2019年1月23日 まほほん事件報道のひとつに「ちげえよ」と言いたい | 2コ下のブログ

 NGT48山口真帆の暴行被害事件については本人の告発に端を発して、当初の事実関係をめぐる報道ラッシュは落ち着きをみせ、逆に事件の背景を推測したり、事の是非を問うような解説記事が増えてきている。一応定説のようなものは出来上がってきつつあるが、事実関係がクリアになったわけでもないので当分は注目され続けるであろう。

 

 このような状況下で、サイゾーのオンライン記事(連載)で本事件が取り上げられたのだが、あまりにもおかしな事実認識と、無理矢理な課題提示に我慢ができなくなったので反論しておく。無視しとけばいいのに、という気持ちもなくはないが、大切にしているものを歪めて論じているのをそのまま放置していては認めることと同じなので、コメントすることにする。できるだけ短く結論を書くと、「ちげえよ」ということだ。

 

 筆者と私の相違点についてまとめると以下の通りである。

・私はドルヲタといっても多種多様の望みをもつ人達の集まりであり、メンバーとの個人的な関係構築(=繋がり)を望んでいるのは割合少数派だと思っているが、筆者は全てのドルヲタは繋がりを求めていると考えている。

・ドルヲタに限らず人の心は本質的に弱く、環境や自らの欲望によって悪事に走りがちだという性悪説については一旦受け入れるとして、私は世の中の多くの人は自分の心の弱さを自覚して、完璧ではないものの、相当な注意と努力をもって悪事に走ることを阻止していると考えているが、筆者はドルヲタは嫉妬心を刺激されるといともたやすく騒ぎ出し炎上につながってしまうと指摘している。つまり、嫉妬心に狂って攻撃的になって騒ぎを大きくする人達はドルヲタのなかでも一部であると私は私自身や顔見知りの傾向を根拠に認識しているが、筆者は自らがヲタクの立場で考えると、ドルヲタ全体がそういう性質を持っていると考えている。

・私はアイドルというのは、決められたコードに従い夢や希望に向かって努力・成長する姿が美しく、ステージ上で一番輝くものだと考えている。興行なので、演出や作為的な仕掛けがあるのは当然であり、それらも含めて楽しんでいる。もちろん物語性を求めるので、メンバーごとの来歴や趣味趣向も知りたいが、外見と矛盾していなければ作られたキャラクターであっても全く構わない。しかし筆者は、メンバーにはできるだけ自由にやりたいことをやってほしいと考えており、ドルヲタは素のメンバーに魅力を感じて応援するものだと言い切っている。

・私は今回の騒動の一番の問題は、運営にあると考えている。メンバーの若い女性が危険に晒されることを阻止できなかったこと、事態が明らかになっても事実関係の公表や謝罪をせず、自らの責任を明確にしなかったこと、犯行を誘発したとされるメンバーの処分や再発防止対策をしなかったこと、結果的に被害者の告発と報道ラッシュを招き活動に支障を生じさせたこと、被害者本人に真っ先に騒動の謝罪をさせたこと、またこれは警察ならびに検察の領域だが、逮捕された犯人が不起訴になったことについても作為・不作為を疑っている。そして、ファンをはじめ世間の人が義憤にかられているのはこうした運営に対してであると考えている。一方筆者は、今回の事件で犯人グループがアイドルと繋がっていたという優位性を見せ付けられた世間の人達が嫉妬心を刺激され、攻撃的になったので騒ぎが大きくなったと分析している。一番の問題は安全確保のためアイドルの自由度が失われることだと考えており、ヲタクとメンバー双方に自制を促している。

 

 文章を書いて報酬を貰うプロとしてはつたない文章力・表現力に対する批判は置いておいたとして、明らかに感じるのは筆者の経験と環境の狭さと、それによって社会が俯瞰できていないことだ。まるで中学生や高校生が仲間内で好き勝手なことを言っているのと同様に感じる。自分のSNSで好き勝手に書いているのは自由だが、こうした「見識」がマスコミに載って一般的なものだと誤解されてしまうと、ひいてはドルヲタに対する偏見と批判につながると思い、大変迷惑である。また、自分をとりまく身勝手な連中がドルヲタ全体であると誤解し、それを公言している連中は厄介になるリスクが高く、今回の犯人同様の犯罪予備軍だと考える。実際、筆者も犯人グループが羨ましく嫉妬すると書いている。アイドルとは本当に危険で厳しい仕事なんだなと、気の毒に思う。

 

 

 

 

(以下引用、注釈部分を追記)


サイゾーTOP  > NGT48騒動をファン目線から考える
https://www.cyzo.com/2019/01/post_190723_entry.html

2019.01.23 水
“生涯ドルヲタ”ライターの「アイドル深夜徘徊」vol.22
NGT48暴行事件は、なぜあんなにも大ごとになってしまったのか?――いちアイドルファンの目線から考えてみる
   
 昨年のクリスマスイブ、フジテレビ系で、ドラマ『犬神家の一族』が放送された。

 名探偵・金田一耕助をNEWSの加藤シゲアキが演じるなど、これまでの映画やドラマで際立っていた同作品の“陰鬱さ”よりも“エンターテイメント性”が強く感じられ、面白く見ることができた。

 私は、この作品に限らず、横溝正史作品の映像化は大好きで、テレビや映画を度々見ている。そこで描かれるのは、人の欲――性愛であったり、名誉欲、憎しみ、妬み――というものの果てのなさと、それらが複雑に絡まって事件を起こしてしまうという、人間の愚かさである。そのような「人間の業」のようなものを描き出している点が、実に魅力的なのである。

“性悪説”と言ってしまえばそれまでなのだが、人間誰しも、心の中に嫉みや妬みを抱えているものだと思っている。
(註:性悪説とは、人間の心は弱いので環境や欲望によって悪事に走りやすい傾向があるが、教育や努力によって改善可能であるという説:出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)であり、異論もあろうが世の中に広く認知されている考え方で、冒頭にいきなりこれを持ち出すことで筆者は性悪説に立つことを宣言している。そこは異論もあるが一旦受け入れるとして、後段の教育や努力で改善可能であるという点についてあえて無視しているところからこれ以降のミスリードが生じている。妬み嫉みという負の感情を心のうちに有しているということと、それを発現して言動に反映させるというのはイコールではなく、荀子はまさにその点を指摘しているのだが、筆者は人々の心のどこかにそういう感情があるから、意識的か無意識かを問わず攻撃的になって騒ぎを大きくしていると結論付けている。つまり、本件についてコメントをしたり、運営を非難したりという人達が「誰しも」抱えている負の感情に振り回され無駄に攻撃性を発揮していると指摘しているわけであって、そういう人達が客観的に自分の感情や思考過程を振り返り、言動を抑制することができていないと、頭からバカにしてかかっているのである。中にはそうした人がいることも認めるが、義憤にかられ敢えて声を上げているのが大勢だというのが私のスタンスであり、最初から方向性が異なっているのがわかる。ファン、もしくは本件に係るネット民にまで拡げて構わないが、そうした人達も色々なバックボーンを持つ個人であり、様々な人生経験を背景に思想信条を持っている個人の集まりであるから、一様にラベリングしたり決め付けることは結論を誤るという意味で極めて危険なのだが、性悪説を冒頭に持ち出して上段に構えるあたり、筆者は「誰しも」そうだと決め付け、異論を排除しているように感じる。)


 明けて1月8日、NGT48のメンバーである山口真帆が、動画配信サイト「SHOWROOM」で、1カ月前に自宅で2人組の男に襲われたことを告白した。続いて、グループのメンバーが犯行に関与していたことを疑わせる内容をTwitterにも投稿したことから、事件はまたたく間に広まっていった。

 不起訴になったとはいえ、警察沙汰になった暴行事件であるため、テレビはワイドショーのみならず、一般のニュースでも伝えられることとなった。

 10日、山口が劇場公演に出演。被害者自身が騒ぎになったことを「謝罪」するという“異常さ”に、世間からは運営側への批判の声が相次ぎ、14日には、マネジメントを担当するAKSの松村匠取締役、NGT48劇場の早川麻依子新支配人、岡田剛新副支配人がカメラの前に出て、改めて会見を開くこととなった。

 そして、山口の涙の告発から2週間ほど経った現在、ネット上では、「太ヲタ」「Z軍団」「アイドルハンター」などといった、「アイドルと接触する」ことを目的とした軍団の名前や関係図まで流されたり、メンバー間の確執が疑われたり、さらには、海外のメディアまでがこの事件を報じているという状況にまでなっている。

 もちろん、一人の女の子が襲われたのだから、決して小さな事件ではない。運営側の対応の遅れなども指摘されているが、果たして、それだけでここまで大きくなってしまうものだろうか?

 個人的に、今回の事件が大きくなった背景には、横溝正史作品に描かれていたような、人の妬みや憎しみといった感情が絡み合い、それが大きく作用しているように思えてならない。そこで今回は、いちアイドルファンとしての心情を考え、この事件を考察してみたい。
(註:いきなり「いちアイドルファンとして」考察すると宣言されて、読み手は戸惑う。プロフィールやSNSを拝見すると、筆者はヲタクのアイドルライターだから、ヲタクの立場からこの事件が「大きくなった」メカニズムを考察すると言っているわけだが、メジャーな媒体に寄稿するライターが「いち」ファンの立場でファンの心情を考えるわざわざ断りを入れられると、違和感を禁じえないのは私だけではあるまい。)
 

■いろんな妬みが混じっている
 誤解を恐れずに書くが、今回の騒ぎの中でまず感じるのは、犯行を行った軍団に対する「羨望感」だ。
(註:「誤解を恐れずに書くが」とか、「乱暴な書き方になるが」とか、「語弊を恐れずに書くと」といった前置きは、読み手に誤解されることの免罪符ではない。誤解される恐れがあることは書き手として想定しているが、後段で回収するからまずはそこでひっかからずに読み進めてほしい、と読者に対して約束をしているのである。そもそも、騒いでいる人達が犯人に羨望感を抱いていると筆者が感じている、という記載に何の誤解を恐れているのかわからない。そう感じているのは筆者であって、何を感じようが第三者がその部分に批判や論評を加えることは心配しなくても良いと思うのだが、作者は誤解される可能性があると前置きしている。ここで、誤解される対象は筆者だということは明白だが、一体どういう誤解なのか不明確である。「はっきりいって、今回の騒動の元凶は犯人に対する羨望感である(と私は考える)」と書けば筆者の主張は明確なのだが、不要な前置きで逃げを打っている。)


 各メディアの報道によれば、メンバーの寮と同じマンションに住み、推しのメンバーと部屋の行き来もあったように伝えられている。アイドルファンなら誰でも一度は夢見るであろう状況である。
(註:アイドルファンは全員がメンバーとのプライベートな時間での個人的接触を切望していると言い切っているが、果たしてそうだろうかと疑問を禁じえない。少なくとも私はアイドルと結婚したいわけでも、ステディになりたいわけでもない。アイドルとして活動し、ステージで輝いている彼女たちが好きなのであって、同じ女性でも部屋着でゴロゴロしているのを眺めたいわけではない。もっと辛辣に言えば、嫁として認められる基準は自分でも結構高いと思っているので、アイドルとしてなら許容できても嫁にはできないと思っている人が大半である。確かにSHOWROOM配信は好きだが、それはアイドルの人柄をより具体的に知ることができるから好きなのであって、一人で独占したいとは思わない。筆者はアイドルファンの希望について言い切っていて、裏を返せば繋がりを求めないファンはドルヲタではないと否定しているのと同じなのだが、私はそうではないヲタクを個人的に何人も知っている・・・というか、中高年ヲタは多くが繋がりを求めてはいないので、筆者の不見識と偏りを強く認識してしまうのである。「そんな奴ばっかじゃねえよ」と反論したくなるのである。因みに認知はあったほうがいいが、これもあくまでオン・デューティーのアイドルに認知されたいのであって、スッピンで電車移動中の彼女たちに気がついたとしても、珍しいなとは思うが、そのままスルーすると思う。いきなり提示されたこの基本的な認識が異なるので、以降の文章は空しいままである。)

 ここでは、実際にそうであったかどうかはあまり関係がない。そうであるかのような報道を見て、多くのファンが「あのヤロー、いい思いしやがって!」という気持ちになっていることが重要なのだ。

 そして、この感覚は、実はNGT48のファンだけのものでないことにも目を向けなければならない。他にも、事務所が用意した寮(何部屋かを寮として借りているマンションが多いだろう)に住んでいるアイドルは多い。それらのファンの人も、自分の好きなアイドルと、NGT48のメンバーを重ね合わせて、やっぱり悔しがることだろう。

 実際、TwitterなどSNSを見ていると、アイドルと繋がったといわれる“軍団”の話題に反応しているのは、NGT48のファンではなく、一般のアイドルファンが多いように感じる。つまり、今回の事件は、「どのアイドルグループにも起こりうる」という点において、日本中・世界中にいるアイドルファン全体を悔しがらせてしまったのだ。
(註:日本のドルヲタについてさえ歪んだ認識を持っているのに、何の根拠もなく世界を語るとは笑止千万である。)

 アイドルのスキャンダルや炎上を見ていて思うのは、この「嫉妬」ともいえる感情を刺激してしまうと、いたずらに問題が大きくなってしまうということだ。例えば、普通の恋愛報道より不倫などのほうが騒ぎになるのは、「結婚しているにもかかわらず、他の女にまで手を出して羨ましい」という嫉妬心を、より強く煽るからだろう。
(註:一般的に不倫報道について強く反応するのは家庭の主婦をはじめとする中年以上の女性である。彼女たちは「他の女にまで手を出して羨ましい」なんて思っていないのは明白である。ひょっとするとドルヲタがネットで騒いでいるのかもしれないし、その狭い領域においては筆者が指摘するように嫉妬心が原動力になっているのかもしれないが、世の中全体で見た場合は例外的領域である。こうした的違いな例示を見た瞬間、筆者の見識の偏狭さと、客観性のなさが露呈してうんざりしてしまうのである。因みに私は不倫について怒ることができるのは当事者達だけであり、第三者が口を挟むことではないと考えている。法的に結婚していて配偶者がいるということと、配偶者以外と恋愛関係にあるということが同時に起きたとしても、それは社会的に何の影響も与えるものではない。だから違法ではないのである。そして、不倫を構成するメンバーが自分の家族でない限り、全く興味感心がない。)

 そもそも、この事件の発端は、NGT48のメンバー間や、それらを取り巻く軍団、一般のファンなどの間に嫉妬の感情があったことによるものではないだろうか。

 感覚的なものではあるが、そのような感情というのは、何かのきっかけで周囲の関わりのある人に伝播していくように思う。最初は小さな憎しみであったものが、人々を巻き込んで大きくなっていく。そう、あの横溝正史作品のように、何かのはずみで大事件が起こっていくのである。
(註:「感覚的なものではあるが」とまた前置きした上で、筆者は奇妙な説を唱えている。断定調で書いているが、根拠は全く示さないし、論理的でもないが、最初に断ったとおり個人的な感覚なので免罪と考えているのだろう。にもかかわらず、横溝正史を持ち出すのは自説を強化するためである。この部分はファンタジーなのだが、考察の中にちょいちょいこういうものを差し込んでくるのは印象操作であり、卑怯である。)

 私は嫉妬する気持ちが一概に悪いとは考えていない。嫉妬や憧れは、誰もが持ち得る感情だし、自分が努力するためのバネになることだってあるからだ。ただし、それを一時の感情に任せて、憎しみに変え、誰かを攻撃しようとする衝動が問題なのだ。
(註:他人の感情は制御できるものではないし、その人の自由裁量である。嫉妬や憧れが許容されるのであれば、憎しみも衝動も許容されなければならない。この偏った不寛容さは、義務教育の学校によく見られる思考停止と閉塞性を連想させる。問題があるとすれば、攻撃を実行に移した時であり、衝動そのものは本人の心の中で生じるものなので、他人にはどうしようもない。)

 人は理性を持った動物である。今、ネットなどを通して、自分の欲望を爆発させている人たちを見ると、理性が退化しているような不安を覚えることがある。物事を正しく判断し、行動するには、まず、冷静に事実を把握することが大切なのだ。
(註:そしてここでお説教をかます。事実の把握が大事であるということに異論はないが、ここまで散々偏狭な認識と勝手なファンタジーを展開しておきながら思いっきり自己矛盾しているのはご愛嬌である。もう少し踏み込むと、今回の騒動が大きくなっている背景には、事実関係が明確ではないという理由もあると私は考えている。様々な憶測や疑念が生まれる状況が放置されていて、みんな疑心暗鬼になっているのだ。筆者は既に事実関係は明白であって自分は冷静に把握できているといいたいのかもしれないが、現時点では被害者本人も含めて事実関係を正確に把握できている人なんていないのではないかと思われる。それを世間の人達に求めるのは土台無理である。)
 

■アイドル界に与える影響
 それでは、ここまで大きくなってしまった問題は、これから一体どんな形で収束し、そしてアイドル界にはどんな影響を与えていくだろうか。

 正直なところ、全てが丸く収まるようなキレイな収束というのは、難しいと思われる。このまま時間が経って、なんとなく収まっていくということはあるだろうが、それは後々、さまざまな面で禍根を残し、ボディブローのようにアイドル界を弱体化させていくかもしれない。

 理想を言えば、アイドル、運営、ファン、それらが同じ方向を向き、アイドル界の発展のために、よりよい着地点を探っていくことが唯一の解決の道だろう。

 一般論として言えば、各運営には、ファンの中で「不公平感」を感じるようなことをしないこと、そして、妬みの感情を抱かれるようなことがないよう、最大限の配慮をすることが求められる。

 今回のことで、ファンの妬みがどれほど大きな影響を及ぼすかが、白日のもとにさらされたことになる。おそらく、今後そのような対策は、各事務所においても、より大きな比重を占めていくことだろう。
(註:ファンに不公平感を感じさせないようにするというのは基本中の基本であり、既に実践されていることである。異論はないが、何を今更と思ってしまう。ただ、今回の騒動の原動力に嫉妬があったわけではない中で、「白日のもとにさらされた」という言説には反論せざるを得ない。)

 一方、ファンとしては、あくまでも「節度を持った」応援をしなければならない。「他の人よりいい思いをしたい」「他のファンに羨ましがられるようなことをしたい」、その気持はわからなくもない。人間として、誰もが持つ感情だろう。ただ、その気持と、本当にそれで応援するアイドルが喜んでくれるかどうかという思いを、しっかりと天秤にかけ、より先を見た対応を求められる。相手がどう思うか、自分の行動がどんな問題をはらんでいるか、想像力をもって、考えてもらいたい。
(註:全体として異論はないが、またここで「人間として、誰もが持つ感情」といった、知りもしないことを勝手に演繹する姿勢が現れている。こういうことを書くから信用を失うのである。あんたは人間の何を知っているのかと問い正したくなる。「アイドルが喜んでくれるかどうかという思い」とは何だろうか、(想定する)アイドルの気持ちと読み替えて良いだろうか。その感情と、アイドルの気持ちを天秤にかけると言っているが、そもそも違うものを天秤にかけてどういうバランスを計りたいのだろうか。アイドルがすっごく喜んでくれる(のではないかと想定する)のなら、他のヲタクから羨望の目で見られたいという気持ちを爆発させても良いということか。どちらも自分の心の中の出来事であって、そんな身勝手で自己完結的な感情を持つことが問題なのではなかったか。「より先を見た対応」とは何だろうか。結果を想像しろと言っているのだろうか。だったらそう書けばいいのに、スポーツ評論家が使うような表現を借りてくるから、何をいっているのか読み取り辛くなってくるのである。節度を説くのであれば、大事なのは常識だったりモラルだったりするわけで、それらは社会的に規定されるものなのだが、筆者が薦めているのは自身の想像力で評価することであって、極めて内向的である。)
 

 

 もちろん、アイドル側も、これまで以上に多くの思いを気遣いながら行動しなければならなくなるだろう。生配信やSNSでも、自分の行動や発言がどれほどの影響力があるのか、それを考えながら発信する必要がある。
(註:今回、アイドル側の行動に何か問題があっただろうか。一般論でアイドルに説教するのはやめていただきたい。)

 そうは言っても、アイドルにはできるだけ自由な環境で、自分のやりたいことをやってもらいたいというのも正直な気持ちだ。制限されたところではない、素のアイドルに魅力を感じ、ついてきたファンこそ、何があってもその人を応援する本当のファンだと思うから。
(註:アイドルが職業である以上、一定の制約の中で活動するからこそアイドルたらしめるのであって、やりたいことをやるのが必ずしも良いことではないということが筆者にはわかっていない。演出や色づけを不要なものとして毛嫌いしているのかもしれないが、「素のアイドル」という書き方には非常に危険なものを感じる。後段で「その人を応援する」と書いてしまっているように、彼が応援したいのはアイドルではなくて、アイドルをやっている女性個人である。じゃあ、その女性の素にどこで触れられるのかといえば、オン・デューティーではなく、プライベートということになり、結局繋がりを切望するという流れになる。結局、犯人や一部のヲタクと同じ願望を有しており、嫉妬しているのは自分であるとここで公表してしまっている。私はアイドルが好きなのであって、応援していた人がたとえ卒業しても幸せになってほしいとは思うが、その後の人生に一切干渉する気持ちはないので、余計に筆者の「正直な気持ち」に違和感を感じるのである。)

 何よりも、アイドルが萎縮して、動画配信やSNSなどで自由に発言できなくなってしまうとしたら、それは“アイドル”というものの存在価値を揺るがす、大きな問題である。

 アイドルには“自由”であって欲しいという思いと、“安全”を優先するために、ある程度の配慮をしなければならないという現実の間に生まれるジレンマ。それこそが、今回の事件で浮き彫りになった、今のアイドル界最大の課題と言えるかもしれない。
(註:アイドルが自由であってほしいと思う気持ちは理解できない。それはあくまで演出され、ショーアップされているからこそアイドルだと考えるからである。彼女たちもアイドルになりたいから厳しいレッスンや競争に耐え、自分を磨いてステップアップしてゆくのではないか。自由であるべきかという議論はさておき、安全は絶対である。およそ人間の営み全般において、安全が蔑ろにされてよい場面はないと考えているのは私だけではない筈だ。まして若い女性達がアイドル活動をするのに、安全を保障されないなんてことがあって良い筈はなく、運営にもファンにも本人たちにも異論はない。前提条件に対してジレンマが生じる余地はなく、仮に矛盾が生じるのであればアイドルは自由であるべきだという考え方に問題があるということでしかない。筆者が大上段に「今のアイドル界最大の課題」と指摘していることは、定義段階から明白になっていることであって今更議論の余地はない。では、どうして筆者が矛盾する問題提起をするに至ってしまったのか、それはごまかしをしているからである。アイドルに自由であってほしいと書いているが、筆者が本当に求めているのはヲタクがもっと自由にありたいということなのであって、こっそりすり替えを行っている。ヲタクの自由を際限なく増やすとアイドルの安全が保障されなくなるのは当然であり、今回の事件でそれが改めて認識されたと言っているのである。最後まで自分勝手に自らの欲望を書き連ね、世間の人達に説教を垂れ、結局犯人に一番嫉妬しているのは自分だと告白した。勝手なヲタクの日記であって、文章で金を稼いでいる人の矜持もなければ、読んだ人が参考になったと喜ぶような要素もない。駄文なだけなら害もないが、はっきりいって害悪である。)
(文=プレヤード)