久しぶりに、新聞紙上にマルクスだの共産主義だのという言葉が躍ったので、少しこだわってみた。僕らが若いころ、70年代に青春期を迎えたものには、ほとんど常識的な言葉だったが、廃れた。それにはそれなりに理由があった。世界的に社会主義や、共産主義、総じて、左翼というものが、壊れていった時代があった。60年の人は、挫折ということがあって、消えることができた。70年の僕らには挫折ではなく、崩壊があった。細かいことはよそう。 

「人新世の資本論」の著者は、そういうこととはほとんど無縁の地平、無縁の根拠を携えて、登場したのである。根拠は、僕らの世代には手の出なかった、晩期マルクスに直接触れることができた、若き秀才であり、その地平は僕らが知ってはいたが直接の主題にできなかった、 気候変動、を土台にした資本主義批判を展開していることだ。旧来のマルクス主義は、結局、経済成長をあてにした、ものであり、気候変動の大本である、資本主義とかわらないものだ。様々な弥縫策、SDGsや、グリーン・ニューデイールも大同小異、脱成長コミュニズムに切り替えて進む以外に、破滅寸前の地球を救う道はないと説くのである。説は膨大であり、簡単ではないが、説得力はある。

ただこれはケチ付けではなく、僕らの時代の左翼が陥った、困難、すなわち、権力奪取、僕らの権力の樹立、の問題に触れられていないことが気懸りだ。其れは勝つ負けるの問題でなく、樹立した権力は直ちに消滅しなければならないということだ。この戦いは、その意味で、最後の戦いでなければならない。斎藤幸平氏にはここのところを気にかけてもらいたい。悲しい自滅はもうたくさんである。

また一日も早く、晩期マルクスを選集でもいいから邦訳して刊行してもらいたい。