「聞いてよ、あの人最悪…ありえない」
 
街中のカフェやオフィスの休憩室…

身近なところでよく聞く会話だ。
 
 




 
でも、"私"が誰かの言葉で傷つくとき、
 
ある出来事で落ち込むとき、
 
その人や出来事は私を傷つけていない。
 
いや、傷つけられない。
 





 
"私"のことを傷つけてるのは私自身なのだから。
 
 
 



 
 
他人の言葉にしろ
 
目の前で起きた出来事にしろ
 
それそのものが私を傷つけることはできない
 
 


 
それらはただの言葉や出来事であって
 
それ自体には何の意味もなさないから。
 
 




逆に言えば、それらはどんな意味にもなるから
 
それ(他人の言葉や出来事)を観る人が
 
どんな意味を与えてるか…"意味付け"次第とも言える。
 
 



 
 
そしてこの"意味付け"とは
 
観る人の中にある『信念』からできているので
 


 
「他人の言葉で傷つく」とは
 
他人の言葉が『私の中の信念』を呼び覚まし
 
その信念に沿って出たリアクション(傷つく)。
 
 



 
つまり…私の中の信念や観念が無ければ、
 
傷つくというリアクションすらできないのだ。
 
 
 
 



 
 
もう少しわかりやすく…照れ
 
 





例えば"私"が
 
「すごい太っててブタみたい」
 
と、誰かに言われたとする。
 
 


でも"私"はむしろ平均的な体型より細く、

痩せてることに悩んでいた。

 
・痩せてたら魅力的じゃない
 
・ゴツゴツしてて男っぽくてヤダ
 
・もっとお肉があればモテるのにetc...
 
 


だから太ってる中傷の言葉

全く"私"の中に響かないし、
 
もちろん傷つくこともない

なんなら「ブタて…むしろなりたいわ!」くらいに思っている笑
 
 
 



でも…
 
「君、ガリガリだね」
 
この言葉でやっと"私"は傷つく。
 

 
怒ったり悲しんだり落ち込んだり…
 
私をこんなに傷つけた相手が許せない、こんな言葉わざわざ言わなくたっていいのに、と。
 
 
 
 

同じ中傷の言葉なのに、
 
"ブタ"では傷つかず、"ガリガリ"では傷つく。
 

同じ中傷の言葉なのに、
 
傷つく言葉と、傷つかない言葉がある。
 
 






これがまさに【私を傷つけているのは他人ではなく
私自身(私の中にある信念)を物語っている。
 
 
 


 
 

 



・電車を待っていて横入りされた
 
・同僚から乱暴な言い方で仕事を依頼された
 
・喧嘩したパートナーからひどい言葉を言われた…
 

こんなとき私たちは

ムキーとなったり、しゅん…となったりする。
 


でもどれも、相手その出来事

"私"を感情的にさせてるわけではない。
 




 

 
"相手の言葉"や"出来事"に対する自分の信念
 
・ちゃんとマナーは守るべき
 
・お願いする時は丁寧な言い方で依頼すべき
 
・感情的になっても言葉を選ぶべき
 

 
この信念が起きる出来事によって、
 
自分の中で呼び覚まされ、

反応(怒・悲・寂…)してるだけなのだ。