しばらく休んでいたら、ブログを書く習慣が薄れてきてしまった。これはいけない兆候だね。ようするに歳だ!!

そうこうしているうちに、菅内閣は崩壊の危機に瀕しているように見える。まあ、いいのだけどね。世界史的変革の時期に、ああいう情けない政治的トップを抱いてるのは誠に情けない。

彼らに何も期待しないけれど、何がダメかって、自分らがダメなんだ、という自覚のかけらもないことが最悪だ。立憲などが盛んに批判しているが、元がダメだから、批判もダメになっとる。ほんとうにぶっこわしてしまうほかないのだろうね~~。昔恋しい、「ガンバロー」とでも叫ぶとしますか。ぼちぼち、頭ならしと指慣らしを続けましょう。

これは悪口じゃない。本気で考えていることの提言なのだ。枝野さん悪いけど野党をまとめていく総帥、という器ではないのじゃないかね。まえの官房長官の時にとてもイメージが悪かった。ちょうど運悪く、福一の事故が重なってしまったからね。そこへ」バカ菅がかぶさったものだから、とってもイメージがわるくな った。枝野さん、ここはひとつ、降りて、裏方へ回ってはどうか。いま、野党内部で、みんなをまとめて、自民党と戦う大将の役目を果たせるものはだれか。うん、やつがいたか!!という人はいないのか。みんなが納得して担げる神輿はいないのか。居なきゃ烏合の衆だぜ。それをさがすのも政治家の醍醐味の一つじゃないかね。僕にも腹案がある。でも言わない。仲間うちで要職を回しあっているようじゃ自民党と変わらんじゃないか。改革ができるならまず自分たちを改革してごらん。そうすれば、国民大衆の目が変わって来るってもんだぜ。風は自分で起こせ ‼期待しているぜ

久しぶりに、新聞紙上にマルクスだの共産主義だのという言葉が躍ったので、少しこだわってみた。僕らが若いころ、70年代に青春期を迎えたものには、ほとんど常識的な言葉だったが、廃れた。それにはそれなりに理由があった。世界的に社会主義や、共産主義、総じて、左翼というものが、壊れていった時代があった。60年の人は、挫折ということがあって、消えることができた。70年の僕らには挫折ではなく、崩壊があった。細かいことはよそう。 

「人新世の資本論」の著者は、そういうこととはほとんど無縁の地平、無縁の根拠を携えて、登場したのである。根拠は、僕らの世代には手の出なかった、晩期マルクスに直接触れることができた、若き秀才であり、その地平は僕らが知ってはいたが直接の主題にできなかった、 気候変動、を土台にした資本主義批判を展開していることだ。旧来のマルクス主義は、結局、経済成長をあてにした、ものであり、気候変動の大本である、資本主義とかわらないものだ。様々な弥縫策、SDGsや、グリーン・ニューデイールも大同小異、脱成長コミュニズムに切り替えて進む以外に、破滅寸前の地球を救う道はないと説くのである。説は膨大であり、簡単ではないが、説得力はある。

ただこれはケチ付けではなく、僕らの時代の左翼が陥った、困難、すなわち、権力奪取、僕らの権力の樹立、の問題に触れられていないことが気懸りだ。其れは勝つ負けるの問題でなく、樹立した権力は直ちに消滅しなければならないということだ。この戦いは、その意味で、最後の戦いでなければならない。斎藤幸平氏にはここのところを気にかけてもらいたい。悲しい自滅はもうたくさんである。

また一日も早く、晩期マルクスを選集でもいいから邦訳して刊行してもらいたい。