古山明男さんのFacebookからの転載です

 

7月5日

子どもが「学校行きたくない」と言うと、多くの大人が、反射的に「甘え、わがまま」と思いました。

この「甘え、わがまま」観が、多くの子どもと親を追い詰め、不登校を解決困難な社会問題にしてしまいました。

 不登校の子どもの多くは、フリーズしてしまった子どもたちです。

この子どもたちは、無表情無反応です。気持ちを言葉にすることができません。学校に行けない理由が自分でもわかりません。

それに対して「ちゃんとした理由がないのだな。では、甘え、わがままだ」と断じてきた大人達に、知性がなかったのです。

 いったんこのフリーズが起こってしまうと、本人は見えない氷の壁に閉じ込められたような感じになります。回復には短くて数ヶ月、おおくのケースでは年単位の時間が必要となります。

 フリーズした子どもたちは、言葉を持っていません。不満があるけれど我慢して言わないのではありません。

そもそも、言語化する回路が損なわれています。こういう子どもたちが、自分の気持ちを言葉にできるようになるには、たいへんな教育的配慮と環境作りが必要になります。

 子どもに、真実を言う力を育てること。それこそが、教育というものです。しかし、学校は法令と慣習にがんじがらめで、「教科学習をしたか」にしか関心を持っていません。

 ごく少数ですが、ほんとうに「甘え、わがまま」で学校に行かない子どもたちもいます。この子たちは、簡単に見分けられます。意思と表現力があるのです。意図的に大人に逆らい、困らせます。それに対しては、悪い子扱いするのではなく、困らせ行動を、意見を言う力にまで育てるべきです。

 不登校を「甘え、わがまま」と見なすことは、百害あって一利ありません。不登校は、大人の思う「子どものために」がいかに独善的であったかを気付かせてくれます。

 

7月12日

まったく新しい時代が始まっているのを感じています。

敵を作ることで昂揚する国家主義と、人の能力を利己主義へと向かわせて利用する経済は、これから自滅していくでしょう。

 イスラエル、イランの戦闘とアメリカの参戦は、一転して停戦となりました。一直線に破局的事態に至ることはありませんでした。しかし、世界的な政治、経済の大変動は、すでに避けようがないでしょう。

 その状況で、愛と平和をもたらそうとする子どもたちがたくさん生まれてきていることが、最大の希望です。こういう子どもたちは、賢いです。彼らは”平和のための戦い”を起こしたりはしない。ただ身の周りに愛と平和を作り出します。

 彼らには、戦闘能力がありません。容易に不登校になったり、HSC(極度に敏感な子ども)になったり、発達障害になったりしています。こういう子どもたちを損なわずに育てることができれば、私たちの社会には、根底的な変化が生じます。

 そういう子どもたちを含めて、すでに、魂の美しさを感じ取る力、植物や動物と対話できる力、愛を放つ力などを持った人間たちが、そうとうな数で存在しています。命令と服従でできた巨大組織は崩れていくでしょう。

 たいへんな時代がやってくると思うのですが、われわれの生活を大事にし、子どもたちを大事にしているだけで、新しい世界は生まれてきます。

 学校は、巨大組織で生きる人間を育てようとしていますが、これから巨大組織のほうが自壊していきます。学校に適応できない子どもたちを心配することはありません。大事なことは、美しいものや、真理であるものを感じ取れていることです。そうすれば、個々人の心に、無限に供給されるものがあります。

 子どもを追い立てて勉強させるのをやめましょう。脅しや競争で勉強させると、何が真理であるかの感覚を壊してしまいます。

 

7月17日

ノン・ヴァイオレント・ティーチング(非暴力的な教え方)という考え方と手法が、必要だと思います。

 現在、人間関係においては、ノン・ヴァイオレント・コミュニケーション(NVC)が、考えも手法も確立されています。NVCは、教育現場にも影響を与え、「評価や批判ではなく、共感とニーズに焦点を当てる」ことが重視されるようになっています。

 しかし、教えるときには、指示・アドバイス・評価がつきまといますので、より教育現場に合わせた、考え方と手法が必要です。

 たとえば、私は私塾、フリースクールでこのようなことを実践しています。

1「善悪」の問題と、「能力」の問題を切り離す。

 人のものを盗む、人を意図的に傷つけるなどは、悪いことです。なんらかの説諭やペナルティも、あり得ます。

 しかし、何かが「できない」「わからない」は悪いことをしているのではありません。もっとも困っているのは本人です。「できない」「わからない」ことに対して一切の不利益を与えず、支援的であるという原則が必要です。

 

2賞罰に訴えない。

 賞罰を使うと、目先の結果だけを丸覚えして、大事なことは身につきません。賞罰を使う教育が、浅薄な人間を育てる温床になっています。

 罰を与えなければやらせることができないなら、それを教えようとした側が間違っています。

 

3テスト、評価、宿題は、本人の同意が前提。

 同意なきテスト、評価は暴力的です。自発性のない宿題は、強制労働です。

 テスト、評価がすべて悪いということではありません。たとえば自動車教習所のような場合であれば、効率的な一斉授業をし、知識や技能をテストすることは当然です。

 しかし、一般的な普通教育においては、学ぶ側の意欲、好奇心、探求精神を支援することが大切です。一方的にテストし、評価すべきではありません。

 

4「マルトリートメント」の根絶。

 マルトリートメントとは、「なにやってるんだ」「早くしなさい」「おまえにはあきれたよ」というような、人権侵害とまでは言えないが、生徒を侮辱し、権力的な上下関係を確認する行為です。

 これは、学校でも家庭でも、子どもが無気力になる、暴力的になることの原因になっています。学校教師たちがマルトリートメントに敏感になれば、不登校は半減するでしょう。

 

 多くの教育関係者は、自然にノン・ヴァイオレント・ティーチングを実践し、生徒とよい関係を築いています。しかし、「こうでもしないと、子どもは言うことをきかない」とヴァイオレントな手法に頼る、教師、親が後を絶ちません。それが、子どもの荒れ、すさみ、無気力の温床になっています。