光を呼ぼう こぼれてくる光を うけよう | からし種と空の鳥

からし種と空の鳥

日本キリスト教団 
西宮聖光教会のブログです。
兵庫県西宮市にある小さな教会です。

今日は水曜日なので、今週の日曜日の礼拝メッセージを載せさせていただきます。

 

 

 

今週は「三位一体」の主日でした。神さまがこの世界に「光」を送ってくださったことを思い巡らしました。

 

 

 

 

 

2024年度の年間テーマ

~神の栄光をほめたたえよう~

「ほむべきかな、わたしたちの

主イエス・キリストの父なる神」

(エペソ人への手紙1章3節)

 

 

 

 

 

2024年5月26日のメッセージ

 

「ひかりを呼ぼう

聖書: ヨハネによる福音書3章16~21節

(一部だけ載せます)

 

 

20 悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。

 

21 しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。

 

 

先週の聖霊降臨日の礼拝では、イエスさまがパリサイ派の教師であるニコデモに「新しく生まれる」とはどういうことなのかをお話された箇所を読みました。

 

 

そして私たちも、聖霊によって新しく生まれて生きることができる、それが私たちの聖霊降臨なのだというお話をしました。

 

 

「新しい人」とされて生きることのできる恵みを改めて覚えました。

 

 

これから教会暦では「聖霊降臨節」です。聖霊の導きによって、私たちがよい実を結ぶべく神さまに育てられて行きたいと思います。

 

 

***

 

 

ヨハネ福音書は、「光」はいのちをもった「神の言」、イエスさまはすべての人を照らす「まことの光」であると伝えます(ヨハネ1:1~9)。

 

 

今日は「ニコデモの話」に続くお話ですが、福音書の記者はイエスさまがもたらされた救いを端的に伝えています。

 

16 神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

 

 

17 神が御子を世につかわされたのは、…御子によって、この世が救われるためである。18 彼を信じる者は、さばかれない。

 

 

しかし、こう続きます。

 

 

…信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。

 

19 そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。

 

 

 

命をもたらす光が来られたのに「信じない者」は、神の「さばき」を受けるのだといいます。

 

 

ここでいう「さばき」とは、「有罪判決」のことです。すると、日本人の99%は神の判決によれば「有罪」だということになります。

*日本の「キリスト教人口」は1%だと言われています

 

 

イエスさまはご自身を「世の光」だと言われましたが、改めて私たちが生きるためになくてならない「光」のことを思い巡らしたいと思います。

 

 

***

 

 

ニコデモのことをもう一度考えてみます。彼はユダヤ人の中でも神の教えを厳格に守っている「パリサイ派」の指導者です。

 

 

ニコデモは夜の闇に紛れてイエスさまを訪ねてきました。

 

 

彼は、神の教えを真面目に誠実に守り、しかも人に教える人でした。けれども、それで神の前に「完全な正しい人」と認められるわけではありません。

 

 

福音書記者は、ニコデモとイエスさまとのやりとりのあとで、再び「光」の話を引き出します。

 

 

あたかも、イエスさまがニコデモの心の闇を知っていたかのように「光」のことを思い出させます。

 

 

ニコデモが光であるイエスさまを信じたのかどうかを聖書は記しませんが、彼が光であるイエスさまのところに自らやってきたことが大切なのでしょう。

 

 

 

***

 

八木重吉というキリスト者の詩人がいますが、キリストの光を美しい詩にしています。

 

 

「ひかりをよぼう こぼれてくる ひかりをうけよう」

 

 

「ひかりをよぶ」そして ひかりが「こぼれてくる」 天から注がれるのでしようか。

 

 

ひかりがきらきらとこぼれてくる…そのひかりをうけよう。

 

 

「ひかり」は、「わたしは世の光である」といわれたイエスさまのことでしょう。

 

 

「ひかりをよぶ」のは、自分が闇の中にいるときであるかもしれません。

 

 

あるいは、仕事の手を休めて窓から外を見ている時かもしれません。新緑の美しい木陰から日が射しているときかもしれません。

 

 

「ひかりをよんで こぼれてくる ひかりをうけよう」

 

 

病人は夜中眠れなくても、夜が明けて光が射し込むとホッとしてやっと眠れることがあります。

 

 

八木重吉は、当時の不治の病であった結核にかかり、二人の幼い子供と愛する妻を残して29歳でこの世を去りました。

 

 

ひかりを呼び求めていた切なる思いが伝わります。

 

 

あたたかくて明るい光は、私たちの疲れた心や不安や痛みを和らげてくれるように思います。

 

 

***

 

 

ところで、「光」は聖書では太陽光やあかり、ともしびの他に、比喩的に「人に命を与えるもの」「暗黒の中で人の霊を照らすもの」を指します。

 

 

そして「やみ」は、その光が届かない所、神さまから切断されて世界のことを意味します。

 

 

霊的な暗やみは、知性が鈍くされている状態、絶望的な暗やみに呑まれている状態です。

 

 

いにしえの指導者は、「集会」でこのように伝えています。

 

*伝道の書5:17

人は一生、暗やみと、悲しみと、多くの悩みと、病と、憤りの中にある。

 

 

私たちの住むこの世界にも、暗やみがあります。

 

 

不義、不正、争い、詐欺、搾取…この世界に渦巻いています。

 

 

病気、事故、ケガ、災害、死のおそれ…

 

 

憎しみ、ねたみ…私たちの心に「やみ」が生じます。

 

 

このような「やみ」があると、不安と恐れにおののいて平和に暮らすことができません。

 

 

そして段々と、絶望的な暗やみに呑み込まれてしまいます。

 

 

「光」を求めることを知らなければ、この世の暗やみのなかで悩みと恐れと怒りに囲まれて生きるほかありません。

 

 

***

 

*ヨハネ1:5

光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

 

 

「勝たなかった」と訳されている言葉は、「理解しなかった、捕らえられない、わからない、悟らない」という意味の言葉です。

 

 

私たちのところに「光がきた」と聖書は教えます。それは、イエス・キリストなのだと。

 

 

そして、どんな暗やみもイエスさまの光に勝つことはできません。この光を呼び求めたいと思います。

 

 

ひかりをよぼう こぼれてくる ひかりをうけよう

 

 

イエスさまが天の父に頼んでお送りくださった聖霊が私たちに臨み、暗闇の中でうずこまっているわたしたちをあかるい光の中に導きだしてくださいました。

 

 

困難な状況にあったとき、絶望しそうになったとき、やみの力に負けることなく八木重吉のようにひかりを呼び求めましょう。

 

 

ひかりがこぼれてくる…それを受け止めて、これからも光の中を歩んでいきたいと思います。

 

 

ニコデモは勇気を出して、夜、暗やみの中を光であるイエスさまのもとに行きました。

 

 

神さまの裁きがくだる前に、ひとりでも多くの方が光の方に来ることができますように、私たち自身が光の子としてイエスさまを指し示すことができたらと願います。

 

 

【黙想・祈り】

父なる神さま。イエスさまを世の光としてお送りくださったことを感謝します。私たちの暗やみを照らしてくださり、やみを消してあなたの明るい平和な道を歩ませてくださることを感謝します。どうか、私たちの周りにいるかたがたも共にあなたの光の中を歩むことができますように。ひかりをよぶ人々に上からの光を注いでください。イエスさまの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

キラキラ

 

 

長いメッセージをお読みくださり、ありがとうございました。
 
 
ひかりをよぼう こぼれてくる
 ひかりをうけよう
 
 
部屋に飾っているポストカードですキラキラ

 

 

 

 

今週の礼拝は、教会にやってきたリードオルガンの奏楽で初めて捧げるうれしい礼拝でしたルンルン

 
 
「夕礼拝」の奏楽のご奉仕をしてくださるSさん。
他教会の方ですが、小さな教会を覚えて
お支えくださっています。感謝ですイエローハーツ
 
 
 
 

 

 

「主はわたしの光、

わたしはだれをおそれよう」

(詩篇27篇1節)

 

「暗黒の地に住んでいた人々の上に

光が照った」

(イザヤ書9章2節/マタイ4章16節)

 

 

 

 

すべての人が、愛と喜びにあふれる光のうちを歩めますようにハート