全体が茶色っぽく変色した襖を開けると、ムッとしたむせ返るような臭いが英雄を襲った。英雄はすぐさま喉の奥から吐き気をもよおした。
加齢臭だった。
それも何年もかけてヘドロのように蓄積された、ドロリと身に纏いつくような強烈な臭いだった。
「布団は替えたから大丈夫」
それは英雄が今回の中学校に行くよう司令から頼まれた時に、司令が脈略もなく言った言葉だった。
とにかく、この警備会社の宿直勤務用に備えられている布団はひどかった。最低賃金で働く世界だから、警備員には年金生活者が多かった。いきおい、高齢者である彼らの使う布団には加齢臭が残ってしまう。ひどい布団のせいなのかどうかはわからないが、定着率もすこぶる悪い職場だったが、会社はそんなことには経費はかけない。
だから、英雄は、司令に布団を交換したと言われたときも珍しい事もあるものだというくらいにしか思わなかった。
築30年以上にはなるだろう鉄筋造りの校舎の1階の隅に宿直室はあった。だいたい、宿直室の作りはどこも似たりよったりで、建付けの悪い扉を開けて中に入るとコンクリート剥き出しのガレージ半分程度の土間があり、そこに修理しかけの生徒用の椅子や机が散らばっていたり、運動会シーズンなら、運動会で使う入場門や張ったロープから吊るす万国旗が無造作に置かれていたりした。天井のぼやけた蛍光灯の覆いの中に蛾や訳のわからない昆虫の死骸が黒くなって転がっているのもまた、どこも同じだった。昔は当番で教員が泊まり込んでいたらしいが、今は英雄の勤務する警備会社から派遣される警備員が務めている。
英雄は今日の午後になって警備会社の上司である司令から呼び出されて、初めて本日の勤務地を知った。50歳にはまだ少しあるだろうが白髪が目立つようになった司令が、出勤してきた英雄を見て、申し訳なさそうに言った。
「いつものところは今日はいいからさ、急で悪いけど江南中学に行ってくれるかな」
英雄は、国家資格を取るために巡回の合間には試験勉強もできるこの夜間の学校警備の仕事に就いてもう3年にもなる。英雄は、週に4回くらいこの会社から派遣されて幼稚園、小学校、中学校に入っていたが、何曜日にどの学校に行くかは既にルーティンになって決まっていた。だから、急に司令からこの学校を指定された時は意外な思いがした。しかし、最低賃金とはいえ、大切な生活費の足しになっているバイトだったから、英雄に拒否する理由はなかった。
「初めての所ですけど、いいですよ」
と即座に応えた。
どこの中学校でも巡回やその他の作業手順はだいだいは同じである。英雄は司令からこれから行く中学校の大体の作業内容を聴き取ると、警備会社の車に送られてこの学校に着いた。各警備員を学校に送り届ける係の初老の運転手がいつもなら、初めての学校の場合は、送り届けるついでに巡回の具体的な場所やその他の注意事項を学校で実地に教えてくれるのが普通だったが、今回は急遽、彼も他の学校の警備に入るということで校門の近くで英雄を降ろすとすぐに立ち去ってしまった。
ただ、別れ際に
「ほんとに、くれぐれも気を付けてね」
と言われたのが気になった。
