2013年5月9日

 

「甘えのセミオロギー」

 

白石 潔 著

 

  土居健郎が戦後、ガリレオ財団の奨学金を受けて、アメリカのカンザス州のトピーカのメニンガー・クリニックに留学した時の体験から、土居の「甘え」に関する研究が始まったことを知ることができる。土居のアメリカ体験は、「日本人であれば、明らかに患者が治療者との関係で“何を訴えっているのか?”は、“一目瞭然である甘え”を、アメリカ人の治療者達が“捉えきれず”にいる」ことを不可思議に思ったことであった。

 

 この「対人関係に派生する心理的現象」である「甘え」に、「欧米人(?)」が無頓着である」ことへの驚きは、土居の「日本文化」の持つある特殊性に関心を抱かせ、九鬼脩三の「粋の構造」や「恥」及び「自分」等を巡る精神病理の領域の開拓の契機となった。また、精神医学の領域に属する森田療法も日本独自の治療技法で、森田が注目した「とらわれ」をシュナイダーとの「比較文化精神医学(文化人類学的精神医学)的視点」から考察もしている。

 

 ここで、古沢平作について触れておく必要があるので、若干ではあるが簡単に彼ことを紹介しておく。古沢は、日本人で最初で最後のフロイトの下に赴いた人物で、東北大学で丸山等と「精神分析の研究を精神病理学のグループ」と成し“ドイツ語での論文集”を出版していた一人だった。古沢は、オーストリアから帰国した後に東京に居を移し“精神分析治療の場”を設けた。

 

彼は、「日本的な“エディプス・コンプレックス”」を「涅槃経」の“亜邪世王の物語り”を参照し、「浄土真宗的な文脈」に改竄して、「阿邪世コンプレックス」と“日本語で表題”にした論文を送った。古沢の「亜邪世コンプレックス」の理論化は、結局、フロイトには認められることは無かったが、日本の精神分析の歴史では「フロイトに送った論文」としての価値が一人歩きし、いつの間にか「日本人のエディプス特性」として、現在も尚、評価・研究の対象とされている事は、知っておく必要がある。

 

 この論文は、「釈迦と“亜邪世と彼の子どもと王である父とその妃である無言の母”との関係」を巡っての物語であるのであるが、古沢は「この無言の母を“あたかも釈迦に被せて許しの象徴”」の如く「物語の文意と文脈を“涅槃経”の持つ“仏教的意味”をも“無視して改竄してしまっている”」ことに、古沢の「精神病理」と、常に不思議なぐらい問い続けられて今日に到っている「日本人論」に見られる「日本人の特殊性」と「アイデンティティー」の課題に属する「文化精神病理学」に属する「文化性の病理」を、代表している論文の一つといえるのである。

 

 筆者の理解している内容に関しては、「涅槃経」の原文を読むことと「釈迦=シッタルダ」の「涅槃に辿り着く人生」を習得すると同時に、インドの宗教の変遷の歴史を知ることで、「改竄せざるを得なかった」ことが、正しく、古沢が抱えた“精神分析の創始者であるフロイトへの転移”であるが、釈迦が涅槃に到達する過程には、苦行である修行が齎した涅槃ではなく、孤独にあった釈迦は「女性との出会いと契り」の体験を経て“涅槃”に辿り着いたことを知っておく必要がある。その様に考えると、この「アジャセ・コンプレックス」の論文は、「古沢自身のエディプス・コンプレックス」との理解が可能となる。

 

 フロイトの提唱したエディプス・コンプレックスは、精神分析に於いては「普遍的な心理過程」で、この過程を通過することにより、土居の着目した“複雑な意味合いを所与している日本語”から抽出した「自分という“主語であり主体”」が、“構造化される”のであることを認識する必要性がある。

 

キリスト教徒の信者である土居は、おそらく浄土真宗東本願寺派に属する古沢平作に「精神分析のセッション」を受けた経験があったが、この「古沢と土居」の分析の状況で、一般的には「土居が小沢との分析のセッシションで、土居が古沢を拒否した」ことが原因での“決別”との理解となっているが、筆者の考えでは、土居が目指した「精神分析の世界は、文化とフロイトの無意識の形成物が、“母子関係を軸に、どのように発達しながら形成されるのか?”」という“土居の精神分析体験から得られる確信”が、古沢との分析体験では「欲動に焦点化された解釈型の分析経験」であった可能性があり、然も、「強い父」を求める「エディプス・コンプレックス」があり、「古沢との分析過程では得られることが無かった」と推測できる。さらに、小沢のフロイトへの転移には、「フロイトへの“甘え”」があると同時に、「“涅槃経”の亜邪世王の母である“イダタの在り方”」についての“改竄”を巡る“罪悪感”が生じざるを得ない状況にあったといえる。つまり、「母」を代表する「他者に“許しを請わざる”を得ない罪を、犯してしまった。」という「個人の欲望に引き出された“自己愛的特殊性”という“理由”」が在り、「保身的でもあり、一つの構造を省みないで通過した“挑戦”」とも考えられる。

 

何故ならば、「母であるイダタは、“亜邪世が彼の息子に対して採った行動は、亜邪世の息子が同じ皮膚の病を患っており、亜邪世の父が亜邪世の息子と同じ病を患っていた時に息子への魂心の思いで接していた”ことのみを、亜邪世の子に対する“在り方を見て”、“母は、息子に対する在り方を”唯、告げただけの役割」を担っだけで、「それ以外のことは、何もコトバにしなかった」ことが、原典に記載されている内容である。そして、「母の言葉」を聴いた亜邪世は、「家来に“父を助ける”ように命令し、馬を走らせたが、“幽閉されていた父親は、既に死に絶えていた”」ことで、「亜邪世は、悲嘆にくれ、改心した」というような物語で、エディプス王が、「自分の出自を、羊飼いを通して“真実を知る”」ことになるが、亜邪世は「母親の語り」で「真実を知る」ことで、「母との生活を続けながらの在り方は、精神分析の世界では“母親という対象物を独占したいという願望”そのものである」としか理解が出来ない。この“無意識の願望”は、実際に“その願望の実現に障壁になる父親”を“殺害する”か“不在にするか”」という形式でしか成立しない。

筆者の立場も、フロイトが採った「エディプス・コンプレックス」の持つ、「人間の社会化された生き方に絶対に必要不可欠の“普遍性”を内包している課題」としてしか、考えようが無い。日本の文化特性が、他の諸国の文化特性と同等に評価され、“文化人類学”“比較文化論”などを通して、「日本語の持つ特性に由来する」のは、当然のことである。フランス人のジャック・ラカンは「全ての言語には、その言語自体が持つインテリジェンスが存する」と形容している。そのような意味では、「日本語臨床研究会」では、「日本語その物を対象とし、言語と起源と構造と臨床」という、広いフィールドでのんびりと討論できなかったことは、著者をはじめ“恥の体験”としてしまったという残念さが残ってしまった。

 

最近では、「エディプス・コンプレックス」の持つ構造に関することに関しては、「世界で共通の理解として成り立っており、古沢の理論は“母なる他者を巡ってのエディプス・コンプレックス”の形態で“父なる他者の代弁者”として“父なるものを母なる他者を通して原父”との“葛藤を生じさせる”理論」として容認され、彼らは「逆行型=逆エディプス」と表現している。

 

この罪悪感は、ある意味では「涅槃経に登場する“釈迦の在り方”」と、原文では「亜邪世の“父の幼児期の亜邪世に対する在り方”(イダタの語りで知った)」によって、「父への罪の意識の芽生え」と「“釈迦”の亜邪世の罪」を「釈迦自身が引き受ける」という物語の中に、重層構造を呈している「エディプス・コンプレックス」が見出される。これは、古沢の亜邪世に関する問題点として提起しておくだけにしておく。

 

ここで、土居の甘えに関する理論化と日本語を通してしか得られなかった「甘え」という語彙が日本語に日常的な言語として存在している事実への、土居自身の足跡を辿ってみることにする。この足跡に関しては、日本語臨床で星和書店から出版された“「甘え」を考える”の本に、「自閉領域と甘え」の書き下ろし型論文で、詳細に白石潔が論じているので原文を参照して頂きたいが、土居理論のコアになっている部分については、この文章を借りて紹介したい。

 

土居は、甘えの理論を分析の終結に関する項目で最終の概念を、世に知らしめている。この事態は、只者ではないと、一般の読者ならば理解できるはずである。ある意味の日本語を通しての理解は、英語に翻訳することで「“内容”の厳しさ」を痛感されるはずである。然しながら、同時に土居は、エルンストの論文を参照しながら、「言語と抑圧」についての言及を試みており、自ら「土居の言語と無意識の関連性」について、「ラカンとの近似性」を告白している論点は、筆者にとっては「日本人と日本語」のテーマとして、かなり大切な論説だと思ってしまう。

 

何故ならば、我々日本人のことばの原型は「母語=個人にとっての文化的要素を母子の関係から“排除”できない“構造”を数学的に、生きざるを得ないからである」との結論に至る。然しながら、後期の土居の表記に至っては、「ラカンが言語から遠のき、恰も“理解の対象論理”から“排除”されたかの如くに感じられる」ような表現をしてしまっていることから、ラカンの提示した「想像界」こそが、「甘え理論」の中心点という核であったことを、土居が読み損ねたことは残念なことである。