「Pygmalionを観劇して」

 

白石 潔

 

 

2026年2月22日の日曜日、12:30に、北九州芸術劇場の大ホールにて、「沢尻エリカさんが、“主役のイライザ”を演じた“Pygmalion”」を観に行くことが出来ました。

Kyoなりの感想を、思い付きで、書いてみたいと思います。

 

まず、バーナード・ショーの作品の原本は、ギリシャ神話に見つけ出せる,  「PygmalionとGalatée (en grec ancien Πυγμαλίων κα Γαλατεία / Pugmalíôn kaì Galateía) 」の伝説型の物語に為っています。Pygmalion という彫刻家が、「自らが創作した“Galatée”と名付けられた“塑像”に、“大きな愛を感じる状態”」に陥ってしまいました。そこに、「愛の女神である“Aphrodite”は、“Pygmalion”の“強い想い・望み・願い”を汲んで、“Galatée”に、“生”を与えた」と為っています。

この伝説は、通常は、「“変身”について幾つもの表現をしている“Ovide”の“語り”に由来している」と理解されているようです。

 

次に記載されている部分は、「今回の“演劇に関して広報された内容”」と為っていますが、非常に参考になると思います。

 

イライザが選ぶ結末、人生の選択とは─

ノーベル賞作家”バーナード・ショー”の傑作喜劇!

シェイクスピアに次ぐ英国人劇作家の巨匠でありノーベル賞作家であるバーナード・ショーの代表作『ピグマリオン』。1913年にウィーンのホーフブルク座で初演されて以来、今もなお世界中で愛され、上演され続ける名作です。

 

下町の花売娘イライザが、音声学者ヒギンス教授と出逢い、厳しい訓練を経て、社交界デビューを果たし、上流階級の公爵婦人へと生まれ変わっていく姿を描く本作。教養を身につけたイライザが選ぶ結末、

 

彼女の幸せとは――

 

映画版ではオードリー・ヘプバーンなど数々の名優が演じて来たアイコニックな主人公イライザ役には沢尻エリカ。

 

イライザを変貌させるヒギンス教授役に無二の存在感を放つ六角精児。

 

また上流階級の家庭で育ったフレディ・エインスフォードヒル役に橋本良亮ほか、清水葉月、玉置孝匡、市川しんぺー、池谷のぶえ、小島聖、春風ひとみ、さらに平田満といった豪華キャストが集結します!

今を生きるすべての人へ、一歩前へ踏みだす勇気を贈る物語。どうぞご期待ください。

 

あらすじ,

 

音声学のヒギンス教授は、ある雨の夜、コヴェントガーデンの路上で花売り娘のイライザと出会う。ロンドン訛りが強烈で教養の一欠片もないイライザ。そのイライザの夢は路上の花売りではなく、花屋で働けるレディになること。「この娘にたった6カ月で上流階級の話し方を身につけさせることは可能なのだろうか。」ヒギンスは面白い実験材料が見つかった!と喜び、盟友のピカリング大佐と協力して、イライザを徹底的に教育する日々が始まる。

過酷なレッスンを経て、ヒギンス教授とピカリング大佐の期待以上のレディに生まれ変わったイライザは、見事、社交界で大成功をおさめる。そんな中、若い青年フレディはイライザの真の魅力に惹かれていく。

 

作:

ジョージ・バーナード・ショー

 

演出:

ニコラス・バーター

 

翻訳:

髙田曜子

 

上演台本:

須貝英

 

美術/衣裳:

パメラ・ハワード

 

出演:

 

沢尻エリカKyoの感想では、<“表現者”としての“資質に優れている人物”で、“他のかなり優れた表現者達”に、“圧倒されずに、練習を積み重ねた”ことが、“実を結んだ”>と思う、と、同時に、“培った才能を磨いた美を濯げる女性の代表の一人で、この人物の為に、個人的にも探究してきた、歴史的には、地中海沿岸で王族領地を幾つも築きながら、ユダヤ人のイスラエルとは違う、自らの国家を望まない民族で、現在も、世界では活躍している、大切なベルベール人との繋がりも持っている人物である!”と確信しました。

 

六角精児:他の表現者を代表している、舞台状況の状況を把握しながら、対応できる優れたリーダーのようでした。

橋本良亮 清水葉月 玉置孝匡 市川しんぺー

池谷のぶえ 小島聖 春風ひとみ

平田満 ほか

 

企画・製作/エイベックス・ライヴ・クリエイティヴ

主催/RKB毎日放送/キョードー西日本

協力/北九州芸術劇場

 

ここからは、Kyoの個人的な、思い付きなる感想を表記してみます。

 

まず、アイルランド人で、ノーベル文学賞を授与されたSamuel Beckettの「Godotを待ちながら」と訳せる「不条理で馬鹿々々しい“演劇”」を、Kyoが、Parisで、観劇した記憶が想起されたことでした。この劇は、多分、当時の演出で、「演劇者と観劇者が、“混然一体”になるような“舞台の設定”」と形容できると思います。

 

George Bernard Shawは、ギリシャ神話で物語られた“伝説”を“喜劇の構成”にして、世に送り出しました。ある意味、「演劇文化の“比喩化された演劇者による舞台表現の庶民化”」と云えるかも知れません?だからこそ、今回の「Pygmalionの舞台」を無条件に、楽しく、鑑賞できたと思います。

 

そして、同時に、Samuel Beckettの「Godotを待ちながら」が、表現しうる次元に在るものには、「この時代に蔓延ってしまっている“何を?待っているのか?何を?待たざるを?得ないのか?”」のテーマだったのかも知れません?

 

今回の、George Bernard Shawの表現した「Pygmalion」の日本での公開では、<“愛”と“疎外”と“他者の欲望”と“個の存在の保証に不可欠”、な、“人間と言語と精神次元に在る構造的な主体に宿っている必然的な要素群”>に関しての“歴史的普遍性の発掘”が、面白さと共に表現されていた、と、同時に、「沢尻エリカさんが演じた“イライザ”」は、<“日本”に於ける“女性”の“真の自立とは?何か?”への“問い”に為っている>と思えました。

 

同時に、人間の存在そのものを“問う”、やはり、ノーベル文学賞を得ながら、受賞を拒否したJean-Paul Sartreの「Huis clos:鎖された扉?」という戯曲も、思い出されました。

 

表現者達は、皆さん多才で、舞台設定、照明、音響、動作、仕草、声、表情、時間等も工夫されて、優れており、楽しめましたが、Kyoの眼鏡では、細かい表情を掴み難く、少し残念でした。

 

しかし、シェイクスピアを始め、民話や伝説の多いアイルランド系の表現者は、改めて、凄いことを教えて頂き、<ありがとうございました!>

 

以上、Kyoの感想です。

 

本日は、<“日本の憲法”に記されている“天皇=象徴”で、“天皇制が在り得ない”という“祝日”と為っています!>

皆さんの今後のご健闘とご健勝を祈っています。

 

Kより。