【農業継承物語⑫ ~故郷への恩送り~】両親の結婚記念日に思うこと | 2525nouentamuraのブログ

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農家5代目、3人兄妹末娘ゆかりの農業承継奮闘日記

おはようございます!

 

 農業×運動×心理学で「心と身体に栄養を✨」ニコニコ飛び出すハート

 

【にこにこ農園ニコニコたむら】のゆかりです。

 

今日は1月最終日。

毎年、この日、何に想いを馳せるかというと

両親の結婚記念日✨

 

今年で結婚54周年記念となります飛び出すハート

 

時は遡り2021年11月。

近場の磯部温泉で兄妹家族と

金婚式のお祝いをしました。

 

翌年。

両親から初めて送られてきた年賀状。

そこには

 

《初志貫徹》

 

『五十一年生きて学んだこと。単純だけど、初志貫徹。ひたすら「二人で力を合わせて生きること」全てがこの一言に尽きると思う。』

 

と。

 

⇩⇩⇩

 

この言葉の重みといったら...

これまでに経験したことのない感動と価値を感じられるメッセージでした。

 

言葉と想いと行動と

その人の人生そのものが一致したとき

言葉1つが「ぐうの音も出ない」物凄い説得力というエネルギーに変わるんですね。

 

この言葉に重みがあるのは

その人の人生そのものを表す言葉だと

感じることが出来たからでした。

 

この時、私はすでに農業を継ごう!と意志を固めていました。

⇩⇩⇩

 

 

54年という月日。

両親の人生という物語を

私は一部しか知りません。

 

でも好奇心が強かったせいか、

自ら両親の出会いから結婚に至るまで

またその後の人生について

話を聞かせてもらう機会が多かったように思います。

 

話をする時は居間だったり

畑だったり(笑)

 

私が自覚する限り、

私の人生の中で一番古い記憶は

父が2回目の胃癌の手術(胃の全摘出)を終え

病院のベッドで横たわっている姿です。

 

その後、父は生死を彷徨うことになります。

 

母に聞くと私が1歳9ヶ月の時の出来事だそう。

はっきりと映像で残っている記憶です。

 

目を瞑り、ベッドで横たわっている父のお腹辺りを何やら看護婦さんが触っていました。

 

その時の私の感覚は

菜っ葉(←白菜の漬け物)の葉っぱの部分を

父のお腹の傷にくっ付けている!

でした。

 

何をやっているんだろう?という感じで見ていたのかもしれません。

 

状況まで理解出来ていなかったと思いますが

その記憶は色褪せることなく

今でも鮮明に覚えています。

 

言葉を話せるようになってからかな?

母にその時の記憶を話すと

『あれは、菜っ葉じゃなくてガーゼだよ。』

と教えてくれました。 

 

そっか。

手術後の傷口の処理をしていたのか、と

理解が出来ました。

 

小さい頃、菜っ葉の葉っぱでご飯を包み母が食べさせてくれていたので

幼いながらに持っていた情報を引き出した末、

ガーゼ =菜っ葉の葉っぱ、に変換されたのだと

今は感じています。

 

2回目の手術を終えた父が見た夢は

綺麗なお花畑が広がる、

父曰く『三途の川』でした。

 

母曰く、父の看病をしながら

看護師を目指そうとした時期があったと。

 

そんな両親の姿を見て

何かを察していたのか分かりませんが

一人、オムツを持ってナース室に駆け込む私歩くシュタタタタ💨

 

一度だけではなく何度もあったようです立ち上がる

 

母にオムツ替えを頼まない姿に

健気さを感じたとか。

 

あれから40年。

父は生き抜いています。

私もまた、この奇跡ともいえる時間を

感じて生き抜こうとしています。

 

生きよう!とする力は秩序です。

自分であろうとする『秩序』は

大きなエネルギーです。

 

人生は本当に

意志(意思)の塊だなーと思います。

 

こうしたい、こうありたい、

思う通りにならなくても 

どんなに小さなことでも

何かに想いを馳せて生きるというのは

素敵なことだと私は思います。

 

先日頂いたキウイフルーツ🥝品評会での

群馬県知事賞。

⇩⇩⇩

 

 

 

前回のブログでも書いたのですが

待ったなしのこのタイミングで頂けたことが

本当に嬉しくて。

 

本当に沢山の方のエールが  

『ここ』に届いたような気がしてなりません。

 

キウイフルーツ🥝で小さな農家から下仁田町を

下仁田町から群馬🐴を

群馬🐴から日本を元気にしたい。

 

ここに私の想いがあり、

想いを馳せて今日も生きています。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございましたニコニコ