2011年3月11日 14時46分。
当地も大震災に見舞われた。
罹災時刻頃、自分は県庁2F内で仕事をしていた。
大きな揺れが襲って来たものの、耐震免振に優れた県庁建屋。
後で明らかになる事なる大きな大きな被害に気付く事も無かった。
但し、窓から見えた当時存在した栃木会館が倒壊する様な勢いで揺れていたことは今でも鮮明に覚えている。
直ぐに避難指示が出て、建屋外に退避。
その後地獄絵図を目の当たりにすることになった。
コレは震災翌朝に撮影したベースの一角。
電気が復旧したのが一番早く、12日の昼頃通電。
逆に水道は当初出ていたが断水が3日程続いた。
ネット環境も光、モバイルとも暫く不通。
ま、元々携帯が無い時代を長く過ごしていた世代だから慌てる事もなく、停電でも断水でも日頃のアウトドアという遊びの中で得た知識と経験が大いに役だったのは云うまでもない。
それと一番苦労したのが、燃料の確保。
ガソリンが手に入らないのだ。
オマケに悪徳粗悪ガソリン屋での便乗値上げが起こったり、タンクローリーをストーキングする輩がいたりそりゃ~もう下手すりゃマッドマックスの燃料の奪い合いに発展しそうな勢いだった。中にはスタンドに並んでる人に今日はガソリンが入らないから帰った方が良いよ等と店の人でもない意地悪爺がデマを流して自分はちゃっかり給油してたり・・・こういう混乱時にネットや見知らぬ人の話を鵜呑みにしてはいけないとつくづく感じたもんです。知りうる人からの情報も正直アテにならん部分もあるし己の目と耳と直感と人を見る洞察力が必要だとつくづく感じた次第だ。
そして徐々に落ち着きを取り戻しつつある4週間後。
GWの渡道の予定もあったので、お隣茨城県の大洗を訪ねた。
高速は速度規制、ところどころうねりがある道路。
到着したらそこはまさに地獄絵図だった。
ココまで津波が押し寄せていた。
北海道行きのフェリーポートも津波の被害を受け閉鎖されていた。
大海嘯で破壊された漁船の残骸。
凄まじい破壊力に人はなす術ももなく・・・。
これだけの被害が出ていながら、大洗では津波での死者がゼロだったそうな。
昔から地震が来たらすぐに高台に逃げろという言い伝えがあったそうで、その言い伝えを守った結果であろうという話を当時大洗在住の知人や水戸方面の知人に聞いた事がある。
まぁ、滅多に起こる事でもないだろうけど起こらない保証はない。
備えよ常に。
備えあればうれいなし。
今日はそんなことを思い起こい過ごすことにしよう。