馬の祭典、第91回

東京優駿(日本ダービー)が行われます。

皐月賞馬ジャスティンミラノ、ダノンエアズ

ロック、シンエンペラー、シックスペンスに

注目しています。

あのスキルヴィングの悲劇から1年が

経ちました。

二度とあのような悲劇が起きないよう

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。

先週、東京競馬場で行われました春の

古馬牝馬マイル王決定戦、第19回

ヴィクトリアマイルは津村騎手騎乗の

14番人気のテンハッピーローズが最後の

直線で外から豪脚を繰り出し、一気に

先行馬をまとめて差し切って優勝。

私的にはダイユウサク以来のアッと驚く

G1レースとなり、改めて競馬に絶対は

無いを思い知らされました。

鞍上のデビュー21年目の津村騎手も

初のG1勝利となり、涙ながらの勝利騎手

インタビューに感動しました。

津村騎手、テンハッピーローズの関係者の

皆様、本当におめでとうございます。

2着には4番人気のフィアスプライド、

3着には1番人気のマスクトディーヴァが

入り、2番人気に推されたナミュールは

出遅れも響き、8着に敗れました。

また土曜日に行われました第69回

京王杯スプリングカップは1番人気の

ウインマーベルが直線でレッドモンレーヴ

との激しい競り合いを制して優勝。

春の阪急杯に続く重賞4勝目を飾りました。

2着にはハナ差で2番人気のレッドモン

レーヴが入り、3着には8番人気の

スズハロームが入りました。

今週は、東京競馬場で牝馬クラシック

第二冠目、第85回優秀牝馬(オークス)が

行われます。

優駿牝馬(オークス)は、1938年に

イギリスのオークスステークスを範として、

4歳(現3歳)牝馬限定の阪神優駿牝馬

競走として創設され、皐月賞、東京優駿

(日本ダービー)、菊花賞、桜花賞とともに

日本のクラシック競走のひとつとされて

います。

創設当初、桜花賞は最もスピードのある

繁殖牝馬の検定競走とされたのに対し、

優駿牝馬(オークス)はスピードと

スタミナを兼ね備えた繁殖牝馬を

選定するためのレースとされました。

施行場も1946年阪神競馬場から東京

競馬場に変更され、その際に名称も

優駿牝馬に改称され、1965年からは

オークスの副称が付けられ、現在に

至っています。

また、日本では優駿牝馬(オークス)の

優勝馬を樫の女王という通称で呼ぶことも

あります。

 

思い出の馬は、姉弟でクラシック制覇を

果たした昭和47年第33回優勝馬

タケフブキです。

タケフブキの父は昭和を代表する万能型

種牡馬パーソロンで、三冠馬シンボリ

ルドルフ、ダービー馬サクラショウリ、

天皇賞馬メジロアサマをはじめ、桜花賞馬

ナスノカオリ、優駿牝馬優勝馬ナスノ

チグサやトウコウエルザ、ヤマブキオー等

数多くの名馬を輩出しました。

また、タケフブキの1歳下の半弟には

東京優駿(日本ダービー)や菊花賞、

天皇賞春に優勝したタケホープがいます。

タケフブキは昭和47年の牝馬クラシック組

で同期には悲劇の名牝タカイホーマや

桜花賞馬アチーブスター、トクザクラ、

キョウエイグリーン、シンモエダケ等が

います。

タケフブキはシンザンの故郷谷川牧場の

生産馬で旧馬齢3歳秋の中山でデビューし

新馬戦を快勝しました。

なお、この新馬戦には後に菊花賞、有馬

記念を制し、年度代表馬にも選出され

直線の荒法師と言われたイシノヒカルも

出走していて5着に敗れています。

そして続いて、いきなり重賞レース京成杯

3歳ステークスに参戦しました。

このレースには後に3歳チャンピオンに

輝くトクザクラやノボルトウコウ、スガノ

ホマレ等が出走し、タケフブキは

トクザクラが圧勝する中、3着に入り

能力が高いところを見せました。

年が明けて4歳になったタケフブキでしたが

昭和47年初頭は馬インフルエンザが

大流行し、関東地区での競馬開催が2ヶ月

中止になるなど日程が大きく順延される

こととなり、タケフブキも3月からの再始動

となりました。

緒戦の条件特別は15着と大敗しましたが

2戦目の条件特別で勝利し、2勝目を

あげました。

その後、カーネーションCでタカイホーマの

4着になると、続いて当時のオークス

トライアルだった4歳牝馬特別に出走。

14頭中12番人気でしたが、1番人気に

応えて快勝したタカイホーマの2着に入り

ついに大一番優駿牝馬(オークス)に

駒を進めました。

この優駿牝馬(オークス)には手続きの

不手際から桜花賞馬アチーブスターは

出走できず桜花賞で1番人気に推された

シンモエダケもトライアルで惨敗したことで

オークスを断念する中、天皇賞馬ヒカル

タカイを兄に持ち4歳牝馬特別を快勝した

関東のエース、タカイホーマが1番人気に

推され、2番人気はナオユキ、タケフブキは

3番人気に推されました。

1頭が出走を取り消して18頭で行われた

優駿牝馬オークスはゲートが開きスタート

すると快速馬キョウエイグリーンが

スピードを活かして先頭に立ち、その後ろ

からセンコウミドリ、カミノチドリが続き、

人気のタカイホーマとナオユキは中団から

進み、タケフブキとシャダイカールは

後方からというレース展開となりました。

向こう正面で今度はセンコウクインが

先頭を奪い、タカイホーマ、タケフブキが

外から差を詰めて直線へ。

直線に入って横一線となる中、内をついた

カンツォーネ、真ん中からタカイホーマが

鋭く伸び、大外からタケフブキも追い込み

タカイホーマとタケフブキの一騎打ちに

なりましたが、最後はタケフブキが鋭く

抜け出してタカイホーマを振り切って

優勝、第33代樫の女王に輝きました。

なお騎乗した嶋田功騎手は、このタケ

フブキに続いて翌昭和48年のナスノ

チグサ、昭和49年人気薄のトウコウ

エルザでオークス3連覇を果たすことに

なり、更にこの3頭はいずれも父が

パーソロンという快挙を成し遂げました。

そして翌年、タケフブキの弟タケホープが

人気薄ながら日本ダービーで怪物

ハイセイコーを姉のタケフブキを彷彿

させる鋭い差し足で差し切って勝利し

更に菊花賞も制して姉弟クラシック制覇を

成し遂げました。

今後の活躍が期待されたタケフブキ

でしたが、その後は凡走を繰り返し、

年が明けて5歳になったタケフブキは

8戦したものの勝つことは出来ず、6歳に

なってからも現役を続行しましたが、

オークス優勝で燃え尽きてしまったのか、

2戦しても勝つことは出来ず、条件特別戦

での6着を最後に引退し、故郷谷川牧場に

繁殖牝馬として帰ることになりました。

タケフブキは9頭の産駒を輩出し、

重賞入着馬2頭を誕生させたものの、

重賞勝ち馬を出すことは出来ませんでした。

 

記録によりますと

1995年1月15日 タケフブキは余生を

送っていた谷川牧場で26年の生涯を終え

天国に旅立って行きました。

今週は東京競馬場で牝馬クラシックの

二冠目第85回優駿牝馬(オークス)が

行われます。

桜花賞馬ステレンボッシュ、巻き返しを図る

チェルヴィニアとクイーンズウォーク、

アドマイヤベルに注目しています。

第85代樫の女王に輝くのは、どの馬か

今週も全馬の無事を祈りながらレースを

観ます。

先週、東京競馬場で行われました3歳の

最強マイラーを決定する大一番第29回

NHKマイルカップは、2番人気のジャン

タルマンタルがリス)が直線で力強く抜け

出して圧勝、G12勝目を挙げました。

2着には直線でごちゃついた場面があった

ものの、立て直して追い込んだアスコリ

ピチェーノが入り、3着には10番人気の

ロジリオンが入りました。

また、日本からフォーエバーヤングが

参戦し、米国チャーチルダウンズ競馬場で

行われた第150回ケンタッキーダービーは

直線で先頭に立ったミスティックダンを

フォーエバーヤングとシエラレオーネが

猛然と追い込み、3頭による壮絶な叩き

合いになりましたが、ミスティックダンが

ハナ差で勝利し、フォーエバーヤングは

惜しくも3着にやぶれ、歴史的勝利とは

なりませんでした。

しかし、直線で見せたフォーエバーヤング

の奮闘は日本の競馬ファンに感動を

もたらしました。

本当に素晴らしいレースでした。

今週は東京競馬場で土曜日に第69回

京王杯スプリングカップ、日曜日に牝馬の

マイル王決定戦第19回ヴィクトリアマイル

が行われます。

昭和期において、牝馬は早期に引退

させて繁殖のため生産界へ戻すべきと

考えられていて、古馬牝馬にとって目標と

なるようなレースも設けられていません

でした。

その後1996年にエリザベス女王杯が

条件変更され、4歳(現3歳)以上牝馬の

GⅠ競走として行われるようになって

からは、牝馬重賞競走の増設等、体系の

整備や充実が図られるようになり、競走馬

として長く活躍する牝馬が多くなりました。

そして、長く現役として活躍した牝馬からも

優秀な産駒が誕生するようになったことで

生産界の考え方にも変化が生じ、海外に

おいても牝馬の価値を重視する傾向が

強まってきたことから、2006年に4歳以上

牝馬による春のマイル王決定戦として

ヴィクトリアマイルが新設されました。

 

また京王杯スプリングカップは1956年に

5歳(現4歳)以上の馬による重賞として

「スプリングハンデキャップ」の名称で創設

され、1960年に京王杯スプリングハンデ

キャップと改称されました。

その後1981年から距離も1400mに

短縮され、更に1984年からは現名称の

京王杯スプリングカップとなり、現在は

安田記念の重要な前哨戦として位置

づけられています。

 

思い出の馬は、昭和53年第23回

京王杯スプリングハンデキャップ優勝馬

シービークインです。

シービークインは同期のトウショウボーイ

との間に史上3頭目のクラシック三冠馬

ミスターシービーを産んだ母として有名

ですが、競走馬としても類まれな先行力で

重賞を3勝する等、活躍した名牝でも

ありました。

シービークインの父は凱旋門賞馬として

初めて日本で繋養されたトピオでシービー

クインの他、エリザベス女王杯を勝った

ディアマンテ等を輩出しました。

シービークインはテンポイント、トウショウ

ボーイ、グリーングラスで沸いた昭和51年

の牝馬クラシック組で、同期には牝馬

二冠馬テイタニヤの他、ディアマンテ、

ベロナスポート、スカッシュソロン、

ニッショウダイヤ等がいます。

シービークインは旧馬齢4歳1月の東京の

新馬戦でデビューし、トウショウボーイの

5着になりました。

またこの新馬戦で4着になったのは後に

トウショウボーイ、テンポイントと共に

TTGと称されたグリーングラスでした。

そしてこの新馬戦で戦ったトウショウボーイ

とシービークインは後に三冠馬ミスター

シービーの両親となったという経緯から、

この新馬戦は後に「伝説の新馬戦」と

称されました。

シービークインは3戦目の未勝利戦で勝ち

上がると、いきなり格上の重賞競走、

当時のオークストライアル4歳牝馬特別に

出走しました。

このレースにはオークスで巻き返しを狙う

桜花賞2着馬クインリマンドが出走し、

当然1番人気に推される中、実績の無い

シービークインは14番人気での出走と

なりました。

レースはシービークインが軽快に逃げ

直線に入ってもスピードは衰えず、追い

込みを図るクインリマンドやタイシオリを

おさえて優勝、いきなり初重賞制覇を

果たしました。

そしてトライアル優勝馬として堂々と

優駿牝馬(オークス)に参戦しました。

このレースには二冠目を狙う桜花賞馬

テイタニヤが参戦。

テイタニヤが1番人気、クインリマンドが

2番人気に推され、シービークインは

4番人気となりました。

不良馬場で行われたレースはスタートして

ベロナスポートの逃げで始まり、ベロナ

スポートが失速し始めた第3コーナーでは

今度はシービークインが先頭に立って

逃げる展開となりました。

第4コーナーで人気馬のテイタニヤとクイン

リマンドが一気に仕掛けて差を詰め、

直線の勝負へ。

不良馬場の中で内をついたシービークイン

そして馬場の良い外をついたテイタニヤと

クインリマンドが必死に追い込み、逃げ粘る

シービークインをテイタニヤがゴール手前

で交わして優勝。

シービークインは善戦むなしく3着に敗れ

ました。

その後、夏を休養したシービークインは

秋緒戦、当時の牝馬東京タイムズ杯から

スタートしましたが、腰に不安が出たこと

から13頭立ての12着に大敗し、その後も

調子が戻らず、年を跨いで条件特別戦を

含めて8連敗を喫してしまいました。

年が明けて古馬となったシービークインは

秋の条件特別戦でようやく1年3ヶ月ぶりに

勝利を挙げるとオープン牡馬を含めた

戦いとなる毎日王冠に挑みました。

このレースには後の天皇賞馬カシュウ

チカラやカーネルシンボリ、トウフクセダン

トウショウロック等、牡馬の一線級が参戦。

カシュウチカラが1番人気となりシービー

クインは6番人気となりました。

スタートしてシービークインが先手を取って

軽快に逃げ、第4コーナーでカシュウチカラ

やカーネルシンボリが差を詰めて直線の

勝負へ。

直線に入ってカシュウチカラ、カーネル

シンボリ、トウフクセダンがシービークインに

襲い掛かり、トウフクセダンがシービー

クインを一旦交わして先頭に立ちましたが

シービークインが再度差し返して、トウフク

セダンをハナ差押さえ、何とレコードタイム

で優勝、2つ目の重賞を獲得しました。

しかし、このレコードタイムでの優勝の

反動か、続く重賞2走はいずれも着外に

終わりました。

年が明けて6歳になったシービークインは

現役を続け、重賞2走をいずれも2着に

入り、続いて京王杯スプリングハンデ

キャップに参戦しました。

このレースには、この年の有馬記念に

優勝し、年度代表馬にも選出された

カネミノブをはじめ、中距離の王者

カネミカサ、ブルーハンサム、タイホウ

ヒーロー、メルシーシャダイ等、古馬の

精鋭達が出走しました。

1番人気はカネミノブでシービークインは

2番人気に推されました。

スタートしてシービークインが先手を取って

逃げ、その後ろからカネミカサ、カネミノブが

続き、メルシーシャダイとブルーハンサムは

後方からというレース展開となりました。

シービークインは軽快な逃げを展開して、

先頭のまま直線へ。

例によって内をついたシービークイン、

馬場の真ん中からカネミカサとカネミノブ

外からブルーハンサムが必死に追い

込んで来るものの、シービークインの

スピードは衰えず、ブルーハンサムに

2馬身差をつけて快勝、重賞3勝目を

挙げました。

その後、シービークインは休養に入り

ましたが、7月に引退が決まり、北海道

浦河町にある牧場で繁殖入りしました。

 

繁殖初年度の相手にはテスコボーイが

予定されていましたが、種付け権を確保

できず、テスコボーイ産駒のトウショウ

ボーイが代用で選ばれました。

これも運命だったのか、この偶然による

交配により、三冠馬ミスターシービーが

誕生することとなりました。

そして、2年目にハードツービートと交配

されましたが、産駒は出産時における

アクシデントにより死産となってしまい、

以後シービークインは繁殖能力を失って

しまいました。

まさに三冠馬ミスターシービーを生むため

だけに繁殖入りしたかのようでした。

1989年に繁殖生活からも引退し、以後は

故郷千明牧場で功労馬として余生を送り

ました。

記録によりますと

1999年からは種牡馬を引退したミスター

シービーも千明牧場に移動し、シービー

クインの隣に放牧地が設けられ、母子が

互いを見える場所で過ごすという、

離乳後の競走馬としては珍しい状況と

なりました。

2000年に息子ミスターシービーが

蹄葉炎で先に死亡すると、その4年後の

2004年1月10日、シービークインも

老衰のため、31年の生涯に幕を下ろし

ました。

 

今週は東京競馬場で土曜日は京王杯SC

日曜日は4歳以上牝馬のマイル王決定戦

ヴィクトリアマイルが行われます。

京王杯スプリングカップはトウシンマカオ

ウインマーベル、リュミエールノワル、

ソーヴァリアントに注目しています。

 

ヴィクトリアマイルは実力馬マスクト

ディーヴァ、ナミュール、ウンブライル、

モリアーナに注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。