今日は棕櫚(しゅろ)の主日、群衆がイエスさまがユダヤの王となることを期待して、棕櫚の枝を振って歓喜の声をあげて迎えた日だ。
しかし、そのわずか5日後には群衆はイエスさまを「十字架につけよ」と叫んだ。イエスさまを妬むリーダーたちに扇動され、付和雷同してしまったのだ。
「群集心理」はいつの時代にもある。お上が言うから、みんながしているからそれが正しいと思い込む。
マスコミも、真理の伝達よりも利益を優先する。知り合いの新聞記者から聞いた話だ。
ネット社会にはいっそう真理から目を逸らそうとさせる情報が溢れている。神の真理のみ言葉を、曲げずにそのまま受け取りたい。
前の人が渡ったからついていったら赤信号だった…ってけっこうあると思います。
赤信号…みんなで渡ったらこわいよ~
青信号でも、ちゃんと右見て左見て…
「みんな言うてるもん」…こわいよ~
これ、「桜が咲いてる!」ってみんな言うてたけど、「アーモンドの花」じゃないかな?
桜より一足早く咲くアーモンドの花
ですよね!
「主の言葉がわたしに臨んだ。『エレミヤよ、何が見えるか。』
わたしは答えた。『アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。』
主はわたしに言われた。『あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと見張っている(ショーケード)。」
(エレミヤ書1章11.12節)
神さまは大喜利みたいに?かけてお語りくださったけど、ちゃんとこの世界を見張っておられて、正しいさばきと正義を行ってくださいます。
「見よ、このような日が来る、と主は言われる。
わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。
王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う。
彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。」(エレミヤ書23章5.6節)
*ダビデ:イスラエル(ユダヤ)の国を立派な国にした王様。救い主はダビデの子孫から生まれると預言されていました
*「主は我らの救い」:「イエス」と言う名前の由来です
今日から「受難週」、イエスさまが私たちの「救い」のために十字架につけられる道を歩まれたことを覚えて過ごします。
楽で得する道ばかり選ばないように…流されないように…イエスさまのあとをしっかりついていきたいと思います