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繋プロジェクト-TSUNAGI PROJECT-

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数日後、給油もメーター半分は確保し家族は仙台に残し再度石巻へ。ここからは同じ作業の繰り返しとなります。当時避難所となっていた場所や知人の所に行き支援物資を渡す、そこで必要な物を聞きまた仙台に戻り支援物資を集め持って行く繰り返しを2週間位続けていた頃女川で自身も被災しながらボランティアで皆のお世話をする方に出会いそこからの話しです。
その方の名前は佐藤さん、自身も当時避難所に身を寄せる被災者でありながら皆のお世話をする姿には頭が下がる思いでした。佐藤さんとこの様な形で会っていた時ひょんな話から出たアイディアが「繋プロジェクト」の原型となるものでした。当時から支援物資のミスマッチや地域のかたよりなどが問題となっており解決策を模索していた頃同じ様に佐藤さんも感じている事が分かり何か良い方法は無いか話をすると当初は地域や個人の今の意見をダイレクトに反映させ今後の街づくりに役立たせるものを考え始めました。
しかしそんな事は今までやった事も無くアイディアだけが先行し具体策とまでは至らず現実的に具現化出来る範囲を手探りで模索ながら考えをまとめてる方向で数日が過ぎた頃ラフ案のが完成。しかしお互い被災していた状況からの取り組みには資金や人材などの難題が多く暗礁に乗り上げる結果となってしまったのです…。
早くやらなければと焦る思いと裏腹に時は過ぎ、次男の卒園式の事です。当時は卒園式もやれるかどうか分かりませんでしたが保育所から卒園式の連絡が入り予定通りとまではいきませんが卒園式自体はやると報告でした。
涙の卒園式が終わった後の事です。
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女川の佐藤さんです。
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震災約一ヶ月前の節分です。
なぜかこの時次男が真ん中…
避難所などの手伝いや安否確認、行方不明者の捜索などをしながら数日が過ぎ物資を調達をするため一度仙台に戻る事に。ガソリンも思った以上に無くなり帰りの道のりはガス欠の不安と余震による津波の不安などを考えながら開いてるガソリンスタンドを探しましたが案の定無く給油は出来ずに無事帰宅、家のドアを開けるとビックリ!玄関から部屋の中まで足の踏み場もない位にダンボール箱がびっしり置いてあるではありせんか。嫁さんが一言「それ支援物資じゃない?」どうやら石巻に行く前に隣の方に鍵を預けていたらしくその方の実家から大量の支援物資が届けて頂いた事に気づくまでに少々時間がかかりました。大量の支援物資を頂いたお隣さんは新潟出身で中越地震を経験していた事もあり、なんと実家の方がトラックで物資を持って駆け付けてくれたそうです。私達が到着した時には既に出発した後で実際にお会いしてお礼をいう事が出来ませんでしたがお隣さんに宜しくお伝え下さいと感謝を伝えました。帰ってきた日の夜は頂いた物資の仕分けに費やし朝方就寝。2,3日かけ物資を集めなんとか物資の仕分けも終わり今度は家の水や食料を調達するため開いているスーパーなどの情報を集め買い出しに行き何時間も並んで買えた物は限定5品までと到底家族分の量には足らず何軒も何日も費やし集める状況はしばらく続きました。近所の方々から情報を集め販売しているガソリンスタンドに一日中並んでも手に入らない日も多々あり、ようやく給油が出来ても一台10リットルや20リットルと制限され中々石巻に行くためのガソリンが手に入らず苦労しました。
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物資の一部です。
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嫁さんの実家でしばらく震災当日からの話をし一通り終えた頃日も傾きかけてきた事もあり湊の実家に向けて出発、ガタガタの橋を急いで恐る恐る渡りまだ人々が歩いて通っていたトンネルを抜けるとまた景色が一変し石巻を出た当時と全く変わらない光景にため息だけしか出ません…救助や支援も無い様子…。実家に着き荷物を下ろすや否や車から飛び出した子供達は一目散に家の中へまたもや感動の再開、連絡が取れずにいたので孫達や嫁さんの無事な姿に皆喜び安堵した両親兄弟の顔が印象的でした。わずかばかりの物資を渡し現在の状況を話し合いあっという間に夜を迎えその日は実家のリビングに避難してきた親戚知人も含め総勢20人程の寿司詰め状態で就寝する事に。子供達は合宿の様にいとこ達とはしゃぎ、ロウソクの灯りの中久しぶりの笑顔にホッとする一時でしたが、あまりのうるささに一喝され疲れていた事も重なりあっという間寝てしまいました。不思議なもので、こんな時でも子供の笑顔というものは大人達を癒す一番の薬になるんだなと思ったものです。
次の日の朝避難所に行ってみると少しの変化を感じました。震災当日から数日は混乱の余りまとまらなかった人々がある程度協力して作業をしています。突然避難所になってしまったにも関わらず協力しながら過ごす事により一種の連帯感が生まれたらしくまだ救助や物資は無いながらもほんの数日前とは違う秩序ある立派な「避難所」になっていました。
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その後の避難所の画像です。
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