さて、やっと昨年に続いて再会したタケちゃんとその仲間たちについて書きたいと思います。

タケちゃんとのやりとりで、彼女がふれあい広場に参加してきた経緯は思い出したのだけど、

彼女が具体的にどのような役割を担うようになったのか、少し記憶があやふやでした。

そこで、当時ふれあい広場活動の一環として「中高生の福祉施設でのワークキャンプ」を開催し、

その参加者の感想文集を作成していたことを思い出し、その小冊子があるはずだと納戸を探しました。

すると、全部ではないと思うけれど、ありました! 断捨離が苦手な自分を、今回だけは許しましょう。

 

その冊子や、一緒に見つけた「ふれあい広場10年の歩み」で、

ふれあい広場から「中高生のワークキャンプ」→「福祉塾」→「福祉若衆」と、

若者たちがボランティア活動から勉強会(福祉塾)、ボランティアの仲間づくりが広がった経緯がわかりました。

記憶は年月と共に失われたり変化してしまいますが、記録はちゃんと残りますね。

当時の私はそんなことまで考えてはおらず、参加した若い人たちの気持ちを足跡として残して、

彼らの体験の思考整理をする手助けになればと思っていたはずです。

 

さて、第一回目のワークキャンプの感想文集にはタケちゃんは書いていないので、この時はまだ参加していなかったようです。

第一回目のワークキャンプは中学生・高校生を対象にして、

特別養護老人ホーム「恵望園」でふれあい広場事業の三年目に開催しています。

このワークキャンプのに参加した高校生たちから、「もっと福祉について知りたい」との声が上がり、

それにこたえるように月に一度の「福祉塾」を開くことになり、

その中心になったのが恵望園の職員Fさんと、その妻のAさん(光と風の里職員)でした。

この二人の情熱が高校生たちのやる気と好奇心に火をつけて、

月に一度の福祉塾の日は古い社協の一室が、若いエネルギーであふれるようになりました。

タケちゃんは、この頃に南高校の火付け役S君に誘われて参加してきたはずです。

ほとんどのことは実行委員の担当者に任せるようにしていたのですが、

この福祉塾だけは私は毎回一緒に参加するようにしました。

 

というのは、「福祉やボランティア」はとても幅広く、担当のFさん夫婦だけでは福祉の範囲や価値観が狭くなるかもしれないということと、

高校生たちがFさん夫妻に心酔していく様子も少し気になりました。

また、、放課後から夜の時間帯に高校生が集まり盛り上がった時のことも心配でしたが、

彼らの様子を見ているのはとても楽しいことでした。

彼らはボランティア体験を通して知りたいことが次々と湧いてくるようで、

高校生に運営委員を任せたことで主体性も責任感も出てくるのです。

いつも、大人の指示に従うことが多い高校生たちは、自分たちで考えて何かを実行し、

それが認められるという喜びも知ったのでしょう。

これは、ノーマライゼーションのことを知ってもらう以上に価値のあることだったように思います。

 

高校生たちのボランティアの輪はどんどん広がりそれぞれの高校に「ボランティア部」ができ、

顧問の先生も一緒に参加してくれるようにもなりました。

最初は様子見だったり、校外で生徒たちを活動させることに躊躇していた高校側を、

彼らが変えていったということです。

 

しかし、事務局担当の私はいよいよ事務仕事が増え続け、多くの事業をふれあい広場の実行委員に任せるようになりました。

今思えば、それがとても良かったのだと思います。

実行委員会は、「市民のつどい」「ふれあいの店」「子どもサミット」「広報」の部会に分かれ、

それぞれが主体的に企画を考えて実施していきました。

ふれあい広場の市民の集いにも、点検活動にも、タケちゃんたちの姿がいつも見られるようになり、

いつのまにか彼女は、高校生ボランティアのリーダー的存在になっていました。

彼女は高校を卒業してからも先輩として福祉塾の運営にFさん夫婦と共に活動してくれたと思います。

それはタケちゃんだけではなく、恵庭南高校・恵庭北高校のOB達で地元に残っている若者たちも同様でした。

そして、福祉塾だけでは飽き足らず、OB達で「福祉若衆」というボランティア組織を立ち上げ、

市内だけではなく全道の障害者団体などと一緒に、障害を持つ人達のイベントなどに関わるようになりました。

「福祉若衆」の活動は社協事業とは無関係なので、私はそれらのイベントにもほとんど参加していませんが、

ふれあい広場や福祉塾の時にタケちゃんたちから活動の様子を聞き、

ふれあい広場からそこまで広がっていることにはとても嬉しく、誇りにも感じていました。

 

高校生たちが夜間に集まることについては、結構私は神経を使っていました。

みんなが帰宅する時には、気休めかもしれませんが「まっすぐ家に帰るんだよ」というのが口癖だったと思います。

そして、夜中を過ぎるまでみんなが無事に帰宅したかどうかを心配していました。

万一彼らが補導されるようなことがあったら、私が行かなくちゃとも思っていました。

私のそんな気持ちは、口には出さなくても若者たちはわかっていたようで、彼らなりに気をつけていたようです。

また、高校生や若者たちが集まって活動するのですから、小さなトラブルなども当然起きます。

実は、タケちゃんにもそんなことが一回だけありました。

私は、彼女はむやみにルールを破る子ではないと思っていましたが、他の高校生たちのこともあるので、

少し強く注意したことがあります。

彼女はほとんどいいわけをせず、ただ「ごめんなさい」と涙を流していました。

彼女のことはあまり心配はしていなかったのですが、

そのことで後輩たちのタケちゃんを見る目が変化しないかということは少し心配でした。

でも、高校生たちは私達が思っているよりも大人でした。

たった一度のことではそれまでの信頼を失うことはないのだと、教えられました。

 

もう一つ思い出すエピソードがあります。

その頃、何が理由かはわからないのですが、南高校と北高校が少し張り合うというか対立しかけた時がありました。

ふれあい広場の準備作業をしていた時に、リーダーの一人のF君が他校の生徒と言い合いになり、

その後フイと姿を消した時があります。

それを聞いた私は、社協スタッフの一人Оさんに車で付近を捜してほしいと頼みました。

すると近くの公園で彼を見つけ、事務所に必要なものを取りに行ったついでのように彼を連れてきました。

(彼女の対応は若いのに見事だったと思います)

F君は多少気まずかったのではないかと思いますが、その後は何事もなかったように作業を続けていました。

私はホッとして何も言わずにその日は終わりました。

ところが次の日の放課後、F君か神妙な顔をして事務所にやってきて、

「昨日は心配かけてすみませんでした」と頭を下げるのです。

私は前日のいきさつは他の生徒たちから聞いていたので、

「きっと腹が立って出て行ったのでしょう? でも、その後戻ってきてちゃんと仕事をしていたのを見て偉いなと思ってたんだよ」というようなことを話しました。

すると彼は、

「あの時、あのままいたら自分が何をするかわからない気がして、みんなに迷惑かけたら悪いと思って出て行ったんです。

でも、無断で出て行って心配かけたし、ちゃんと謝らなければと思って来たんです」というのです。

それを聞いて、わざわざ謝りに来る彼の責任感やモラルに感動したし、

そのきっかけとなったことについて誰にも責任転嫁や言い訳をしないことにも感心しました。

彼は、よく「俺たちバカだから」と言っていました。

何かにつけて偏差値や成績のことで比較されたりバカにされたりしてきたんだろうと思いましたが、

「自分で自分をバカにしちゃいけない」と注意したこともあったし、

そう自分でいうのだから多分学校の成績はイマイチなのだろうとも思っていました。

しかしその出来事で、子どもたちを成績だけで評価してはいけないということを強く感じました。

仲間を守り、自分たちのプライドを大切にして、言い訳をせず、謝るべきはちゃんと謝る。

それは、人として一番大切なことを彼が知っているということです。

多分、私は彼のその態度を褒めて、これからもよろしくねと

お茶とお菓子で少し話しているうちに、彼はすっきりした顔で帰っていきました。

 

他にも色々な生徒の様々な思い出があり、それぞれについて書きたいのですがきりがないのでこのくらいにします。

みんな色々なタイプの大人と一緒にボランティア活動をすることで、グングン大人になっていきました。

私はその過程で沢山のことを学びましたが、一番は子どもの力を信じることの大切さでした。

若者たちは色々なパッションに突き動かされて動きますし、

経験不足や自分の考えや好みが整理されていない発展途上人ですから、当然失敗もあります。

その中で悩んだり迷ったりしながら学ばなくては、本物の自分を育てていくことができません。

若い時の試行錯誤や失敗を、時には注意し指摘しながら、許して見守ることが大人の責任なのだと強く思うようになりました。

また、こちらが相手を信頼することに徹したら、若者はそれをちゃんと受け止めて応えようとしてくれるものです。

彼らの力を信じて任せることがどれだけ大事なことかを、彼らの姿から学んだと思います。

 

沢山の高校生たちと出会いましたが、その後も付き合いが続いている人は多くはありません。

でも、今はFacebookやインスタなどで名前を検索したら芋づる式に見つかる人も結構います。

それは、卒業後もつながりが続いていることを知ることでもあり、

こちらからアクションすることはありませんが、とても嬉しく思います。

一人一人が、高校生時代にふれあい広場活動やボランティア活動をしたことが、

その後の人生の糧になっていたらいいなと思っています。