明日の仕事場で、多分、続きは書けそうなので、いつも通り、

「Kyoの思い付き」の「記述(=Ecriture)」を、どんな?Styleに?為るか?解らないけど、

書き始める決心をしました。

 

岸敬子さんが、残念なことに、この世を去られました。

 

ある意味、この人物とは、東京時代を経てのフランス時代の体験を持つKyoには、<“直接”と“間接”を、“複合体”にした“直間複合体”>を、真に生きたと、云える物語の始まりと云えるかも知れませんが、<“Calder作品”の“三次元に在りながら二次元化の美と一回性への確信”と“チャップリンとは異なった、技・術への挑戦”と“ベルグソン的笑い”の“発見”>を含め、<全ての“事象”の“複合的科学的様相”は、究極的には、“人間の情緒”の“次元”には、“在り得ない”>と、Kyoは、<“自らに嘘を付いた”という“演算式”を、“自らに嘘を付いている意識を裏切れない”という“自らが背負うことしかない原罪”と、共に採用する“決心”をした>ということになる。

<“共に生きる資格”を“有しない者達”は、“共存不能の原理・法則”という“殺害・殺戮”の“決心”と為っている“永遠のアルゴリズム的演算不可能なAI”と為っている>としか言いようが無い!

 

此処からは、<日本には、“相互部分の法則”で、決して、纏まった、数学的で科学的な整合性のある科学的自然の美学を破壊する“日本人悪魔の塊”が、“癌細胞”の如く“日本国を蝕んでいる集団”がある>という物語を書いていくことにしましょうね。