昨日のブログで、お子さんにいつもとは違う変化を感じたら、声をかけてほしいと書きました。
変化に気付くには、いつもさりげなく様子をみていなくてはなりません。
「いつもあなたを見ているよ」ということを、言葉で感じてもらうことが大切だと思います。
昨日のブログを書いた後、自分の子ども時代の頃のことで、思い出したことがあります。
私の家は兼業農家で、祖父母と両親と妹二人の家族でした。
中学生になった頃、学校では性格的に不向きな生徒会役員になったこともあり、
友達関係や学校での自分の役割に悩み始めました。
家庭では、祖父が脳卒中でほとんど寝たきり状態で、祖母が介護をしていましたが
農作業に忙しい時期には私もそれなりの役割をしなくてはなりませんでした。
母は農作業に忙しくいつもイライラしていて、多分みんなが精一杯だったと思います。
そんな状態の時に、自分の悩みなどを家族に話すような雰囲気ではありません。
私なりにストレスを感じていたのでしょうか、授業中に突然手が震えだしたり、
帰宅した時に今でいえばパニック症状なのか、急に全身が硬直して息ができなくなり、
「死んでしまう!」と感じたことも何度かありました。
しかし、しばらくしたら落ち着いてきて全身のけだるさはあってもやがていつも通りになったので、
親にそのことを話すことはしませんてした。
でも、心の中は色々なことで不安が一杯で、きっと私は何かの病気かもしれないと思っていました。
そんなある日、祖母が私に声をかけてくれたのです。
「おまえ、最近体の調子がわるいのかい?」
黙っている私に祖母は続けて言いました。
「おまえは優しい子なのに、最近顔がとんがって見えるよ」
その時私は、思わず涙が出そうでした。
(おばあちゃんは私のことを見ていてくれたんだ。私がいつもと違うと気付いてくれていたんだ)
私は、祖母に自分の身体の変調などを話したいと思ったけれど、祖父の介護や家事に動き続けている祖母に
私のことで心配かけたくないと思い、多分「大丈夫だよ」とかなんとかで終わったと思います。
それでも、祖母が気付いてくれていたと感じることは大きな安心感となりました。
次に苦しくなった時は祖母に話そうと思ったのです。
もうひとつ、学校でのことで思い出すことがあります。
クラス内の友人関係や生徒会活動の悩んでいることや、私の身体の変調に少し気付いてくれた人がいました。
それはクラス担任のS先生でした。
ある日、私に声をかけてくれたのです。
「何か悩みでもあるのか? お前は口ではあまり言えないから、何かあったら紙に書いてこい」
結局私は、先生には何も話さなかったし、紙に書いて伝えることもしなかったと思います。
それでも、先生のその言葉は私のお守りになりました。
(学校のことでいよいよ困った時には、先生に話したらいいのだ)と。
私は祖母と担任の先生の言葉をお守りにして、何とか辛かった中学時代を過ごすことができました。
そんな体験があるので、私は子どもはとても辛抱強いものだと思うのです。
子供の成長には、辛いことを耐えることも時には必要ですが、逃げ場のない忍耐は疲弊してしまうばかりです。
その先には、ひどい心の傷を負うこともあります。
私にとっては辛いことが多い中学時代でしたが、それが私を鍛えたとも思っています。
傷ついたこともありますが、やがて傷のかさぶたは心の強さにつながったと思います。
どうぞ、頑張っている子どもを信じながらも、いつも見ているよという言葉がけをしてあげてください。
私の体験はもう60年以上も前のことですが、子供が成長する過程は今も昔も変わらないと思うのです。
見守ってくれている人がいてこそ、子どもは勇気を出して踏み出せるし、頑張ることもできる。
それが子ども自身の力を蓄えたり鍛えたりするものだと思うのです。