ネットに次のコラムが載っていました。紹介します。![]()
“小学生の頃、オホーツク海に沿って走る湧網線がある町に住んでいた。自然そのもののサロマ湖を、日本一だと思っていた。祖父の家に行くときは北見滝ノ上まで渚滑(しょこつ)線も利用した。汽車に揺られて楽しかった。
父の転勤で、名寄線が通る町で暮らす。高校生になり、名寄線で遠軽まで通う。定期券を買い、大人になった気がした。青いインクの有効期限の数字が懐かしい。
進学時は名寄線で名寄市へ移った。親から離れて暮らす自立した感じ。学友が住む雄武町まで興浜南(こうひんなん)線で、緑の海のような原野を走った。おいしいお魚をいただいた。
就職時は、母は遠軽駅まで送ってくれた。涙の見送りで「頑張れ」と手を握ってくれ、私は車中の人に。石北線、函館線、青函連絡船を乗り継ぎ本州の愛知県へ向かった。北海道に帰ってくる時も汽車だった。
歳月が過ぎ、日高線の静内町へ。海と牧場が仲良く景色をつくっていた。友と出会い、夫と出会い、子を産み育て、鉄路のそれぞれの町は人生そのもの。節目、節目に個性豊かな鉄道があった。
消えた鉄道の路線図は胸の中にある。今年も留萌線が…。寂しい限り。今は背骨しか残っていない。
そんな私は鉄道写真家の中井精也さんの写真が大好き。柔らかい光の描写が郷愁を誘い、汽車の素晴らしさを代弁してくれる。見ていると途中下車の旅をしたくなる。(後略)”![]()
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私も、消えた故郷の夕張線は胸の中にあります。「人生の鉄路よ、ありがとう」。![]()
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