19才のとき単身上京し、
27才のとき奇しくも同時に天から与えられたように出会った、
坐禅と潜在意識のお陰と思っている。
潜在意識のことはよく話すが、坐禅についてはほとんど話さない。
坐禅は、いわゆるイメージトレーニングの瞑想とはまるで違うものだ。
坐蒲を尻に敷き、結跏趺坐で足を組み、背すじを伸ばした状態でただ坐るということだ。
坐蒲のかわりに座布団をふたつに折って坐るもよし、
結跏趺坐が困難であれば半跏趺坐でもよしだ。
ただ背すじを伸ばし、下腹部いわゆる臍下丹田に気を沈めておくことが大切である。
生きていく間は、いくつも試練に出会うのは世の常で、
試練・苦難を避けてはまっとうな人生を生きることは出来ないだろう。
『艱難汝を玉にす』という言葉は、ぼくの好きな言葉のひとつだが、
幾つのときも相談する相手がいなかったぼくには、
坐禅こそがぼくの相談相手だった!
不思議なことだけど、そのつど救われた記憶がある。
また、これから先もますますぼくには坐禅が必要となってくるだろう。
実際、以前は2、30分だったものが半年ほど前から、
40分に時間が伸び、
洗顔したあとの朝の『坐禅タイム』はぼくの至福のときとなっている。
あらゆる思考から離れ、何にも囚われない時間をもつ幸福感は他で味わえるだろうか。
坐禅のことをあまり口にしないのは、
ぼくの周りに坐禅をするような人がいないからだ。
やるなら10年単位でやるぐらいの気迫がなければ、
言っても無駄だと思っているし、
何かをすぐに求めるという心構えでは、やはりつづきはしない。
このブログを書きながらふと思った。
ぼくが他の人と比べて、圧倒的にシンクロニシティが多いのは、
潜在意識を学んでいるだけでなく、長年の坐禅のおかげもあると思える。
とにかく、ぼくの人生には、
禅と潜在意識は欠かせないのだ!
※艱難汝を玉にす(英語のことわざから)人は多くの艱難を乗り越えてこそ立派な人物になる。 広辞苑第6版より