未来の会(不登校やひきこもりの子どもと共に歩む会)の世話人を20年続け、現在はホームページの管理人の私が、

どうしてノーマライゼーションにこだわったブログを書くのだろうと思う人がいるかもしれません。

しかし、私は現在の子ども達の不登校は、ノーマライゼーションの考え方がいまだに定着していないことと無関係ではないと感じています。

ノーマライゼーションは

「障害者や社会的マイノリティが健常者と同じように『当たり前の生活』を送れる社会を目指す考え方」として使われてきました。

私達が「ふれあい広場活動」をしていた頃には、もっとわかりやすく

「老若男女、障がいのあるなしに関係なく、誰もが暮らしやすいまちづくりをめざす活動」と言っていました。

主に福祉分野で使われていたのですが、「福祉教育、ボランティア学習」などが広がってきた頃から、

学校教育でもその考え方が広められるようになったはずです。

現代は「多様性社会をめざそう」と言われるようになってきたので、

私はノーマライゼーションという舌を噛みそうな言葉より、

そちらの方が日本語だしわかりやすいように思っています。

 

しかし、学校教育の現状は本当に子ども達の多彩な個性を認めあうようになっているでしょうか。

私には、昔よりも多様性や個性を認めにくくなっているように感じることがあります。

日本社会はもともと同調圧力が強い傾向がありましたが、「出る杭は打たれる」だけでなく、

「引っ込んでいる杭も叩かれる」ようになっていないでしょうか。

人の個性は凸凹なのが当たり前なのに、出すぎても引っ込みすぎても「発達障害」なんて言われるようになりました。

 

個性の違いで勉強の得手不得手があったり、納得できないことをしなくてはならなかったり、

いつも元気に明るい子で友達と仲良くしなくてはならかったりと、学校が息苦しくなる子がいても不思議ではないのです。

多様性を認めるということは、誰もが認められ個性を否定されないということですから、

今の教育体制の中では不登校は増えても減りはしないのは当たり前のような気がしています。

 

そんな気持ちが強い私は、ノーマライゼーションの考え方や多様性社会を目指すことは、誰にとっても大切なことだと思うのです。