ネットに次の記事が載っていた。紹介する。
 “抑制された表現のつらなりの先に、人生の奥深い真実がふと姿をみせる。作家の竹西寛子さんの短編「五十鈴川の鴨」はそんな作品だ。
 淡い交友を続けてきた壮年の男性2人。鴨の親子の仲むつまじい様子を旅先で見て、ひとりがつぶやく。「いいなあ」。ありふれた反応と思いきや、そこには万感の思いが込められていた。
 彼は少年時代に広島で被爆し、肉親も家も失った。生き延びはしたものの、病名のつかない症状が続き、いつ命が尽きるかわからない。<不安の暗さが夢の明るさを食べてしまった>から、自分のような人生は自分だけで終わらせたい。結婚を望まれた女性に語り、独身のまま帰らぬ人に…。核兵器はあらゆるものを破壊し尽くし、しかも長い間、人体に深刻な影響を及ぼす。発症の不安におびえる被爆者たち。短編の登場人物はそのひとりであった。(中略)竹西さんも16歳のときに広島で被爆し、体調不良に耐えながら書き継いできた。原爆投下から80年の歳末。(後略)”
 「作品に込められた静かな告発を受けとめて、これからも忘れずにいたい」