どうして首からそんなものをぶら下げているのか他の子から聞かれたら、親からは、
「この町にも、もう1件、家があるから」
と答えるように言われていたが、そう答えても秀男の定期券を物珍しくジロジロ眺めている子ども達には何の効果もなかった。なかにはどこで聞いてきたのか
「それ、おばあちゃんの家やろ」
と、本当のことまで言い出す子もいて、秀男はドギマギするばかりで、みんなから違った目で見られることに変わりはなかった。
秀男にとって休み時間が特に苦痛だった。チャイムが鳴って授業が終わると、たった10分間でも他の男の子達は大概、ボールを握って運動場に飛び出して行った。秀男が気付くと、教室は男子が抜けてガランとしていた。そんな時、秀男はいつも一人だけ別の世界にいるような寂しさを感じた。
雨の日は秀男にとっては、ひよっとしたらちょっとしたチャンスだったのかもしれない。雨の日は、休み時間になっても誰も外に遊びに行かなかったからだ。ボールを持って遊ぶ代わりに、「野球盤」という野球を模したゲームに男子や一部の女子は興じていた。
ところが野球のルールがわからない秀男は、やはり参加できなくて、結局はひとりでポツンと窓の外を眺めるしかなかった。
放課後、秀男は真っ直ぐにバスに乗って家に帰るだけだった。バスに乗って隣町まで小学校に通うということがよくわからなかった入学したてのどさくさ紛れに、親からは放課後、学校の近くでは遊ばないよう約束させられていたからだ。親は秀男の身を案じてのことだったが、秀男には辛いことだった。放課後、きっと今頃クラスのみんなは、野球はもちろん、その他、秀男の知らないことで楽しんでいるだろうと思いながら、秀男は家に帰ると自分の部屋で寝っ転がって、ぼおっと天井を眺めて過ごした。
よく晴れた日だった。休み時間にいつものように秀男は一人ポツンと自分の席にいた。校庭からは遊び興じる児童の声がこだまのように響いてくる。秀男が手持ち無沙汰に机の上に出したままの前の授業の教科書を触っていると、不意に背後から誰かが声をかけてきた。
「何してるん?外、行けへんのか?」
振り返ると背の高い男の子がニコニコ笑って立っていた。猫背に丸まっていた秀男には見上げるような感じだった。黒目がちの大きな瞳が秀男をしっかりと捉えていたが、顔の下半分には白い大きなマスクがかけられていた。
秀男はおどおどしてしまって口の中でもぐもぐと言っただけだった。そんな秀男を意にも介さず、
「俺はな、ちょっと風邪引いてな、お母ちゃんが今日は大人しくしとけって言うからな」
と言いながら、秀男の隣の席に座った。
それが水島くんとの出会いだった。
その日はすぐに授業開始のチャイムが鳴ったので、水島くんは笑顔だけ残して自分の席に戻って行ったが、翌日もその翌日もさらにその次の日も、例え晴れた日でも水島くんは秀男の席の前に来て秀男に何かしら話しかけてくれるようになった。お母さんや家族以外の人とはうまく話せない秀男であったが、水島くんが見せてくれる底抜けに人なつっこい笑顔に救われて、いつしか秀男も水島くんが話しかけてくれるのを待つようになっていた。
秀男もかつて一度だけ、他の子に誘われて何もわからないまま、休み時間の野球に参加したこともあったが、いつどっちに向かって走るのか、どうやって打つのかさえ全くわからずで、誘ってくれた子はもちろん他の子の顰蹙をかってオロオロしただけだった。それ以来、ますます他の男子は秀男をそこに居ないかのように扱ったし、秀男も小さなボールを見るだけで恐怖を感じてしまうようになっていた。何も知らない親は、男の子には必要だろうと言うことで、グローブを買いに百貨店に連れて行ってくれたけど、秀男は嬉しくもなんともなかった。第一、放課後、みんなと一緒に遊べないのにいつ使えばいいのだろうと秀男は思った。
そんな秀男を水島くんが嫌がるみんなに頼んで野球に誘ってくれた。ベースの隣に立ってボールを打って初めて走ることが出きると水島くんは教えてくれた。 そんな時でも水島くんは決して偉そうなふりをせず、いつもの満面の笑みを絶やさなかった。鈍くてボールも満足に取れない秀男であったが、水嶋くんは、キャッチボールにも付き合ってくれた。
休憩時間が初めて惨めでなくなった。授業が終わってももう怖くなくなった。
秀男は毎朝、水島君と顔を合わせるのが楽しくてならなかった。朝が待ち遠しかった。秀男を見ると水島くんも楽しそうに両腕を広げて
「いよっ!」
と言いながらにこやかに近寄ってきて軽く抱きしめてくれた。その頃、流行っていた学園もののテレビ番組のように、二人で肩を組んだまま学校内をふざけながら練り歩いたりした。二人の間には笑い声が絶えなかった。授業が終わって帰る頃には秀男は胸に寂しいものを感じたが、家に帰っても今日1日の楽しかったことが思い出されて一人で自然と沸き上がる笑みに満たされていた。
