今回は、Kyoの友人から送られてきたメールを紹介し、私の感想も書いてみました。

ご一読下さい。。

 

Kyo

 

以下、昨日聞いた山上さんの判決についての感想です。

 

人を殺すのは良くないよ。というのは子供でも分かる。当然の道理である。判決にあるよう、被告は40代、この歳なら自立した社会人であるから人は殺してはいけないという規範意識を持っているのが当然、でもなかろう。考えることをしたから、追い詰められたにせよ(何に?判決の言うような経済的逼迫と時間の問題ではない)、人を殺めたわけである。私だってそれなりの理由とそれなりの状況に直面すれば、いつ人を殺めるか分からない。この歳でも。

 

無差別殺人をする者もいれば、異常者もいる。しかし山上被告の場合は理由がある。これだけの大事件だから、山上被告が自問の途上にあって寡黙であったことから、首相殺人に至る心理過程に不明な点が多く残ったにせよ、これは本人にも今は説明できないであろうと同様に、本人の力を超えた社会的動因もあったと考えるのが、大人の理解であろう。この点で、この判決は「自立した社会人」の知恵に達しないものと映る。

 

今朝は、山上被告の判決の記事を読み気持ちが翳って、彼ほど同時代を生きている個人として自分の心にグサっと刺さっている存在はないなあ、と改めて思った次第です。

 

というのも、山上被告は、戦後政治(自民党)の癌層、ここ数十年退行の一途にある日本の社会と政治の病理現象を一気に露見させた人で、山上さんの怨みや怒りは、私にも理解共感出来るものであり、社会が努力しない限り、この病いは更に進行して山上被告と自分の中の山上被告を包囲し溶解してしまうという危惧もあるからです。

 

弁護団は控訴を考えているようで、山上さんは自身の為にも社会の為にも控訴する方向に心を固めて欲しい。彼ひとりではなく社会も罪を背負っていることを、司法に知らしめる必要からも。

 

政教分離である筈の日本に数多とある新興宗教組織の闇、それと結託した政治の闇を、解明しメスを加えて行くためにも、日本社会は、山上被告を必要とするし、獄中にある市民山上さんに手を差し伸べ、一緒に考えて行く義務がある。

 

山上さんは加害者であると同時に、カルト集団且つ犯罪的な「政治結社」でもある「統一教会」、それと結託した倫理観の欠落した腐敗政権、それに忖度する司法機関、そして不寛容で無関心な社会の被害者でもある。判決は最近の司法の人事や機能不全から予想された通り、検察側の主張を100%呑んで、この考えとは遠いどころか、山上さんの育った環境、政治的社会的要因を切り捨て、徹底して山上さん個人に責任を負わせる真逆のものであった。

 

「不遇な生い立ちは遠因に過ぎず」「殺人行為に至るには大きな飛躍がある」と言うが、遠因? この裁判官の論理こそ飛躍していないか?

背景にある政治と宗教との癒着を無視し、完全に切り離した判決。これだけ広範囲に亘って日本の社会について本質的な問題を提起している事件を、「自身の都合を優先させており、短絡的」、「自己中心的」という用語で切り捨てる論理もまた、極めて短絡的である。判決を下した裁判官、裁判記事を読む度に判決を下した裁判官がどういう人間かよく想像するが、今回もまた寂しいものがある。

 

一方で違法行為をしても訴追や処罰を免れる権力側の政治家や官僚が放置され続け、法治国家の体をなさない現状から社会が被る悪影響は計り知れない。これらの人間の罪と山上被告の罪を比較してみると、前者は汚濁にまみれて不毛な世界だが、後者の理解は「カラマーゾフの兄弟」と同じく人間探求と哲学の域にあると断言していい。

以上

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Yoyo

 

山上による安倍晋三元首相殺害事件については、小生は個人的精査と検証をしてみました。

 

詳しいことは記述できませんが、結論は、「確かに、山上は、“3Dプリンターで作った手製の銃装備”で、発砲している」が、<「山上に対しての“保護的立場での抑止”」と「安倍晋三氏に対しての“保護的警備の杜撰さ”」>が、<不思議な要素的な現象を孕んだ状況が、“継時的に起きている”ことが、蔑ろにされているし、“司法解剖から見えてくるはずの細やかな精査的分析”が、知らされていない等>があり、“結構、難しい殺人事件”と思えます。

 

「Yoyoの見解:日本国憲法を前提にした“社会・政治・経済・宗教等の次元に引き起こされてしまった悲劇”(=加害型加害者・加害型被害者・被害型被害者・被害型加害者)」を認めた上で、「包括的な“論理的精緻な再考”」が望ましいと思っています。

 

メール、ありがとうございました。

Kyo