今日は水曜日なので、今週の日曜日の礼拝メッセージを載せさせていただきます。
新年度最初の礼拝なので、今年の年間テーマのみ言葉を味わいました。
2024年度の年間テーマ
~神の栄光をほめたたえよう~
「ほむべきかな、わたしたちの
主イエス・キリストの父なる神」
(エペソ人への手紙1章3節)
2024年4月7日のメッセージ
「ほむべきかな、わたしたちの
主イエス・キリストの父なる神」
聖書:エペソ人への手紙1章3~6節
(一部だけ載せます)
3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。
神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、
4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、
5 わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。
6 これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。
先週、私たちは教会の創立40周年を迎えて新年度を歩み出しました。今年の新しいテーマは「神の栄光とほめたたえよう」です。
「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神」
「ほむべきかな」。「私たちの父なる神がほめたたえられますように」という意味です。
どんなことがあっても、いついかなる時でも神さまをほめたたえることが私たちの生きる意味であり、しあわせなのだということを改めて心に刻みたいと思います。
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改めて、私たちが何のために生まれ、何のために生きるのか?しあわせとは何なのかを考えてみたいと思います。
この人間の根源的な問いと答えが、聖書にはあります。
*イザヤ43:1.21
1「ヤコブよ、あなたを創造された主はこう言われる。…「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」
21この民は、わが誉を述べさせるためにわたしが自分のために造った」
*ヤコブ:神が選ばれた聖書の民イスラエルのこと。教会の民を示す。
また、キリスト信仰の内容をまとめた教理問答集である「ウエストミンスター小教理問答」は、まさにこのことを第一に教えています。
問一:「人生の主な目的は何ですか?」
答:「人の主な目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。」
たしかに、順風満帆のときは神さまをほめたたえて「ああ、しあわせだなあ」「生きていてよかったなあ」と思います。
しかし、いつもそうであるとは限りません。
今年の元日に能登半島を襲った地震のように、その幸せが一瞬のうちに悲しみに変わってしまうことも起こり得るのです。
17人は一生、暗やみと、悲しみと、多くの悩みと、病と、憤りの中にある。
悲観的な言葉ですが、この世の現実はこの知恵者が語っている通りです。
自然災害だけでなく、突然の病気、愛する人との別れ、きな臭い今の世界情勢も国の行く末も予測できません。
しかし、私たちはいかなることがあっても、神さまをほめたたえて希望をもって歩める根拠があることをしっかりと覚えておきたいと思います。
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*エペソ書1:23
23 この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。
今年の年間聖句です。神さまは、イエスさまに連なる群れにご自分のもっておられるすべてをお与えくださいます。
この教会に約束されている神さまの恵みによって、わたしたちはいかなることがあっても困り果てることも、絶望することもありません。
それが単なる願望や夢物語でないのは、「教会」に伝えられてきた「聖書」に「根拠」があるからです。
聖書にある数多くの証言のうちの、ごく一部を見てみましょう。
①マタイによる福音書6章33節
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」
イエスさまがお語りくださったお言葉です。これらのもの―それはわたしたちがあくせくして求めている生きるために必要な「命、健康」も含めてすべてのものです。
まず、神さまのご支配と神さまが良しとなさるもの(義)を求めなさい。そうすれば、必要なすべてが与えられるというイエスさまの教えです。
②ローマ人への手紙8章32節
「ご自身の御子をさえ惜しまないで…死に渡されたかたが、どうして御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」
神さまは独り子イエスさまを死に渡されました。しかし、三日目に死人の中からよみがえらせました。
それは、私たちにしぼんで朽ちてしまう命ではなく、朽ちることのないピカピカの生き生きしとした「永遠の神の命」を与えるためです。
そればかりではなく、神さまは私たちの必要を知り、それを与えて助けてくださいます。
そして、わたしたちがどんな状況であっても、いくつになってもキラキラ輝いて生きることができるようにしてくださる、これが聖書の約束です。
③ピリピ人への手紙4章6.7節
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」
私たちのこれからの歩みも、思うようにならないこともあるでしょう。
そもそも、私たちは「自分の願い通りになる」ことを望むから、思うようにいかないことがあるのです。
イエスさまがゲッセマネの園で祈られたように、神さまは私たちの願いではなく、ご自身の御心をなしてくださいます。それが、神さまの「最善」だからです。
しかし、神さまはわたしたちが願う前から私たちの必要を御存じで、私たちがしあわせになるために、私たちが願うことよりももっとよい事をしてくださるお方です。
私たちは、この全知全能の愛の神さまに祈ることができます。すると、いかなる時でも「平安」が与えられます。
これは、人知ではとうてい測り知ることのできない神さまがくださる「平安」、ご復活されたイエスさまの弟子たちへの第一声「シャロ―ム」です。
*シャローム:ヘブライ語で「平和」「神の豊かさ」を意味します
2024年度も、聖書が証している神さまの恵みを十二分に受け取って、私たちの口から神さまへの讃美が溢れ出る日々を過ごしていきたいと思います。
【黙想・祈り】
イエスさまのみ名によって祈ります。アーメン。
長いメッセージをお読みくださりありがとうございました。
全地全能の神さまの愛によって、どんなときでも心安らかに、希望をもって歩みたいと思います。
2024年度もよろしくお願いいたします