2021年7月6日 乃木坂に越されました(#0) レポ | 2コ下のブログ

結論を最初に書くと、特に目新しい情報もなく、強いていうなら、こんなつもりで作った番組です、という自己紹介である。まあでも久しぶりの冠番組だし、最初が肝心なのでしっかりとメッセージを受け取り、感じたことをレポートしたい。いつものことだが、(バレるような中身はないけど)ネタバレ、そして私個人の感想に基づく独断と偏見である。


■テレビ不信

テレビというメディアが嫌いである。歳をとったからではなく、小学校低学年の頃から嫌いであり、いつか改善するのではないかと期待してきたが、変わったのはピクセルが密になっただけであり、私が嫌いになったメディアの性質は半世紀近くも変わっていないから、おそらくこれがテレビというヤツの本質なのである。

何が嫌いなのかというと、次の3点である。

1.時間泥棒である
2.いいところで切って引き延ばす
3.押しつけてくる

まず、文字にすれば
『普通の女の子が切磋琢磨して魅力を磨いてきたAKB48が
競争することをやめ、坂道に追い越された。』
と、ほんの2行で書けることを30分もかけてダラダラ説明する効率の悪さである。お迎えを待っている寝たきり老人なら丁度良いかもしれないが、時間効率が悪すぎる。


CMを見て貰いたいからという理由があるにしても、そもそもCMを流さないNHKでも同じなのだが、いいところで切る。アニメも続きが気になるちょうど良いところで切って、次回の予告までやるが、1週間待てというのは小学生にとっては永遠に匹敵する長さである。CMに合わせて盛り上げて、CMが空けたらまた少し前からやり直す。最近はそもそも少なくなったが、野球中継はどんなにいいところでもぶった切ってあとはラジオで聞けという。期待して待つことをやめれば楽になるという事を学んで以降、テレビに何も期待しなくなって結果見なくなったのは当然の帰結である。ほとんど見なくなって20年くらい経つ。リビングにはおろか、自宅にテレビという装置はない。ガラケーやパソコンのおまけ機能でしかない。


あらゆるメディアにイデオロギーの押しつけはあるが、テレビは「気分」や「空気」まで押しつけてくる。落ち込んでいるとき、やたらに騒ぎまくっているお笑い番組を見て空元気になってみる、という効能はあるかもしれないが、どうでもいいことを眉間にしわを寄せて「けしからん」と言い続け、最後は結論もなくお笑い芸人が締める番組をながら見したりすると、内容は忘れているのだけれど、何となく「ダメだ」という気持ちと、イライラだけが残っている。最悪なのは、ただ事実を伝えているだけですよーと標榜する報道であって、ニュースショーという言葉が示しているように、事実をベースに過剰演出され、気がつかないうちに精神汚染されているからタチが悪い。


■のっけからがっかりしたこと

冒頭、AKB48単独コンサートの重大発表の場面から始まる。このボケボケの画面は、わざとぼかしているわけではない。そりゃあ、暗転して真っ暗な中で巨大ビジョンの文字だけが出てくる場面、素人ならピントを合わせるのは難しいかもしれないが、この日カメラを操作していたのは素人だったのだろうか。固定カメラでビジョンまでの距離も熟知していて、イベントの流れも把握しているカメラマンが、満を持してこれである。前日の峯岸卒コンも、この日の単独ライブも、会場の映像は素人並みにダメだった。ピントのことだけでなく、カメラ割りがど最悪だったのだ。事情がどうであれ、1度限りしか見られないイベントに素人がダメ出しするようなスタッフしか配置できないのは、完全にNGである。このイベントに限ってダメだったことに鑑みると、犯人は自ずと明らかになるわけだが、ここでその責任を追及する気はないので、ただダメだったということを述べるにとどめる。

単独コンサートのことはそっちのレポに書けば良いのだが、テレビでもこのボケボケ映像を恥ずかしげもなく使っているところに、責任者は映像を扱うプロとしての矜恃がないのかと、愕然としたのである。勿論、枠から察するにこの番組に掛けられる人工は僅少であることは想定できる、しかしだったらスポンサーであり作り手でもある組織の意思決定権者はコレを見てどう判断したのか、後述するが、結局問題はそこなのである。平和ボケしてアイデアも枯渇し、自らの存在意義さえも見失っているのは誰なのか、冒頭からそういう問題意識をもって番組を見ることができたのだが、そこまで考えてこの映像を使ったのなら、完全に脱帽である。


■この番組の目的

番組の大部分は、過去の映像を流しながら、DJナイクさんの渋いナレーションでモノローグするという形式である。ここに、番組の作り手の意図が込められているので、ちょっと長いが引用して論じたい。

この日、私たちは見てはいけないものを、見てしまった・・・ この屈辱的とも見えるタイトルをつけられた悔しさより、新番組が始まるという喜びを前面に出す彼女たち。

というか、誰が考えたか知らないが重大発表のテロップそのものがまずかった。1行ずつ、ドーンとかいいながら

「7月から新番組」

「乃木坂に、越されました。」

「~崖っぷちAKB48の大逆襲~(仮)」
地上波の冠番組がなくなっていたのはみんな知っていたから、1行目で、新しい番組が始まるのかと期待して盛り上がった。それはメンバーもヲタクも同じ。

2行目で、新番組も乃木坂に持って行かれたのだと思った。会場でリアクションを見ていたが、メンバーもヲタクも大多数がそう理解した。だとすれば何が重大発表なのかと、皆いぶかしく思った筈だ。ここの溜めは非常に長かった。

そして3行目で、やっぱりAKBの番組だったのかとわかったが、メンバーも会場も半分くらいしか理解できていなかった。それだけ、「乃木坂に越されました」のインパクトが大きかったともいえるが、明らかにミスリードであり、誤解や混乱をさせたところで良いリアクションなんて撮れるわけがない。番組タイトルは仕方がないとして、明らかに提示の仕方が下手である。

 

そして、舞台裏で新番組に興奮し、喜ぶメンバー達のリアクションを映した後、以下のように続ける。

予想していたリアクションと違った。一体、いつからこんな事になってしまったのか…? そして、これはこのグループ本来の姿なのだろうか。

乃木坂に越されたと侮辱されたことに対して怒ったり反発したりというのが予想していたリアクションだったというのだろうか。それこそこの後の場面でAKB48の絶頂期とか言っていた時代からヲタクの大量流出が始まっていたし、それを目前にして危機感を覚えていたのはメンバー達である。そして、キー局の地上波テレビ番組が自分達が世間に広く認知されるためにどれだけ重要かを理解していたのもメンバー達である。だからこそ、無茶振りされようと、変顔させられようと、バンジージャンプをさせられようと、テレビ番組が始まることに素直に喜んだのだ。いつから? 私が知っている限り最初からである。だから、これはこのグループ本来の姿であることは間違いない。

 

そもそも、乃木坂のようにキレイな衣装を着て澄まして歌って踊って、きれいなアイドルとして愛でられたいと思わないメンバーはいないだろう。AKBはとにかくバラエティのノリで、驚かされ、バカにされ、傷つけられ、虫を食わされたり、お笑い芸人のまねごとをさせられたりする。でも、そこでくじけず頑張る姿をヲタクが見ていて応援してくれる。自分たちがそういうグループに所属していることを少し残念に思いながら、しかし自分たちの長所であり特徴であるので、それでも前向きに素直に頑張るという彼女たちこそがAKB48なのだ。比較して煽りたいのは番組的に理解できるが、最初からこのベクトルの狂いはどうすれば良いのだろうか。リアクションを使われていたゆきりん、小麟、みーおん、えりぃ、怜ちゃん、まさかこんな取り上げられかたをするとは思わなかっただろう。本当に気の毒でならない。

テレビ東京スペシャルプロジェクト
乃木坂の上の雲


個人的には良いタイトルだと思う。がしかし、司馬遼太郎の歴史小説、「坂の上の雲」をどれだけの若者が知っているのだろうか。まさに、明治は遠くなりにけり、である。もっとも、このパロディがわからなくても本筋には影響を与えない。夢のあるウキウキするタイトルだが、実際そんな楽観的な状況なのだろうかという一縷の不安もある。



まことに小さなアイドルグループが開花期を迎えようとしている。小さなといえば、2000年代初頭のAKB48ほど小さなアイドルグループはなかったであろう。特徴といえば、「我武者羅」しかなく、人材といえば他のオーディションで落ちた普通の女の子しかなかった。AKB48によって、彼女たちは初めて「チーム」というものを持った。誰もが、「アイドル」になった。

まことに小さなアイドルグループ? 初期20名(麻里子さまを入れたら21名)は、大所帯だ。誰がこれを書いたのか知らないが、現在90名超のメンバーと比べたって「まことに小さな」アイドルグループだろうか。

 

開花期って何だ? 初めてCDシングルを出した時、初めてテレビのレギュラー番組をもった時、初めてレコ大に出た時、初めて紅白に出た時、そういうことならわかるが、ピークを過ぎ、世代交代も進む中で、どうして今を「開花期を迎えようとしている」と言えるのだろうか。

 

「我武者羅」を繰り返していたが、まだ「がむしゃら」の方がしっくりくる。そもそも、当時言っていたのは全力や本気であるが、もはや大人達の間でも継承されていないのではないかと疑ってしまう。AKBの黎明から成長期を語るなら、寧ろ本気と書いてマジと読むのがぴったりくる。

 

オーディションで人材を集める以上、他のオーディションを落ちた人しかこないのは必然であって、AKBに限った話ではない。普通の女の子を強調しているが、子役出身者やメンバーの姉妹親戚も多い。ダンスや歌の経験者は多くを占める。アイドル活動は未経験でないと採用されないと聞いたことがあるが、彼女たちの多くは物心ついた頃からアイドルに憧れて、なりたくてやってきた人達である。初めてチームを持ったというのは意味が分らない。普通の学生だってクラスメイトや部活仲間はいるだろう。AKB48に加入してアイドルになったのは当然そうなのだが、「誰もが」ってどいういう意味?

 

正確ではない、ほとんど意味のない言葉を渋い声で連ねてゆく手法は、まるで催眠術である。映像のチョイスから察するに、垢抜けない素人っぽい女の子達がAKBに入ることで立派なアイドルになったといいたいのだろう。
 

 

社会のどういう階層のどういう家の子でも、我武者羅さとある一定の人気を得るために必要なやる気と根性さえあれば、選抜にも、センターにも、モデルにも、女優にもなり得た。

これもまたよくある欺瞞である。まあ確かに、資産家や有名人の子弟でなければ入れないということはないのだが、元々芸能界全般がそうだろう。ある一定の人気と普通に聞いてイメージするのは界隈を形成するガチヲタが50名、握手会2コマ1000名を毎回完売、総選挙得票13,000票程度というレベルだが、それで選抜やセンターやモデルや女優になれないのは明白である。そいういうチャンスがある程度回ってくるのは総選挙40位くらいから上だろう。間尺の合わない話をすると、話全体が信用できなくなるからやめたほうがいいと思うよ。じゃんけん大会は、ヲタク人気でも売り上げでもなく、純粋に運でチャンスがつかめるという夢のある企画だったが、誰のせいとは言わないがガチでやった結果悲しい結末を迎えて修正せざるを得なくなったのはまだ多くの人が覚えている。要するに、入るのは簡単だが、そこから頭角を現わして活躍するには、とてつもなく長く厳しい努力を積みながら雌伏するか、悪目立ちでもいから才能を開花させるしかないという現実。


不慣れながら、「アイドル」になった彼女たちは、AKB48史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、AKB48の歴史は分からない。

まあ映像の流れから察するに、普通の女の子がアイドル活動をやるようになって昂揚したと言いたいのだろうが、「AKB48史上最初」、「体験者」、「新鮮さ」、いずれも意味不明。「痛々しいばかりの昂揚」って何のことだろうか。痛々しいと言えば選抜総選挙あたりが思い浮かぶんだが。オーディションに受かってアイドル活動するようになれば、そりゃあ昂揚するだろうけれど、それがわからなければAKB48の歴史が分らないとか言っている意図が全くわからない。

まったくの素人からオーディションで選ばれた彼女たちは、体当たりで戦い続けた。やがて、国民的アイドルグループの名さえほしいままにした。しかし、2019年AKBINGO!終了、キー局地上波レギュラー0に。2020年11年連続で出場していた紅白落選。

他の部分と比べると、この文章はわかりやすい。そしてレギュラー番組を失い、紅白にも出られなくなったというのは事実だし、凋落と呼ばれていることも知っている。でも「バッチこ~い」とかやっているし、この番組も始まったし、別にいいんじゃないの?

この物語は、この小さなアイドルグループが、国民的グループに上り詰め、坂道におけるもっとも古いグループの1つ乃木坂46と対決し、どのように振る舞ったかという物語である。

だから、最初20名、今は総勢91名、国内グループ317名、国外グループ292名を擁する世界最大のアイドルグループなんだって。ももクロはたったの4人で度々年間動員数1位になっているし、Perfumeは3人でやっている。91人いれば東京ドームのアリーナを埋め尽くしてパフォーマンスすることもできる。結局乃木坂と対決したという話は一切出て来ないので、次回以降のお楽しみということらしい。

ともかく、我々は3人の人物の後を追わねばならない。
第一章 前田敦子とライバル達
(約10分)
第二章 指原莉乃とAKB48全盛期(約7分)
第三章 最後のセンター山内の苦悩(約3分)

ああ、「ねばならない」のですか。それならお好きにどうぞ。ここからは3人のメンバーを中心に歴史を振り返るコーナーなので詳しくは割愛する。ここまでで約3分、ツッコミどころ満載の間違った言説を矛盾含みで繰り返し、頭がおかしいんじゃないかと疑ってしまう。少なくともAKB48の歴史をリアタイで体感した人が書く文章ではない。

指原はAKBである。まあね、でも本当は峯岸みなみこそがAKB48だったんだよ。コンサートでもテレビ番組でも、ど真ん中のメンバーは移り変わってゆくけれど、傍らを見ればいつもそこに峯岸がいた。失敗してもやり直せばいい、そして努力が直ちに必ず報われるわけでもないけれど、頑張ればきっと何らかの良い結果が待っている。カッコ悪くたって、やりたいと思ったら目先の仕事に全力で取り組めば良い。そういうAKB48の本気を体現していたのが峯岸だった。91人のうち、選抜されるでもなく、テレビで目立つポジションにつけてもらえるのでもなく、劇場公演もたまにしか回ってこない中で、何をどう頑張ればいいのか希望を失いかけている約70人のシンボルである。

最後に9月29日発売の58thシングル「根も葉もRumor」の選抜メンバー発表を、劇場にメンバー全員集めて行ったという映像が紹介された。劇場にみんな集めて発表するなんて、変わったことするなあ。申し訳ないが、メンバーの顔ぶれを見ても特段の感想はない。ドラ2が選抜されるのなら、ドラ3がいても良いんじゃないかとふと思ったくらい。握手会復活はできないだろうから、この逆境下でどんな販売戦略を考えているのかわからないが、凋落ぶりをいよいよ天下に晒すようなことにならければいいなとは思っている。

因みに若い人は知らないかもしれないが、ラ・ムーといえばキラキラのアイドル菊池桃子が20歳の時に突然結成したバンドを思い出す。80年代の最後半のこと。菊池自身にとってもアイドルとしての活動に行き詰まりを感じ、方向転換を図った場面だった。当時のあれこれを知っているPがあえてこのタイトルの曲を出したということは、やっぱり転換点を意識しているのかもしれない。成り立ちも方向性も違う乃木坂とどう戦うのか、つまらなそうな予想しかないが、予想を裏切って面白くしてほしい。そして、普段日の目を見ないメンバー達を少しでも登場させてやってほしい。

 

番組はスタッフロールを流して、最後にこの映像で締めた。本当に好きやな。視聴者の中でコレ好きな人ってどの程度いるのだろう、私が嫌いなNHKの、一番嫌いなところを煎じ詰めたのが大河ドラマであり、報道特集であり、コレなので、もう大晦日に視聴しなくなって10年経つけれど、今では出場者も、放送後の報道も含めて完全にスルーして気にならなくなった。AKB48復活の目標がコレなら不幸なことだと私は思う。勿論、地方にルーツがあるメンバーが、同級生や親戚一同に認知して貰える貴重な機会であることは知っているので、出ることに否定はしないが、メルクマールにするほどのものではないと思っているのだ。

 

そんなわけで、甚だ先行き不安な新番組だが、何にせよ新しい番組が始まったことは大変めでたく、嬉しいことである。