10年12月24日


 今年もやって来ましたね、クリスマス!クリスマスの平和が世界中の人に届きますように!


御降誕の物語の真髄は、救い主イエスが両親が追われる立場で旅していて、人の住まいではなく貧しい馬小屋で生まれたということ、当時当地では卑しい身分に見られていた羊飼いが最初にそれを見届けたことにあると思います。


 イエスは、最も小さい者、最も弱い者の中に神の姿があると説き、へりくだる者は高められると説かれました。私たちは意識しないでいると、往々にしてその逆のあり方に陥りがちです。


 今年もめぐってきた降誕祭にあたり、そのような福音の教えを通して自らの日頃のあり方を振り返るよい機会としたいと思いました。


ニコラウスのにっこり日記


 下の息子、マリアさまの名前は定着したようですが、未だにイエスさまの名前を失念し、二日に一度は、「何だっけ?」と尋ねられます。今日はその下の息子に、幼子イエスを飼葉桶に据えてもらいました。

 わが家の幼いふたりの息子にも、神様の限りない祝福が与えられますように…。

 クリスマスと言えば12月24日の夜半ですが、クリスマスに「つきもの」のサンタさんと言えば、聖ニコラウスを記念する日は主として12月6日のようですね。

 ところで、うちの小学高学年の長男、未だにサンタさんを信じてるんです。学校では大変だと思いますよ。「お前、何言ってンだよ。そんなの正体は父さん・母さんに決まってんだろ。幼稚なやつだな。」くらい言われていることでしょう。

 実は、うちの息子が3歳くらいのときに、ばあさん(義母)が伯父(義兄)に頼んで、コスプレしてもらい、プレゼントを持ってきたんですね。


 「ババ」バカから出たことは理解できますが、全く余計なことをしてくれたもんだと当時から思ってます。案の定、学校でサンタなんているわけないと言われた息子の反論はこうです。


 「オレは小さいときにサンタを見たことがある。サンタの正体は、父さん・母さんではない。だって、サンタが来たときに、父さんも、母さんもその場にいたんだ。」


 やれやれ、息子のサンタさんネタはいつオチが付くのでしょう…。私は、サンタさんにあらわれて欲しくはなかったですね。だって、サンタさんの正体は、無私で人を思いやる心なのですから…。


 生身のサンタさんなるものが存在しないと我が子が知ったとき、その時に親が子にどう話すかということは、育児において、とても重要な場面であると思っています。


 毎年毎年、息子が「サンタさんがいるってウソだったんだ。」と言いだした時の「覚悟」を決めているのですが、その時に何というか、まだ明確な案が固まっているわけではありません。


 それでも、いま現在サンタさんを信じてる息子が、「サンタさんって誰なの?お父さん」と聞いてきたので、今年は子どもにも理解できる程度に大雑把に聖ニコラウスのお話しをしてあげました。


 来年はどうなることでしょう…。それはともかく、下の本は私のおすすめ本です。文化人類学の見地から、4世紀のミラのニコラウスが時空を超えてどのようにその態様を変化させてきたかを平易に書いた本です。


 何年前の新刊だったかはとうに忘れましたが、サンタクロースにしても、それにまつわるヨーロッパ各地の習慣にしても、日本人の私たちには馴染みのないことが満載で、とても楽しく読めました。


          サンタクロースの大旅行 (岩波新書)/葛野 浩昭


                   

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 新書なので価格も手ごろ、サイズもハンディで、この時期の読書にはおすすめです。私は、発刊された年に買いましたが、2回は読んでます。


 サンタクロースなるもの、なかなか奥が深く、ひろがりもあり、あなどれません。ちなみに、このブログのタイトルにも「ニコラウス」の名が出て来ますが、実はこれ私の霊名だったりします。


 ミラのニコラウスは、西方教会よりむしろ東方教会での知名度の方が、抜群らしいですね。帝政ロシアのロマノフ朝の皇帝ニコライ(Ⅰ・Ⅱ)のほか、日本だと往年の名曲「東京ラプソディ」にも歌われている神田の「ニコライ堂」が有名ですね。


 待降節第4主日に教会に行ったのですが、この日は「子ども共に捧げるミサ」でした。久々のことでした。以前は、7時、9時、10時ミサの三本立てで、その日の都合に合わせて選べた贅沢な時期があったんですけどね。


 その9時ミサがいつも子ども主体のミサだったんですよ。このミサに出ることで、けっこういろんな歌があることを知ったんですけど、この日の「拝領の歌」は新垣壬敏さんの作詞・作曲の「マラナタ」でした。


    主の食卓を囲み 命のパンを頂き

    救いの杯を飲み 主にあって我らは一つ

     ※ マラナタ マラナタ 主の御国が来ますように 

        マラナタ マラナタ 主の御国が来ますように

    主の十字架を想い 主の復活を称え

    主の御国を待ち望み 主にあって我らは生きる

        (※繰り返し)

    主の呼びかけにこたえ 主の御言葉に従い

    愛の息吹に満たされ 主にあって我らは歩む

        (※繰り返し)


 この歌、かなり好きです。うれしくなって心が躍りますね。歌詞もとても純朴で、旋律もとても優しくてきれいです。典礼の歌は祈りだと言いますが、この歌はとてもシンプルでストレートな祈りの歌だと思います。


 久々に待降節の4つの主日に皆勤だったせいで、勝手にその「ごほうび」のように感じてしまった私も、いい年をして無邪気なもんです。


 答唱詩編の「♪門よ扉を開け 永遠の戸よ上がれ 栄光の王が入る♪」も、なかかなイケてますよね。そんなことを思いなから、ミサに預かっている私は、かなりチャライですよね。