記録⑩ | 人生に無駄はない

人生に無駄はない

人生の折り返し地点で難病の多系統萎縮症に罹患しました。
難病に罹患したことも無駄にならないような人生を歩みたいです。
2019年多系統萎縮症に病名変更

実母の事は今でも理解できませんが、
亡くなって何年も経ってるのに、当時を
振り返ると感傷的になってしまいますね

この時受けた心の傷は、しこりのまま
残ってるんだな、と改めて感じました

 


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翌日、業者に問い合わせるのと同時に
弁護士に相手から暴力を受けて、病院で
大変な事になった事を伝えました

すぐに弁護士の方で、刑事事件として
管轄の警察署に相手を訴える手続きを取って
くれました
そして、預けておいた遺言書の検認の
手続きを家庭裁判所にしてもらいました


母の遺体は、自宅からとても離れた
民営の遺体安置所のような場所に
安置されてました
俗に言う「遺体ホテル」です

ここで私は母の実子であっても、何の法的な
権限もないことに気が付きます
母は再婚し、相手の戸籍に入ったため
戸籍上、私との関係は無くなり、
相手の子どもたちの名前が戸籍に載っている
のです

再婚前の戸籍に遡らないと私の事は出て来ず、
私も結婚して名字が変わってるため、
結婚前の戸籍を用意しないと実子関係が
証明できないのです

「遺体ホテル」も個人情報を保護する立場
ですから、娘と説明しても
戸籍上、娘と認められてるのは、相手の
長女や次女なので思いっきり疑いの目で 
見られてしまいました

その時、一応面会は許してもらいましたが、
何でこんな目に母は遭うのだろう
何で私は普通に母の死を悲しむ事が
出来ないのだろう、という思いが溢れて
余計悲しくてたまりませんでした


1週間程、ここに母はずっと安置されて、
やっと葬儀をあげることになりました
私や息子が参列しないことが条件でした

母の親戚関係は、一般席の後ろの方で
お焼香を済ませたそうです


私の事を知っている母の知人達が
「お嬢さんがいたはずなのに」と一時、
葬儀場で騒ぎになり、また火葬場から
母のお骨が行方知れずになってしまいました

葬儀に参列出来なかった母の友人が
再婚相手の家に「お線香をあげたい」と
伺ったら、家には祭壇も何もない、お骨は
お寺に預けてあるから、お線香をあげたい
なら、そこへ行ってくれ、とお寺の住所と 
名前を言われたそうです
それで不思議に思った母の友人が、私の事を 
尋ねて来てお骨の行方を知らされました