2021年6月26日 トークライブ 「おっさんの立ち話」レポ | 2コ下のブログ

2021年6月26日 トークライブ 「おっさんの立ち話 ~ここで聞いた話は、墓まで持っていけ!!#0~」レポ



最初に断っておくが、サブタイトルにあるように、このトークライブで聞いた話は墓まで持って行くのがお約束。何と受付で誓約書にサインさせられるという徹底ぶりである。従っていつもダラダラとネタバレをやるのが私のレポなのだが、今回は一切内容を記載することはできないので悪しからず。

主催したRinさんは夜中にちょくちょく配信してくれているのだが、恐らく1年か2年くらい前からリアルのトークライブをやりたいとおっしゃっていた。オンラインでも色々語っていて、観客からの質問なりツッコミなりあって楽しかったのだが、やっぱりオンラインではストレスが溜まるという。それはやっぱり役者らしいというか、リアルな空間で醸成される空気感とか、観客のリアルな反応をダイレクトに見たいという感情なのだろう。私はいつも思ったまま無遠慮にコメントしてしまうこともあって、参加する方にすると、実はあまり変わらない気もする。一番の違いは、他の観客の笑いやつぶやき、身じろぎみたいな反応が体感できるところで、一体感が全然違う。こんなご時世で、リスクもある中だが、やっぱり演劇同様、出掛けて一堂に会さないと味わえない雰囲気があるのは確かだ。

単身赴任していた頃は、たった一人アパートの部屋で風呂も飯も終わって就寝前のまったりした時間にRinさんの配信が始まるのでちょうど良い感じで参加していたが、最近は子供を寝かしつけながら一緒に寝落ちすることが多く、配信を聞けていなかった。だからこのトークライブを計画されていた経緯は知らないのだが、突然Rinさんのツイッターで告知されたのを見た。

赤沼さんとトークライブやります!
本日18時から、予約受付ます!
予約はDMください!


遂にやるのかという思いと、これはどうしても聞きたいと、すぐにDMを送った。本当は昼から全部聞きたかったが、仕事もあるので流石に難しい。予約の受付は6月9日の18時、本番は6月25日の17時、30分前入場開始で、客が早く揃えばすぐ始めるということだったので、開場時間を目指して移動することにした。

 

 

16:30に到着しなければならなかったところ、ボケて17:30でいいと思い込んでしまっていたのが大遅刻の原因である。ちゃんと17時開始と書いてあるのに、予約開始の18時と取り違えたとしか思えない。道に迷っているのではないかと心配したRinさんがDMを送って下さった時、私は電車の中で、まだ四ツ谷駅近くだった。本当なら早く始められたのかもしれないのに、私一人が遅刻していたために待たされていたとしたら他のお客さんには本当に申し訳ない。もっとも、最終盤に盛り上がりすぎて20分超過したので、渋木さんは次の仕事があってカツカツだったのに、盛々の大サービスであったことは確かである。

このご時世当然なのかもしれないが、コロナ対策は万全だった。形ばかりの対策ではなくて、演者と観客、観客同士の距離もちゃんととってあって、消毒や検温もバッチリだった。中野の迷路みたいな路地の中にある、元々飲食店だったと思われるメゾネットタイプのレンタルスペースというところで開催されていたのだが、駅からそこに至るまでの小さな飲食店はどこも客が満載ではみ出ているような状況で、マスクもせず大声で談笑していて、コロナのコロニーみたいな状況だったから、全く対称的だった。東京都でリバウンドが起きているが、あんな状況では当然である。緊急事態宣言が終わったからと言って根本的にリスクは全く変わっていないのに。因みに演者の3人は、ずっとマスクをして話していた。役者はコロナに罹ってしまうと、舞台公演そのものがぶっ飛んで、もっと悪いとマスコミの餌食にされてしまうから、恐らく今コロナに対して最も警戒心の強い人達である。だから参加する方は安心できるし、万が一駅から会場までの間で貰っていたとしても、トークライブの会場にいる他の人に絶対伝染さないくらいの緊張感は持ち合わせていた。

準備は万全、テーブルの上には自由に食べて良いお菓子があったり、ゴミ袋もそこらじゅうに展開してあって、大人のパーティーみたいな風情だった。ただ1点残念だったのは、用意してあった鉛筆が恐らく「H」だったところだ。ゴルフ場や競馬場によくある使い捨てのタイプではなくて、ちゃんとした鉛筆をきれいに削って用意されていただけに、この選択ミスは痛かった。アンケートとか、チェキの申込用紙とか、下敷きなしで書くには固すぎる。ここはせめて「B」か、理想的には「2B」だろうと思いながら悪戦苦闘して書いたが、薄くて読みづらい字になってしまった。小学生以来久々に、鉛筆の芯で紙を貫通してしまう事故も発生した。

トークライブの中身は書けないが、まあ普段のコラボ配信と似たようなものだといえる。違いがあるとすれば、観客から質問を集めてギリギリトークするところとか、Rinさんが特に上手いのだが、よく通る声で全身を使ってリアクションをするので、面白い話が更に爆発的にウケるところ。会場でチェキの受付をして、話をしながら撮影してゆくから、一瞬話が途切れてキメキメでポーズをとるところを目撃するというシュールな光景。そしてオンラインでもライブでも同じだろうと思うのだけれど、やっぱり足を運んで観に来てくれたというところに恩義を感じて、オンラインより一歩踏み出したサービストークが盛り込まれる役者らしいところ、などだろうか。その踏み出した部分が特に「墓まで持って行け」なのだが、人は秘密を共有することで共犯関係になり、結束が固まるというのは昔からよく使われる手法である。


■渋木美沙さん

きれいどころのゲストだから、舞台に飾られた一輪の花、おっさん二人のトークに相槌を打つ役どころかと思っていたらさにあらず、前半は特に一番しゃべっていた。ロケッツの劇団員だから舞台にはほぼいつも登場して、それなりに知っていた気になっていたけれど、実は人柄とか全然知らなかったという事実に今日初めて気がついた。「知っているつもり」というのは怖いものである。役として与えられるキャラ以外に、役者としてのキャラクターも知っているつもりになっていたが、そのペルソナを構成している経歴(黒歴史を含む)、価値観、交友関係、フィロソフィーなどについてはほぼ知らなかったが、今日はその多くが本人の口から語られ、なるほどこういう人なのかと納得した。

絶対的な美形で共演者からは「おバカ」いじられが多いこと、ロケッツの役では必ず酒が絡んでくること、礼儀正しく佇まいの美しい人なので、舞台に登場しただけで空気を変えられる方なのだが、コロナ前のお見送りなどでは、認知されていない(=知らない)おっさんであることを差し引いてもドライな対応だったので、美人に多い冷たいタイプの人なのかなと勝手に思っていた。そもそも私が人生で僅かにでも関係した美人は、5年ほど前までは全員おしなべて性格が悪くて、美人=性格ブスだと決めつけていたので、自然と避けていたのだから、興味を持つことも持たれることもなかったのである。

美醜と性格の善し悪しは直接の関係がないということを教えてくれたのはある元アイドルなのだが、そうして長年の偏見から解放されて今日の渋木さんのトークを聞いていると、根強いファンがいるのが理解できる、興味深い方だと思った。普通の人生以上に波乱に満ちた経験をされてきて、深みのある人格をお持ちだ。たっぷり時間があって、安心して話せる環境であれば、色々興味深い話をして下さるだけの表現力もお持ちである。それは語彙の多少ということではなくて、語彙が少なめなので話の中身が薄いのではないかという第一印象を持ってしまうのだが、実は本質を捉えてブレないところだったりするのかなと感じている。私のようにフラフラと話題が漂う話し方とは対照的だ。


■赤沼正一さん

彩花にじぃじと呼ばれている赤沼さんは私の1歳先輩。だからもちろん私もジジイで、赤沼さんは文字通り兄貴なのだが、同世代は社会のあちこちで要になって働いていて、そういう生き様を見るのはとても楽しい。全員知っていることだが、プロの役者として、どんな役でもこなしてしまう対応力と安定感、若手お笑い芸人のコントでは絶対にできない、万人の心の芯みたいなところに働きかけ笑わせてしまう表現力、そして詳しくは知らないが毎回異なる座組をまとめて一つの作品を作ってゆくプロセスで必要なリーダーシップ、そういう仕事を衆人環視の元で軽々とこなして作品を世に残してゆく姿は、憧れではあるが絶対にマネできない。赤沼さんの仕事に比べれば自分のは惰眠をむさぼっているのに過ぎないなあといつも思う。もっとも、プロのリーマンというのはもっぱらそんな存在だが。この歳になって、今更価値のある仕事をしようとか、価値のある人間になりたいと思うガッツはないが、自分が立派になる代わりに、立派な人を見ることで、間接的に自分の価値も高くなったような幻想を味わいたいのかもしれない。

今日のトークライブがその象徴みたいなものである。かたやステージに身ひとつで立ち、観客を満足させ、トークで稼ぐことができる。私は面白い話ができるわけでもなく、コロナで遠慮していたとはいえ、ヤジが飛ばせるわけでもなく、拍手くらいしかできなくてお金を払って話を聞かせていただく存在である。セカンドライフではないが、もし若い頃に演劇の世界に飛び込んでいたらなあと夢想することが時々ある。高校時代にちょっとした縁で演劇部に所属していたし、舞台に立ったこともあるので、演劇界と接点がなかったわけではない。それにも関わらず、世の中で間違いなく最もつまらないリーマンという職業を選択し、史上最悪のブラック組織で悪の頭領として活躍するのでもなく、サボリーマンとして間接的に組織にダメージを与えることでほんの少し世の中に良いことをしているという、雲霞のような存在である。自分自身で選択してきた結果なので微塵も後悔はないが、「息をしていることが価値」の典型であることは間違いない。

ベテランのプロフェッショナルだということは全員知っているのだが、せっかく集まってくれたお客さんに喜んで貰おうというサービス精神を感じていたので、一体どこからそのサービスというものが形になって出てくるのか、という好奇心で話を聞いていた。文字にしてしまうと当たり前すぎて「お前寝てたのか?」ということになってしまうのだが、経験に裏打ちされた冷静な分析力、エピソードを引き合いに出すときの話の厚み、場を見て自分のポジションと役割を把握し、一瞬で対応できる能力、共演者の話の端を掴んで膨らませ、爆笑に導く構成力、ここぞというところで自分を堕として和やかな笑いを取る機知、そういった複合技のなせるトークが魅力なのだと感じた。いちいち具体的に何を言ったのか例示したいが、墓まで持って行く約束なので控えておく。


■Rinさん

主催者というスタンスもあったのかもしれないが、今日のRinさんはロケッツ作品と同じくツッコミ役であり、ペースメーカーだった。チェキを撮って並び替えをして書き込みをしたりしながら、渋木さんや赤沼さんに適切にツッコんでゆく。他にスタッフとかいなかったので、その全てが観客の面前で展開するということ自体が、ひとつの即興劇を見せられているような気がして面白かった。別にテーマを舞台とか役者のことに縛っていたわけではなかったのだが、3人の共通点もお客さんとの接点もそこなので、自然とそっちの話題が多くなるのは当然のことである。

Rinさんが一人語りをするときの話の上手さ、だれかとセッションしている時の話の広げ方の上手さなどは周知であり、今更コメントするまでもないが、今日聞いていて思ったのは、ずっと同じ3人が話をする中で中弛みをしないように、ペースや空気を変えてくるRinさんのテクニックだ。役者さんのそれらしく、ちょっとスタンスをとって腹から声を出すので、「あ、きたな」とすぐにわかる。でもそのお陰で、2時間があっという間に感じるくらい、途中でダレることもなくテンポ良くトークが進行したと思う。野球などのスポーツと同じで、緩急は必要なのだ。分刻みのテレビのMCとはまた違う、自然なナビゲートの技術といおうか、それが素人がダラダラ話すのとは違うところなのだ。

Rinさんは私より少し歳下だが、同世代であることは間違いない。だから業種は違えど、ミドルからハイへの路線変更というか、ギアチェンジの話題は非常に身近に感じる。勿論、必ずしもチェンジしなければならないというわけではなく、常に第一線のプレイヤーである人もいるし、それはそれで憧れを感じる。ただ恐らく、出会いというか縁はあるし、経験を積んだ人にはその人にしかできない貢献を期待される場面も出てくるのだ。この歳になっても、他の人のエピソードを参考に聞かせてほしいと私は思ってしまう。必ずしもモデルにするというわけでもないし、物語として消費しているのかもしれない。

色々と馬鹿な話もしてくれたし、鉄板の面白ネタもあった。ただ、今回3人の中でRinさんだけが語っていたのがフィロソフィーだ。根がとても真面目な人なんだろうなと思う。時に聴衆が圧倒されるくらいの勢いで語っていたが、舞台俳優というある意味自由度の高い職業、正解がない芸術表現、その中でダークサイドに堕ちることなく活躍し続けるためには、芯になるフィロソフィーというものが重要なのではないかと思った。きっとベテランの俳優陣はそれぞれにそういうものを持っていると思われるが、それを端的に言語化するのはひとつの才能だと思う。

本番中より、本番が終わって次の舞台に向かう役者さん達を見ていて、時々不安になることがある。舞台では期間限定だが役を当てられ、表情や動きや台詞といった目に見えるものだけでなく、性格や価値観、人生経験、人間関係といった複雑な条件設定がされ、役になりきることになる。近所のおっさんとか、ありがちな上司とか、そういう自分と近いこともあれば、歴史上の人物だったり、テロリストや狂信者だったり、人間以外の生命体になることもある。そういう他人を「演じる」ということを繰り返していると、時にはそういう設定上の人生に、自分のリアルな人生が乗っ取られてしまうのではないか、という不安である。卑近な例を挙げれば、たとえば第二次世界大戦時に米軍の絨毯爆撃から逃げ回った役をやった後で、無差別殺人を実行するゲームを楽しめるのだろうか、といったことである。他者の立場になって考える、ということは得意になりそうだし、役で経験した人生が自分の価値観に影響を与えることもあるだろうが、それが人格を大きく変えてしまったり、破壊してしまったりということがないのだろうか。殺人によって快楽を得る役をやってシミュレーションを繰り返した結果、それまでなかった衝動が生じてしまったり、人を殺めるということに抵抗感がなくなってしまったりしないのだろうか。そんな恐ろしい想像をしてしまったのも、ブレないRinさんに安心感を覚えたからなのかもしれない。

■まとめ

今回、サブタイトルに「#0」と書いてあるように、初めての試みだったそうだ。そして、今後も続けてゆくそうだ。これは期待しかないし、可能なら今後も参加したい。勿論、それぞれにお芝居も抱えているので、タイミングが合うかどうか割合調整が難しそうだが。

トークショーといえば文化人、お笑い芸人、アイドル、なんていうのが思いつくが、最も親和性が高いのが役者だと今回確信した。文化人は自説があるので、トークショーは必然的にディベートになってしまう。お笑い芸人は場を沸かせてお客さんを楽しませるのが得意だが、だったらネタをやればいい。アイドルは、表舞台では聞けないエピソードを聞きたい、素顔を見たいと思うからニーズは高いが、面白い話ができるわけではないし、ハプニングに弱い。役者のフリートークは聴衆を巻き込んだ即興劇である。コロナ前はせっかく活況を呈していた演劇界である、お笑い芸人がアイドルのイベントでMCをやって重宝されるように、新しい活躍の場としてトークショーで存在感を発揮して頂きたい。

個人的にはオンラインのトークルームも大好きだが、どうしても聴衆が固定される傾向があり、演者がマンネリを感じてしまう心配がある。もちろん、楽しいお話を聞かせて頂く以上、お作法はわきまえているつもりである(笑)

 

感謝!