「私とはなんなのか?」
 

私の中で人生のナゾの一つだったこの疑問。
 
 



 
最近ようやくわかってきた
 
 
"私"とはイメージ・思考の塊
 
 

 


 

 
 
 
 
「私は山田花子という名前で
 ○○学校出身で 
 カフェでメニューに迷いまくる優柔不断な性格
 ジュエリーなどキラキラしたものにときめく
 そんな人間です」
 
 
 




 
でもどれを探しても今、無い
 
 
 




卒業証書は探せばあるかもしれない。
 
カフェで迷う姿があるかもしれない。
 
ジュエリーを見てニマニマしてる様子があるかもしれない。
 
 




 
でも今、確認できるものは何もなく

結局は頭の中で作った自己像でしかない。




 
「私はこういう人間だ」

という自分の中のイメージ

"私"の定義になっている。
 





 
たとえ、カフェで迷う姿や

ジュエリーにニマニマしてる姿を

確認できたとしても、


それはまた消えていく
 
 
 






そんな消えてしまう"私"

本当に"わたし"なのだろうか?
 
 
 
 



 
 
 
 
「私は山田花子です」
 
赤ちゃんのころからずっと一緒に居た

この『名前』すらを表せない
 
 



 
結婚で『姓』が変わったら
 
違う『学校』に行っていたら
 
海外に行って『性格』が180度変わったら
 

"私"じゃなくなるのか?
 


 


 
いいえ。
 


どれだけ何を変えても、"私"には変わりがない
 
 
 
 




では"私"とは何か?
 
 
 



 
何にも影響を受けず
 
ずっとここにあり
 
失われることも

変わることも

欠けることもないもの。
 
 


 
それが『わたし』だった。
 
 





   
ここには"私"はおらず

『わたし』だけがいるのだ。
 
 
 


 
 
 

"私"とは
 
私が作り上げた「私は○○です」という

自分のイメージに過ぎず
 


そのイメージは時間と共に変わったり

もしくは失われていく
 
 





だからこそ苦しみも生まれる。
 


変わったり失ったりするものに"私"を見出すから
 
変化や喪失感に苦しみ、悲しみ、怒り…がわいてくる。
 
 
 

でも"私"は

私が作り上げた頭の中の仮想住人みたいなもの。
 


そこに『わたし』を同化させる必要などなかった
 
 
 
 






 
 
 
 
すべては変わる。
 
ゆえに"私"は居ない
 
 


そう
 


最初から"私"は、存在すらしていなかったのだ。