石橋和歩

 

2017日午後時過ぎ、萩山さん一家は、東京・台場への旅行から静岡市の自宅に戻る途中、東名高速道路の中井パーキングに立ち寄った。家族は人で、萩山嘉久さん(45)、妻の友香さん(39)、長女15)、次女11)がワゴン車に乗っていた。中井パーキングを出発する時、本来停めてはいけない場所に1台の車が停車していて、通行の妨げになっていた。この迷惑な車の運転手は石橋和歩25)。交際女性と旅行中で、この時は車外でタバコを吸っていた。

 

萩山さん一家の車は妻の友香さんが運転していて、通りすがりに夫の嘉久さんスライドドアを開け、石橋に「邪魔だボケ!」という言葉を浴びせた。はありがちなトラブルだが、このあと萩山一家は予期せぬ事態に見舞われ。石橋が罵られたことに腹を立て、追ってきていたのだ。石橋は萩山さんのワゴン車の前に割り込んで急減速したり、友香さんが衝突回避のため車線変更すると直前に車線変更して進路妨害するなど、約700mにわたって妨害行為を繰り返した。

 

その後、石橋は車を完全に停止させたため、友香さんも仕方なく車を停車させた。すると石橋が車を降りて向かってきたので、無謀なことに嘉久さんが2列目のスライドドアを開けて、石橋に応じた。石橋は「けんか売っちょんのか!?」「高速道路に投げ入れるぞ」「殺されたいか!?」と怒鳴りつけ、嘉久さんの胸ぐらをつかむなど暴行を加えた。これに恐れを成した嘉久さんは謝ったが、石橋の怒りは収まらず、上半身を車に入れるようにして、嘉久さんの胸ぐらをつかむなどした。

 

萩山嘉久さんと妻の友香さん

 

この時、石橋の車に同乗していた交際中の女性が石橋に向かって「子供がいるからやめて」と諫めた。女性のこの言葉を容れた石橋は嘉久さんへの暴行をやめて自分の車に戻ろうとした。ところがその途中、大型トラックが萩山さんのワゴン車に追突した。その反動で今度は萩山さんのワゴン車が石橋の車に玉突きで衝突する大事故となった。時刻午後36分頃だった。この事故により萩山さん夫婦は死亡、夫婦の娘ふたりも負傷した。石橋自身も重傷を負い入院した。

 

この事故を受けて、神奈川県警は事故当時に現場近くを走行していた車両約260台を割り出し「目撃情報」の収集「ドライブレコーダーの映像」の提供を要請し、自動車運転処罰法違反容疑で捜査を行った。その結果、「石橋が、萩山さんの車を強引に高速道路の追い越し車線上に停車させ、事故を誘発した」と断定した。石橋は逮捕される前の事情聴取に対して、「被害者男性嘉久さんから『邪魔だボケ』と言われて、カッとなって彼らの車を追いかけた」と証言した

 

高速道路上で停車した理由について、石橋は「夫婦にあおられたり、パッシングされたため」と説明していたが、娘ふたりの証言と矛盾があり、目撃情報・ドライブレコーダー映像などを精査した結果、被害者側の車にあおり運転パッシングをした事実はなかった。神奈川県警は「石橋が虚偽の説明をしている」と断定20171010日に逮捕した。横浜地検は石橋が萩山さんの車に対し「執拗なあおり運転」を繰り返したことから、危険運転致死傷罪を適用することを決めた。

 

本事件は裁判員制度の対象事件となった。裁判は「車を停車させたことが原因の死亡事故」に対して、『危険運転致死傷罪が適用できるかが争点となった。「運転により人を死傷させる行為等の処罰」に関する法律では、「交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為」と定義されている。本事件では石橋被告の車は停止しており、別人の運転するトラックの追突によって被害者が死亡した。そのため、石橋被告に危険運転致死傷罪を問うことは困難とみられていた。

 

201812日、横浜地裁で裁判員裁判の初公判が開かれた。石橋和歩被告は罪状認否で、大筋で起訴事実を認めたが、細部に関して起訴内容誤り主張した。弁護は「停車後に発生した事故に、危険運転致死傷罪は適用できない」として、死亡事故に関して無罪を主張。12日の第回公判で被告人質問が行われ検察官から「事故原因は何か」と質問された石橋被告は「自分が(被害者の車を)停めたこと」と答えたうえで、謝罪の言葉を述べた。

 

12日の第回公判では、石橋被告の元交際相手が証人として出廷し、「(石橋は)逮捕されるまでに交通トラブルを10回以上起こしていた」と証言。石橋被告に対し「罪を反省して償ってほしい」と述べた。1210日の論告求刑公判で、検察側は「危険運転致死傷罪が成立する」と主張、石橋被告に懲役23年を求刑した。弁護側は最終弁論で「不運な事情が重なった。刑事責任は器物損壊罪などに留まる」として危険運転致死傷罪について無罪を主張した。

 

最終意見陳述で、石橋被告は「度と運転せず一生かけて償っていく」と改めて謝罪した。1214日、判決公判で横浜地裁は「被害者の車両を停車させた行為に関しては危険運転致死傷罪が成立する」と認定したうえで、石橋被告に懲役18年の判決を言い渡した。裁判長は「身勝手かつ自己中心的な動機で、常軌を逸した犯行行為だ」と厳しく指弾した。判決を不服とした弁護側は東京高等裁判所に控訴した。一方検察側は「判決は妥当」として控訴しなかった。

 

201912東京高裁判決公判で、東京高裁は原判決を破棄、審理を横浜地裁に差し戻す判決を言い渡した。横浜地裁の裁判官は公判前整理手続で「危険運転致死傷罪は成立しない」とする見解を示していて、弁護側はそれを前提に弁護活動に臨んでいた、公判ではその見解を翻して同罪の成立を認めたことが指摘した。東京高裁は「裁判所が事前に見解を表明することは裁判員法に違反する越権行為。改めて裁判をやり直すべき」と結論付けた。

 

202227差し戻し審初公判が開かれた。なぜか石橋被告一審での供述や謝罪を一転させ「事故になるような危険運転はしていない」と無罪を主張した弁護側も「石橋被告の運転は危険運転ではない。事故の原因は追突したトラック運転手のスピード違反や車間保持義務違反にある」と主張した。検察側は石橋被告による停車直前の「にわたる妨害運転」と「一家死傷事故」には因果関係があり、「危険運転致死傷罪が成立する」と改めて主張した。

 

2022日の判決公判で、東京高裁は石橋被告に懲役18年を言い渡した。裁判長は「石橋被告が妨害運転を繰り返したことで、事故が起きた」として危険運転致死傷罪を適用できるという判断を示した。そのうえで「妨害運転は極めて危険で執拗、夫婦が命を絶たれた結果は極めて重大だ。文句を言われて憤慨し、妨害運転を行ったという動機や経緯に酌量の余地はない。真摯に罪に向き合い、反省しているとはいえない」と指摘した。石橋被告は即日控訴した。

 

20231213日、東京高裁で差し戻し後の控訴審初公判が開かれ、即日結審した。そして202426日、控訴審判決で、東京高裁は懲役18年を言い渡した審判決を支持する判決を言い渡した。裁判長は「車線変更や減速を繰り返すなどの行為によって事故が起きたとして、危険運転致死傷罪を認めた一審の判断に誤りはない」として控訴を棄却。石橋被告は退廷する際、裁判官3人に向かって「お前ら裁判官、俺が出るまで待っておけよ」と発言した。

 

石橋和歩199112月、福岡県鞍手郡の旧炭鉱街で生まれた。兄弟は人で彼は次男だった。小学校時代の同級生は「身体は大きかったが大人しかった」「とにかく喋らない子だった」「父親が建設関係の仕事、母親はスーパーのパートをしていた」などと証言している。中学校時代にはあてもなく深夜徘徊していたそうで、卒業後は隣町である中間市内の高校に進学した。中高生になると、グレる生徒が多い土地柄だったが、石橋はいわゆる不良というわけではなかった。

 

イジメを受けていた石橋和歩

 

高校年の頃に両親が離婚したが、兄と弟は父親が引き取り、石橋は母親に引き取られている石橋は事故の数年前から地元の仲間から、かなり酷いイジメを受けていたようだ。おかしな髪型に無理やり散髪されたり、顔にひどい落書きをされている写真がネット上にも出回っている。そうした普段のイジメの反動なのか、あるいは彼女に強く見られたいのか、普段は大人しいのに彼女と一緒にると、石橋は態度が大きくなり、コンビニ店員に対してイキがって声を荒げたりした。

 

石橋和歩は21歳で運転免許を取得してから、交通違反を事故を起こしている。事故の1か月前(日夜)にも、石橋は車のトラブルを起こしていた。下関市の一般道で急に時速10k程度まで減速し、追い越した車にクラクションを鳴らすなどしてる。さらに、今回の事故と同様に進路をふさいで停車させ、窓を叩いたという。翌日早朝も、信号で青に変わっても10秒ほど発車せず、その後も遅速度で走行し、追い越そうとした車の方へ幅寄せして衝突した。

 

この日は、ほかにも追い越そうとした車の進路を度にわたって妨害して停車させ、運転席のドアを蹴るなどした。県警によると、いずれも「石橋がきっかけを作って追い越しを誘った可能性あるとみている。さらに驚いたことに、石橋は本事故からか月後の21日、山口市内で同様のあおり運転をしている。この時も追い抜かれたことに腹を立て、停車させて車を降りることを強要した。被害男性が警察を呼ぶと、石橋は「殺すぞ俺は人を殴るために生きている」と叫んだ。