Riemenschneider in Rothenburg: Sacred Space and Civic Identity in the Late Medieval City, Katherine M. Boivin著,Pennsylvania State Univ Pr 2021/5/2 第2章 「聖ヤコブ教会の西端」続き。

 教会の東西の軸に対して垂直に走り,両端にアーチを含むトンネル通路をKatherine M. Boivinは“passage way”と呼ぶ。

 

 

このパサージュに関連して。伝統的に研究されてきたのは、聖ヤコブ教会の東内陣のモデルともなったヴュルツブルクのドイツハウス教会のもの。

 

この教会にもパサージュがある。塔のすぐ手前。

Panoramaaufnahme der Südansicht der Deutschhauskirche Würzburg

photo by Aarp65 CC-BY-SA-4.0

パサージュを正面から見たところ,下を通るのはZeller Straße
 

2枚ともWürzburg, Zeller Straße, Deutschhauskirche, Exterior 

photo by Tilman2007  CC-BY-SA-3.0

このヴュルツブルクの教会のこの右側のチャペルは,直接内陣とは通じていないという点で、ローテンブルクの聖ヤコブとは大きな違いがある。チャペルに入るには、二枚目の写真の階段を上ったところの入り口からアクセスする。ただ,塔の上の部屋に通じる西ギャラリーからチャペルの上のフロアに行くことができる。

 ヴュルツブルクのドイツハウス教会のパサージュと、ローテンブルクの聖ヤコブ教会のパサージュは外観の規模と配置が似ているが、空間的、機能的概念に大きな違いがあると著者は主張する。つまり,13世紀に建設されたドイツハウスの方は,ドイツ騎士団と市政府の間に紛争があり,ドイツ騎士団は、新しい建物と従来の建物を結合するために, 通り:Zeller Straßeのルートを変更したいと考えていたが,市当局の反対にあって変更できなかった。このパサージュはその妥協の産物である。

 15世紀半ばのローテンブルクの聖ヤコブ教会西端の建設の時は,市当局は権力を握り,市の主導で教会の建設を進めることができた。ヤコブ教会のパサージュから直接教会の聖具室に出入りして,周辺の都市と結びついた形で“血の巡礼”を催したいという市の願望が,このような建築設計を促したとする。

 

 
 以下、私見。外観は似ているが、その空間的・機能的な概念に大きな違いがあるというのは、著者の主張の核心でもあると思う。しかし特にローテンブルクのケースで、パサージュの機能を裏付ける文書は示されなかった。そこにちょっと不満がある,肝心のところなだけに。
 ゴシック教会の建築では、従来の教会の敷地に大きな教会を建て替えるというケースが多かったので、このように、拡張したいところに道路がある、あるいは住宅があるという場合にはどうするかという問題は多くあったに違いない。建物そのものでなく、その場所はどんな場所なのかに関連して、次のヴェルナー礼拝堂: Wernerkapelleが取り上げられる。これは当時の反ユダヤ主義につながる問題でもある。