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繋プロジェクト-TSUNAGI PROJECT-

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4日目の朝を向かえ様々な情報が錯綜している中、車が通れる道を確認し家族が居る仙台に行く準備を始めました。動けなかった理由の一つにガソリンの問題があり車のガソリンメーターは底を差しておりあと何キロ走れるかかなり微妙な量でガソリンを分けてもらおうとしましたが最近の車はガソリンを抜き取れない構造になっており断念、一か八か途中でガス欠になったら歩いて行く事にしました。
親父の友人を家まで送る事になり一緒に出発、当時は他の地域の情報が全く無く何処まで津波が来たかを確認しながら通れる道を探しながら仙台に向かいました。その途中の景色に驚きました。なんと東松島市(旧矢本)の奥まで津波が来ており辺り一面海となっていたのです。その光景を見て親父の友人と「これは大変な事が起きた」と涙を流しながら話した記憶があります。前に進むと弟の奥さんの実家に行ける事が分かり訪ねると何とか皆さん無事な事が分かり安心、出先に野菜や米などを渡され感謝しながら一路仙台へ。親父の友人の家に到着した時の事でしたその方が行方不明となっていた模様で
突然の帰宅に家族は泣いて喜び感動の再開となりました。もらい泣きをしながら出発しようとすると、その方がホースを持ち出し大事なガソリンを自分の車から必死に抜き出そうとしてくれてます。なんのお礼も出来ないのでと言いながら…ガソリンは抜けませんでしたがそれ以上のものを頂いた気がしました。そんな出来事がありながら再度出発、仙台に向かう途中は一つも信号機が作動しておらず交通整理をする警察の姿も無く、道路は歪み所々破損した状態を進み家の近くまで来た時です、石垣は崩れ道路は陥没…以前から地盤はゆるいと分かっていましたがかなりの被害でした。

その時は写真を撮る余裕がなく画像が載せれず申し訳御座いません。
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子供の薬や飲み物などを探すため一路友人宅に行く事になりましたが、瓦礫や車が押し重なり思うように進めません。なんとか進んでいると突然足にいたみが、瓦礫自体も家などが破壊されて流されてきた物でしたので至る所釘だらけ…釘を刺してしまいました。釘を引っこ抜きとりあえずOK。やっと友人宅まで到着、新築した家の変わり果てた姿に言葉を失いました…。
気の利いた事も言えず、もくもくと三人で薬などを探しに家に入ると一階の天上ギリギリまで津波が来ており後もう少し水位が上がっていればこうして話せてはいないでしょう…。
二階にあった袋などに荷物を詰め込み来た道を戻る途中に話しかけられた時の話です。話をし聞くとそのおじさんは女川原発から歩って帰って来たと言うではありませんか、車でも一時間以上かかる場所ですが一日中必死に歩いて来たそうで途中の浜の状態などを教えて頂きましたが聞いているうちに浜の友人知人達の安否が気になります。浜の人々の強さに賭けるしかありません。様々な話をした後そのおじさんが涙を浮かべて言いました、死んだ人達に申し訳ないけど「死んでも地獄、生きても地獄だ」と。しばらくみんな破壊された地元を眺めながら鼻をすすっていました。
友人達といったん別れ実家に戻り避難所の事などをやっているとあっという間に暗くなり夜となってしまい危険という事で作業中断。
言い忘れていましたが、父親も震災から行方不明、行き先も確かな事は分からず半ば諦め掛けていた時、お祖母さん慌てて叫びました。親父さん帰って来たどー、一瞬お祖母さんがぼけてしまったのかと思いましたがドアを開けると泥だらけの親父の姿があるじゃありませんか。なんと奇跡的にも生きて帰って来ました。普段から行き先を告げずに行ってしまう事から皆に責められる親父、みんな泣きながら助かって良かったと言いながら怒ったりわけが分からない光景でした。

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少し後の海岸近くの画像です。

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2日目の夜の事でした、友人の奥さんが職場から何とか辿り着き実家に訪ねて来ましたが家族の安否確認が出来ないためこれから真っ暗な中家に向かうと言うので危険だからとにかく今晩はここに泊まり日が出たら一緒に向かおうと説得しどうにか朝まで待つことになりました。

朝になり向かう事になりましたが友人の家は津波で寸断されており通常通りの道では行けず山から回り込み行って見ると山際まで津波が押し寄せており
瓦礫や土砂、車などか押し重なり前に進めずいましたが土地が少し高くなっていた場所は瓦礫がまばらで辛うじて進むともう一人の友人宅に行けそうで更に進むと、友人宅の向かえの道に男二人の姿が見えた瞬間「生きてだが!」と叫びました。友人家族の感動の再開でした。もう一人の友人家族も奇跡的に無事でしたが両親の安否確認が分からないとの事でした。

震災翌日にもう一人の友人がまだ海水があるにも関わらず大量の瓦礫の中をかき分け子供とお祖母さんと友人を助け出したと後から聞きました。しかし、その時は全員の安否確認が取れておらず喜びきれない状態がありどの様に感情を表現していたかはあまり覚えていません。

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その付近の画像です。

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