イエスさま、あんまりではありませんか? | からし種と空の鳥

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日本キリスト教団 
西宮聖光教会のブログです。
兵庫県西宮市にある小さな教会です。

今日は水曜日なので、今週の日曜日の礼拝メッセージを載せさせていただきます。

 

 

 

今週は、ちょっと意外なイエスさまの「あんまりな」態度と、それにもめげなかった女性のことを思い巡らしました。

 

 

 

「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちでもっとも大いなるものは、愛である」(コリント人への第一の手紙13章13節)

私たちの教会の年間聖句です。​​​​

 

 

2024年1月28日のメッセージ

「主よ、お言葉とおりです。でも…」

聖書:マルコによる福音書7章24~30節

(一部だけ載せます)

 

24さて、イエスは、そこを立ち去って、ツロの地方に行かれた。…

 

 

25けがれた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。

 

 

26 この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生れであった。そして、娘から悪霊を追い出してくださいとお願いした。

 

 

27 イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。

 

 

28 すると女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。

 

 

29 そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」。

 

 

 

 

この出来事のあったツロはイエスさまの活動の拠点であったガリラヤよりさらに北の地中海に面した地方で、異邦人が多く住む地域です。

 

 

当時のユダヤ人は、異邦人を忌み嫌っていました。この女性もギリシャ人、つまり異邦人です。

 

 

しかし、いくら異邦人の願いとはいえイエスさまの態度はあまりにも冷たく思われます。

 

 

今日は、同じエピソードを記しているマタイの福音書も参考にして、イエスさまの真意と福音書が伝える神さまの御心を汲み取りたいと思います。

 

 

***

 

マタイの記事を読むと、この女性がいかに必死であったかがわかります。

 

 

*マタイ15:22.23

22そこへ、その地方出のカナンの女が出てきて、「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と言って叫びつづけた。

 

 

23しかし、イエスはひと言もお答えにならなかった。そこで弟子たちがみもとにきて願って言った、「この女を追い払ってください。叫びながらついてきていますから」。

 

 

最初、イエスさまはこの女性の訴えを「無視」されました。

 

 

女性は、ますます必死に叫びました。

 

 

弟子も困り果てて、「追い払ってください」と願い出ます。

 

 

ユダヤ人は、異邦人をどれほど忌み嫌っていたかと思わされます。

 

 

イエスさまが、やっと口を開いて言われました。しかし、それはなんと「拒否」のお言葉でした。

 

 

*マルコ7:27

27 イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。

 

 

「子供」と「小犬」というかわいらしい表現ですが、ユダヤ人にとって「犬」とは軽蔑した言い方に他なりません。

 

 

 

聖書では、「犬」は狂暴で貪欲で汚れた者の象徴です。「小犬」と言われたのは、せめてものイエスさまのやさしさでしょうか。

 

また、イエスさまの「ユーモア」かもしれません。

 

 

マタイは、これに説明を加えています。
 

 

*マタイ15:24

24 するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。

 

 

イエスさまがおっしゃる「子供」とは、神さまから離れてしまったイスラエル民族の末裔たち、アブラハムの子孫です。

 

 

そして「小犬」は異邦人。イエスさまはまず、ユダヤの王として神の民イスラエルを救うために使わされたということを、はっきりと伝えています。

 

 

***

 

神さまの救いの計画には、順序がありました。まずイスラエル、そして異邦人です。

 

 

神さまのみ思い、ご計画には人間には測り知れない、理解できないことがあります。

 

 

「天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。」イザヤ書55:9)

 

 

と神さまが言われる通りです。

 

 

イエスさまは、まずイスラエル人を救うという神さまの御心に忠実に従い、神さまの御計画を全うされたのでした。

 

 

***

 

しかし、ここで逆転が起こります。神さまの御心がなされました。

 

 

*マルコ7:28

28 すると女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。

 

 

普通であれば、イエスさまのあまりもの態度。しかも、犬呼ばわりされたら腹を立てて帰ってしまうところでしょう。少なくとも、私ならそうしたと思います。

 

 

しかし、彼女は違いました。イエスさまのお言葉を受けて、なおもイエスさまに食い下がりました。

 

 

自分を「食卓の下で子どもたちの食べ残したパンくずをもらう子犬」だと言うのです。

 

 

これは、娘の病気を何とかしてほしいという彼女の親心と、何よりもイエスさまには娘をいやす力があると信じる信仰があったからです。

 

 

また、イエスさまの「ユーモア」もちゃんと受け取ったのでしょう。 

 

 

彼女は、イエスさまが、まずご自分の同胞イスラエルを救う方であることを認めます。

 

 

その上で自分のプライドを捨て、また自分の立場を顧みずイエスさまの憐みにすがりました。

 

 

*マルコ7:29

29 そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」。

 

 

*マタイ15:28

28 そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。

 

 

***

 

キリストを信じるとは、自分のプライドとそれまでこだわってきた「考え」を捨てることなくしてできません。

 

 

キリストは裸にされ、鞭打たれ、ののしられ、十字架にかかって死なれたのです。犬以下の扱いを受けたのです。

 

 

このキリスト・イエスさまに全幅の信頼を置いて歩むことが信仰ですが、イエスさまの時代の群衆も弟子たちも、イエスさまが捕らえられた時には逃げ去ってしまいました。

 

 

 

残念ながら、今もイエスさまを信じるといいながら自分の考えに縛られ、プライドが傷つけられるとイエスさまから去ってしまう人もいます。

 

 

 

自分のイメージ通りの救い主でなければ信じないというのは、自分が作り上げた「偶像」です。

 

 

そして、自分の考えにこだわって教会から遠のいてしまう人がいるのは残念だと思います。

 

 

 

イエスさまの女性に対する態度は人間的には「冷たい」と感じますが、それがご自分を遣わした父の御心であるから従われたのだと思います。

 

 

 

この女性は、異邦人の中で最初にイエスさまの救いを体験した人です。

 

 

彼女の一途で揺るがないイエスさまへの信仰、そして彼女の心の柔らかさを見習いたいと思います。

 

 

【黙想・祈り】

神さま。あなたのみ思いは、私たちには測り知ることができません。自分が納得できなくても、またプライドが傷つけられたとしても、あなたがお送りくださった救い主イエスさまに倣って従い行くことができますようにお守りください。イエスさまのみ名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

 

長いメッセージをお読みくださり、ありがとうございました。

 

 

1月も今日で終わります。2024年の幕開けは大地震が起こるなど、「神さまなんで?」と思うような出来事が続きました。

 

 

それでも、神さまを信頼して歩める幸いを思います。

 

 

どんなことがあっても、柔らかい心で平安に歩むことができますようにハート

 

 

 

 

 

 

朝日に輝く十字架を見ると、

なんだか勇気が湧いてきます

龍ニコニコルンルン