今日は水曜日なので、今週の日曜日の礼拝メッセージを載せさせていただきます。
今週はイエスさまが天に帰られていく(昇天)記事を読みました。復活日(イースター)から40日目の5月9日が「昇天日」です。
2024年度の年間テーマ
~神の栄光をほめたたえよう~
「ほむべきかな、わたしたちの
主イエス・キリストの父なる神」
(エペソ人への手紙1章3節)
2024年5月5日のメッセージ
「全世界の王となられたイエスさま」
聖書: 使徒行伝1章1~14節
(一部だけ載せます)
3 イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。
4 そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。
5 すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。
6 さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。
7 彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。
8 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。
9 こう言い終わると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。
今週の木曜日が「昇天日」です。
私たちの信仰告白である「使徒信条」は、「主は…十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり」と告白します。
今日は、このイエスさまの「昇天」のことを考えてみたいと思います。
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*マルコによる福音書14章61.62節
61 …大祭司は再び聞きただして言った、「あなたは、ほむべき者の子、キリストであるか」。
62 イエスは言われた、「わたしがそれである。あなたがたは人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。
イエスさまが十字架刑になった時の裁判での陳述です。「力ある者」とは父なる神さまのことです。
「人の子」であるイエスさまは、そのお方の右、つまり天におられる神さまの全権を委ねられた権威の座につくとはっきりおしゃいました。
このことによって、イエスさまが神さまを冒涜したということになったのですが、イエスさまは神さまと同等である。つまり、神であるとはっきり述べておられます。
この世界には、人間があがめ、頼っている存在が多くあります。よりよく生きるために、罰があたらないように、救いを求めて頼りにしているものが多くあります。
イスラム教の教祖ムハマドの墓は、サウジアラビアのマディーナと言うところにあり、またブッダの遺骨はいくつにも分けられて地上の墓(仏舎利塔)に収められているそうです。
日本にキリストの墓があるという都市伝説がありますが、死からよみがえられて、また「不死」であるイエスさまのご遺体も遺骨も地上にはありません。
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*ヨハネによる福音書14章12.16.17節
12 よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。
16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。17 それは真理の御霊である
イエスさまが天に帰られたことによって、イエスさまが約束しておられた通り、父のもとから「真理の御霊」と呼ばれるもう一人の「助け主」が送られます。
真理の御霊である聖霊は、私たちに神さまのみ心である「真理」がわかるように導いてくださいます。
イスラエル民族を解放してくれる「ユダヤ人の王」と期待されていたイエスさまは、実は全世界の救い主、全地を治める王であることが明らかになりました。
これは、キリスト者が勝手に主張しているのではありません。すでにユダヤ人やイスラム教徒も重んじている「聖書(旧約)」で語られていたことです。
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*詩篇46篇6~10節
6 もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、神がその声を出されると地は溶ける。7 万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。〔セラ
[セラとは、一休みという意味もあるそうです。静まって思い巡らしましょう。
「もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く。」
ウクライナやパレスチナの地での戦争だけでなく、グローバリズム、中国やロシアの思惑、地球環境の破壊、食料問題、人口問題、複雑すぎて何が真実なのかわかりませんが、今、この地球上に安定した国がどこにあるでしょう。
8 来て、主のみわざを見よ、主は驚くべきことを地に行われた。9 主は地のはてまでも戦いをやめさせ、弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。
10 「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。
覚えておきたいのは、主なる神さまがイエスさまに天と地との全権をお任せになられた、つまり世界の王はイエスさまであるということです。
人間が勝手に他国を支配してよいはずはありません。聖書によれば、神さまのご支配のもとで託された民の幸せのために働くのが国のリーダーの務めです。
イエスさまの復活も昇天も「おとぎ話」のように思われるかもしれませんが、それを目撃した弟子たちの「証言」が後の世に伝えられたものです。
それを聞いて「信じる」ことができるのは、イエスさまが天からお送りくださる聖霊の導きです。
欲に傾きやすい人間の考えではなく、神さまのみ心にかなう統治がなされる神の国が完成する。その日を期待して希望を持ち続けたいと思います。
*使徒行伝1章10.11節
10 イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて11 言った、
「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。
使徒信条は、天に昇られたイエスさまが再びこの世界に来られることを信じると告白します。「かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とをさばきたまわん」。これを「再臨」といいます。普段はあまり意識していないかもしれません。
イエスさまが再び来られるのは、善悪ともに正しいさばきを行うためです。
その日がいつかはわかりませんが、イエスさまを王として生きる私たちは恐れることなく、世にある限り地上の国民としての義務を果たしつつも、イエスさまの御国の民としてふさわしく歩ませていただきたいと思います。
【黙想・祈り】
父なる神さま。もろもろの国民は騒ぎたち、戦争と戦争のうわさを聞き、経済の不安も抱えています。しかし私たちは、イエスさまがあなたのみそばでとりなしてくださり、いかに生きるべきかをお示しくださっていることを感謝します。どうか、私たちがあなたのお示しくださる道をしっかりと歩むことができますようにお守りください。
イエスさまの御名によって祈ります。アーメン。
長いメッセージをお読みくださり、ありがとうございました。
およそ2000年前に、遠いイスラエルの国ユダヤでお生まれになったイエスさまが私たちの救い主であり、「神」であることを信じられるのは、何か不思議な気がします。
立派な人が神になったのではなく、神が貧しい姿の人となられた…これも不思議です…
同じ「神」を信じる者同士が争い、憎みあって戦争までしている…これも不思議です。
しかし、やがてイエスさまが来られるとき、その「不思議」は明らかにされるでしょう。
せめて、自分の周りの人たちとは日々穏やかに、平和に過ごせますように。
イエスさまがおられるところには平和があります
私たちも互いに「シャローム」と
あいさつして礼拝を閉じます。
イエスさまが使われていた
「平和」を意味するあいさつ言葉です。
平和を携えてまたそれぞれの場所に
遣わされていきます(派遣)
イエスさまが共に歩んでくださいます!