それはまだ確定してはいないが、九州には日本が建国する以前に文明、九州王朝があったという説があるというもの。
そしてその中心地は現在の糸島ではないか?という説を立てた人がいるということだった。
そう考えると志賀島から漢が国と認めた証拠の金印が出たことも糸島では数々の銅鏡などが出土したのもうなずける。
なぜかというと糸島の二見ヶ浦にある夫婦岩、あれは道標だということ。
つまり今みたいに海への航海にコンピュータや羅針盤など方向を指示するものがないのに大陸との交流が持てたのも夫婦岩を指標とし、星などの天体から真っ直ぐ進んで行ったからだと思われる。
あの糸島の夫婦岩は2つの岩の間を真っ直ぐ抜けると対馬に着くようになっており、さらに真っ直ぐ行くと朝鮮半島に到達するようになっている。
故にこれは意図的にそうなっており、渡航技術もままならない時代に大陸から文化や調度品など富をもたらす大事なものとして神聖視し崇めていたのではないか?
更には伊勢の夫婦岩はこの糸島の夫婦岩を参考にしていて、糸島のは言わば夫婦岩の原点で、さらに伊勢と糸島に似た地名が多いのはその九州王朝の名残りともいえるのではないかとの考察があった。
それほど航海術とは大事なものだったと思う。
そして宗像大社と田島神社だけど、実はこの2つ、地形的に直線のラインで結ぶとそのほぼ真ん中に夫婦岩がくるようになっている。
宗像大社は鎮座している場所が宗像市田島で田島神社との関係もないとは言い切れないんじゃないかと思う。
で、どちらの神社も航海の神を祀るところで、その中心に航海指標の夫婦岩があるのはなかなか出来過ぎではないだろうか?
実際には夫婦岩の管理の櫻井神社は福岡二代藩主の黒田忠之公によって創建されたようだが、その以前からその辺りには神社など神を祀る場所がかなりの規模であったのでは?と考えます。
歴史って文明を築くときは前のものを徹底的になかったものにして痕跡を消し、祟られた場所みたいにするというのは全世界で珍しくないからあり得ると思うんだよなー。
まあ、自分のブログだから思ったことを書いたけど、結局何が言いたいかというと、自分が小さい頃から青春時代まで長い事住んでいた糸島にそんな素敵な歴史のロマン溢れる話が事実でもそうじゃなかったとしてもあると思うと、より福岡が故郷でよかったと思い嬉しくなった!という事です。