震災4年前のこと | 人生に無駄はない

人生に無駄はない

人生の折り返し地点で難病の多系統萎縮症に罹患しました。
難病に罹患したことも無駄にならないような人生を歩みたいです。
2019年多系統萎縮症に病名変更

東日本大震災から4年目の今日、テレビでは各局の特番が組まれ、震災当時と現在の様子がライブで放送されています。



4年前の今日、私は失業中で失業保険をもらいながらWeb デザイナー教室に通っていました。

住んでいた場所もここではなく、小田急線沿線の郊外

実母を癌で亡くしてから、私も体調を崩していたので仕事するのも無理


地震の被害にあったのは、ちょうど教室に通っている最中でした。



今まで経験したことが無い揺れに襲われ、机の上のパソコンが倒れて来ないように、押さえているのが精一杯



揺れが収まって、建物から外へ出ると街全体が停電していて、ビルの5、6階部分から水道管が破裂したらしく、水が吹き出ていたり、レンガ造りの壁が崩れていたり・・・


余震も何度も起こり、携帯電話も全く通じなくなっていました。


息子や主人の安否も心配だったので、まずは家に帰ろうとしましたが、道路は大渋滞でバス停は長蛇の列、電車も止まっていたので2駅先の自宅まで徒歩で帰りました。

2時間位は歩き続けたと思います。

途中、信号機が止まっていたり、コンビニでは食料の買占めが始まっていたり、道路は相変わらず大渋滞のまま。


家に着いて、ドアを開けると息子は先に帰っていました。

柱時計が倒れて部屋に入れなかったのを息子が一人で直したそうです。

その他、テレビやパソコンはひっくり返っていたり、金魚の水槽は水が半分以上無くなっていました。



電気やガスも使えなかったので、息子は仏壇に置いてあるロウソク等をテーブルの上に用意して、私の帰りを待っていてくれました。


こういう時は、ラジオからの情報が唯一頼りですね。



主人と連絡が取れたのは、翌日になってから。
幸い主人の会社がある場所は、電車は止まってましたが、ライフラインは正常だったのでビジネスホテルに泊まることが出来たそうです。


福島には主人の母親が住んでいるので、安否がわかるまで不安でした。


余震はずっと続いて、夜の10時過ぎにやっと電気がついてテレビの映像を見て、被害の凄さに驚愕





福島原発事故、津波、液状化現象による倒壊

地元では、商業施設の駐車場スロープの落下事故、計画停電・・・


物資の流通が滞り、私の住んでいた近所のスーパーは、食料らしきものがほとんど品切れ



当時は、そんな状態がしばらく続きましたね









今日の花壇
ヒアシンス満開です。



・・・4年も経つと、当時のことを思い出す機会も減ってしまいました。

記憶もいつかは曖昧になってしまうかもしれません。


今日は、その時の記憶を書き留めさせてもらいました。



脈絡のない長文で申し訳ありませんでした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。