おはようございます!
農業×運動×心理学で「心と身体に栄養を✨」
【にこにこ農園たむらの】のゆかりです。
先月、17日に神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社に参拝に行ったからなのか?
ここ2週間ほど稀に見る忙しさでした。
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今日は「道」について語ります
皆さんは普段、歩いている「道」を見て
何か考えたり、感じたりしたことはありますか??
私は社会人になって東京で仕事をするようになってから
特にこんなことを考えたり、感じたりするようになりました。
この道。
誰が考えて誰が造ったのかな??
この道。
どれだけの労力と時間を掛けて造ってきたのかな??
どれだけの人の命が関わって造り上げられたのかな??
もちろん、道に限らず大きなビルや駅のホームを見ても思うのですが
営業という職業柄、徒歩や車🚙の移動が多かったからか、
道について考え、そこから「何かを感じとる」ことが多かったように思います。
同じく私の仕事場、「畑」でも同じ感覚を持っています。
また神社仏閣、お城を見ても強烈に感じることです。
目に見える現実、今回のテーマで言うと「道」は
目に見えないエネルギー、つまり私の「イマジネーション」を働かせてくれます。
「道」は会ったこともない、直接関わってもいない、
もっと極端に言うと、おそらく間接的にも関わったことのない人たちが
意思を働かせて造り上げてきたもの、と常々感じています。
なので私。
周りからは普通に道を歩いているように見えても
実は「味わい深く」歩いていることが多いんですよ
だからゴミが落ちているとモヤモヤしてしまうんです。
こんなに歩きやすくなっている!
昨日の夜も作業員の人が舗装してくれていたな。
今日もどこかで寝る間を惜しんで道を造ってくれている人がいる。
…とかですね。
そうそう、変わりゆく道の景色に歴史を感じるんです。
もう既に関わった人はこの世にいないかもしれないですよね。
でも、誰かの意思が強烈に働いて、沢山の人が関わって
今、ここに「この道」があるのは事実です。
前回、ブログにも書いた大山阿夫利神社の参拝。
本社に行くまで、道とは言えぬ岩場を登っていきましたが
登りやすいように石が並べられているんですね。
やっぱり「道」になっているんです。
私たちが知らないこれまでの歩みの中に、
もう亡くなってしまった人のエネルギーさえ、感じることができます。
私は「道」を見ていると、人は一人では生きていけない、
と感じることがよくあります。
私の場合は道や畑、神社仏閣でこんなことを感じることが多いのですが
対象物は道に限ったことではありません。
テレビでも携帯でも何でも、ライフラインの電気・ガス・水道もそう。
誰かの意思が働いて今、ここにある訳です。
目に見えないところで関わってくれている人がいて
今、豊かに生活できていること、
沢山の人のお陰様、で成り立っていること。
人は一人で生きている訳ではないんですよね。
沢山の人の関りがあって、生きていられるんです。
これは心のどこかに留めておきたいですね。
「歴史を学ぶ意味って何??」と聞かれたら
過去の歴史を知ることで
「今の自分があるのは過去生きてきた人たちのお陰様」である、という感性を磨くため
と、私なら答えます。
にこにこ農園たむらも誰かの意思が働き
152年の歴史を紡いできました。
そしてただ今、ターニングポイントを迎えております。
この畑と道は、もう亡くなってしまった地元の人たちが群馬県で初めて区画整理をした場所。
その人たちの意思や行政の協力があって形になりました。
でも、もう畑として耕せる人がいません。
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小さな町の小さな農家からの発信
キウイフルーツ🥝で下仁田町を元気にします!
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました