立民というものがあって、僕らが支持しているわけではない。ほかに何もないから、消去法として支持しているだけなのだ。だから、いらいらすることはたくさんあったし、今もある。でも他に行く当てもないから、支持している。で、文句もたれる。たれ続ける。ようするに、自民、公明では日本がダメになる。現にダメになり続けている。これを何とかしてもらいたいのだ。それなのに、提案型野党だの、ゼイゼイヒーヒーとかいってるからはらがたつ。ほんとに馬鹿じゃなかんべか ‼ガツンと批判し、どんと対案を出し、そこ をどけいっ‼と言って欲しいのだ。

人がいないわけではないだろう。みんながみんな、ヘタレ野党でいいやと思っているわけではあるまい。闘うということが、どういうことか、先日の辻本氏の防衛論議でも示されている。批判は、ただ単に否定し、悪口を言うのではない、調べて、ダメなところを指摘し、自己の方針を示す。そういう基本をきっちりやればいいのだ。自己の方針を、勝手にこね回したんじゃだめだ。昔の社会党がこれだった。絵に描いた餅のような非武装中立、などというから、わけがわからなくなる。そうじゃなくて、現実的な、憲法精神の実現を、一つ一つ、運動にし、実現に近づけていけばいい。政治手法は、もはやいくらでも手に入るものと考えたい。 必要なのは意志である。強い意志である。非戦、反戦、平和、平等、これらをお題目にしてしまったのは、自公のえせ現実主義、意志のない対米追従路線である。そうではない行き方があるはずなのであり、そういう議論が沸き起こるのを僕らは待っている。立憲よ、しっかりしろ、次はもう来ないかもしれない。

追伸 憲法精神とは現憲法に書いてある字面の事柄に留まらない。この憲法をこのように有らしめた、裏に潜む戦死者、戦没者の重なる思いをも込めたものを言うのだ!

あの結党の仕方も僕にはあまり得心の行くものでなかった。十分に練られたものではなく、行くも引くも八方ふさがりのようになり、破れかぶれだったように見えた。周りはみんな敵ばかりといった状況で、野党第一党といっても、数だけで、理念的、戦略的に状況を引っ張るほど中身はなかった。それでも回りが不愉快な政党ばかりなので仕方なしに集まり、また投票した。

始まりはそれでも仕方ない。緊急避難的な在り方もやむなしであったと思う。しかし、出発してすぐ、枝野執行部はその緊急避難的な存在に居直るように、意味を与え続けた。それが、的外れであったと、僕は見ている。状況からひりだされた理念などで長続きするものではない。やっていく中で、理念を確立し、足元を固め、体制を作る。そういうことを落ち着いて固めていくことを怠った。度重なる選挙等に追いまくられ、難しい議論を避けて、とりあえずこのまま安泰にという昔の社会党のようなぬるま湯政党になってしまった。

党首選の時だけ頑張ってもダメなのだ。この間、内部抗争はあるのだろうが、さっぱり国民には見えない。エネルギーがないのではないか。そう思わせる、何にもない政党になってしまった。小西君のサル発言の時、慌てふためいて処分したのは実に情けなかった。あれは小西君が正当だったのだ。皆で彼をかばい、団結して、産経と戦い、高市の首を取っていたら、支持は倍増したろうに、と僕は思う。いまさら小川君に挿げ替えたって駄目だろうな。いやそのてもあるか。しかし内部エネルギーを感じられない今の立憲ではどうかな。次を探すか……

しっかりしろっ‼

差別ということに、不当な差別と、そうでない差別があるという珍妙な理屈をこねる輩がいる。

実に恥ずかしい国だ。LGBTQ問題に対して、慎重に議論すべきとか言って、実は反対だ、という連中もいる。自民党保守派というのは何者だ?顔と名前を前面に出して物を言え。こうして世界の劣等国に成り下がっていく。金がなくなると、脳みそも減退していくのか。

自民党の本性を皆さん知っています農家の親父さんや、商店街の親父さんの声が大きい人の集まりなのだ。お祭りの時にでかい顔をして前の方をぞろぞろ歩きたがる、あの人たち。町内会ならまあいいか、と言っているうちに、いつの間にか偉くなったりして、これがなぜ、偉くなったのか、どこで決まったのか誰も知らなかったりする。わけのわからない人々がこの国を牛耳って、そして今や駐韓に比べても落ち目である国になりつつある。世界ランクのびりから

のほうがはやかったりする。いつまでこんなのが続くのだ?